2026年、もう「フェイクニュース」で済まない理由|英議会が「民主主義への実存的脅威」と宣言
あなたは今日、SNSで何件のニュースを読みましたか?
「一応チェックしている」「おかしいと思ったら調べる」そう答える方は多い。でも、正直に言います。私自身も、医療の現場で情報を扱うことを職業にしていながら、気づかぬうちに「作られた文脈」の中に引き込まれていたことがあります。
2026年3月、英国議会の外務委員会がある報告書を発表しました。タイトルは「Disinformation diplomacy(偽情報外交)」。そこに書かれていたのは、遠い国の話ではありませんでした。心理学的に見ると、この報告書は「人間の認知の弱点」を徹底的に突いてくる工作の設計図でもあります。今日は、公認心理師の視点から、この報告書が教えてくれることをお伝えしたいと思います。
Disinformation diplomacy: How malign actors are seeking to undermine democracy
https://committees.parliament.uk/publications/52401/documents/290829/default/
「自分は騙されない」と思っているあなたこそ危ない?|偽情報が狙う心理的急所
心理学に「ナイーブ・リアリズム」という概念があります。「自分は世界をありのままに見ている。バイアスがかかっているのは相手だ」という錯覚のことです。
これが厄介なのは、知識があればあるほど、この錯覚は強化されやすい、という点です。医療者も研究者も、いえ、批判的思考を学んだ人ほど「自分は見抜ける」と思いやすい。でも、2026年3月に英国議会の外務委員会が発表した「Disinformation diplomacy」という報告書を読んで、私はあらためて背筋が伸びました。
https://publications.parliament.uk/pa/cm5901/cmselect/cmfaff/703/report.html
この報告書は、ロシア・中国・イランといった国家が組織的に展開する「外国による情報操作・干渉(FIMI: Foreign Information Manipulation and Interference)」の実態を、55件の証拠資料と7回の公聴会から丁寧に解き明かしたものです。民主主義への「実存的脅威」という言葉が、何度も登場します。
工作の設計図は「私たちの痛みの地図」だった
報告書の中で、特に印象的だった証言があります。カーディフ大学のマーティン・インズ教授は、ロシアの情報工作機関がどのように活動しているかをこう説明しています。
彼らは私たちのメディアをモニタリングし、世論調査データや経済トレンドレポートを収集している。そのうえで「どこに刺さるか」を分析し、国ごとの作戦計画を立てて展開する、と。
つまり情報工作は、ランダムな嘘をばらまいているのではありません。私たちの社会の「痛点」——格差、移民問題、政治不信——をリサーチしたうえで、そこにピンポイントで差し込まれてくる。これはまさに、心理的な急所を狙った攻撃です。
公認心理師として言わせてもらうと、これは「感情と認知の間の揺らぎ」を意図的に生み出す手法です。不安や怒りが高まった状態では、人は情報の真偽よりも、自分の感情に一致するかどうかで判断しやすくなる。情報工作はその瞬間を狙っています。
「ドッペルゲンガー作戦」——本物そっくりに偽装された世界
もう少し具体的な話をしましょう。報告書が詳細に取り上げているのが、ロシアが展開する「ドッペルゲンガー(Doppelgänger)作戦」です。
これは「Le Monde」「ガーディアン」「シュピーゲル」「フォックスニュース」など、信頼されている欧米の主要メディアのウェブサイトを精巧に模倣した偽サイトを作り、そこにロシア寄りのフェイクニュースを掲載するという手口です。URLも本物と紛らわしい名前にしてある。パッと見ただけでは、普通の人には判別がつきません。
しかも、です。カーディフ大学の分析によれば、このネットワークは、ウェールズ王妃(キャサリン妃)が癌の診断を公表する直前に、王妃の健康状態に関する偽情報を意図的に拡散していたことが明らかになっています。人々の不安と関心が最高潮に達する瞬間を、彼らは見逃さなかった。
報告書によると、このドッペルゲンガー・ネットワークは228のドメインと2万5千のアカウントを擁し、英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語など9言語で活動しています。「遠い話」ではありません。日本語圏がターゲットになる可能性も、決してゼロではないのです。
「情報のマネーロンダリング」という巧妙な構造
報告書の中で私が最も鋭いと感じた概念が、「情報のマネーロンダリング(Information laundering)」という言葉です。
仕組みはこうです。まず操作された情報を怪しいサイトに流す(配置)。次にボットがリポスト・いいね・シェアを繰り返し拡散させる(撹乱)。そして最終的に信頼できるニュースソースや一般ユーザーが「普通の情報」として拡散し始める(統合)。
この最後のステップが恐ろしい。フランスの「BBCが報じた話」として知られることになった、2023年のパリのベッドバグ騒動も実はこの手口でした。「ウクライナ難民のせいでノミが増えた」という偽情報がロシア系アカウントによって人工的に増幅され、その後、BBCを含む信頼性の高いメディアが「パリのベッドバグ騒動」として報道した。フェイクニュースが、本物のニュースの衣を着て蘇ったわけです。
臨床の場でも、似たような現象を目にすることがあります。「○○先生が言っていた」「テレビで見た」という情報が、実は伝言ゲームを経て元の文脈からかけ離れていた、というケースです。人は「信頼できるソース」を経由した情報を、ほぼ無批判に受け入れる傾向があります。そこに付け込まれているのです。
私たちは何ができるのか——3つの視点
では、どうすればいいのか。報告書は「プレバンキング(prebunking)」という概念を強調しています。「デバンキング(debunking:事後に嘘を暴く)」より、「プレバンキング(事前にワクチンとして免疫をつける)」の方が効果的だという考え方です。
公認心理師の立場から、日常で実践できる視点を3つ挙げさせてください。
一つ目は、「感情が動いた瞬間を疑う」ことです。怒り・恐怖・嫌悪——こういった感情が強くなった瞬間、私たちの情報処理能力は著しく低下します。「なぜ今、自分はこんなに感情的になっているのか」と一歩引いて問い直す習慣が、最初の防衛線になります。
二つ目は、「情報のたどり方を変える」ことです。SNSで流れてくる記事は、往々にして元の文脈から切り取られています。気になった情報があれば、元の発表機関や一次ソースに直接当たる癖をつける。面倒に感じるかもしれませんが、これが最も確実な方法です。
三つ目は、「不確実さに慣れる」ことです。「本当のことだったら誰かが否定しているはず」は誤りです。フェイクニュースはしばしば、否定される前に感情的な印象だけを残して消えていく。「わからない」という状態に耐える力——心理学でいう「曖昧さへの耐性」——を意識的に育てることが大切です。
民主主義は「情報」でできている
報告書は、情報工作を「民主主義への実存的脅威」と表現しています。これは大げさな言葉ではないと思います。
民主主義は、市民が事実に基づいて判断し、自由に意思を表明することで成り立っています。その「事実」の土台が崩れれば、民主主義そのものが機能不全に陥る。英国議会がこの報告書をまとめたのも、そうした危機感からでしょう。
医療の現場で働く者として、私が感じるのは、情報の「健康」もまた、身体の健康と同じくらい大切だということです。身体の免疫を整えるように、情報の免疫も鍛えることができます。毎日少しずつ、情報を丁寧に扱う習慣を積み重ねること。それが、遠回りなようで、最も確実な民主主義の守り方ではないかと思っています。
まとめ
最後に、今日お伝えしたことを整理します。
英国議会の報告書「Disinformation diplomacy」は、ロシア・中国・イランなどによる情報工作が、規模・精巧さともに「民主主義への実存的脅威」に達していることを明らかにしました。工作は感情的な「痛点」を狙い、信頼できるメディアを偽装し、情報のマネーロンダリングによって本物と偽物の境界を溶かしていきます。
対策として有効なのは「プレバンキング(事前の免疫)」であり、日常レベルでは「感情が動いた瞬間を疑う」「一次ソースに当たる」「曖昧さへの耐性を育てる」という3つの視点が基本になります。
「自分は騙されない」という自信こそが、実は最大の盲点です。知ること、そして疑うことを恐れないこと。今日の記事が、そのための一歩になれば嬉しいです。
以上が、今回お伝えしたかった内容です。どこか一つでも「試してみよう」と思える点があれば幸いです。お読みいただき、ありがとうございました。
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