「攻撃者」と思われた中国が実は「防御者」だった?認知戦の意外な構図
「認知戦」という言葉を聞いたとき、あなたはどんな構図を思い浮かべるでしょうか。
おそらく多くの方が、「中国やロシアが民主主義国家を攻撃している」というイメージを持つのではないかと思います。偽情報の拡散、SNSを使った世論操作、選挙への介入──たしかにそうした報道を目にする機会は増えました。
でも、ここで少し立ち止まって考えてみたいのです。
「攻撃している側」に見える中国は、実は何を恐れているのか。なぜ、あれほど執拗に台湾に介入しようとするのか。その背景にある「脅威認識」を理解しないまま、私たちは本当にこの問題の本質を捉えられるのでしょうか。
今回は、航空自衛隊の研究レポートを手がかりに、「中国から見た認知戦」という、あまり語られることのない視点からこの問題を考えてみたいと思います。
「対中認知戦」を巡る中国の脅威認識①—中台関係の主戦場としての台湾内部における攻防—https://www.mod.go.jp/asdf/meguro/center/document/RPR0704.pdf
「認知戦の脅威は民主主義国家だけのもの」という思い込み
私たちはつい、認知戦を「開かれた社会の弱点を突く攻撃」として捉えがちです。
たしかに、民主主義国家は情報の流入を制限する手段が限られています。だからこそ、偽情報や印象操作に対して脆弱だという指摘には一理あります。「シャープパワー」という概念が提起されているのも、権威主義国家が民主主義社会の世論に「鋭利な刃物で突き刺すように」攻勢をかけるという非対称性を表現したものでした。
しかし、ここで見落としてはならない視点があります。
中国もまた、認知領域における脅威に晒されていると認識しているという事実です。1949年の建国以来、中国共産党政権は一貫して西側諸国からの情報流入や浸透工作への警戒に腐心してきました。「和平演変」「カラー革命」といった言葉で語られてきたこれらの脅威を、中国は「対中認知戦」の一部として捉えています。
つまり、認知戦という戦場において、中国は「攻撃者」であると同時に「防御者」でもあるのです。
「百年の屈辱」が今も中国を縛り続けている
中国の脅威認識を理解するには、歴史を遡る必要があります。
1840年のアヘン戦争から第二次世界大戦終結までの百年以上、中国は欧米列強や日本による進出を許し、弱者の立場に甘んじました。この「百年の屈辱」と呼ばれる時代の記憶は、現在の中国の対外政策に深い影を落としています。
米コロンビア大学のアンドリュー・ネイサン教授は、中国にとって「脆弱性は依然として対外行動の原動力となっている」と指摘しています。広大な国土、外部からの進出を受けやすい地理的環境、そして近隣にロシア、インド、日本という潜在的脅威が存在する──こうした条件下では、防御主体の対外政策こそが唯一の選択肢だったというわけです。
2025年5月に中国が発表した白書「新時代の中国の国家安全」では、20もの安全保障領域が提起されています。ここで注目すべきは、「政治安全」「国土安全」という、我が国では政治的安定や国内治安として扱われる課題が、中国では「安全保障」の範疇に含まれているという点です。
なぜか。
第一に、清末の政権腐敗や軍閥割拠による強力な統一政権の不在こそが、列強の中国進出を阻止できなかった根本原因だという歴史認識があります。第二に、選挙で代表者を選ぶ制度を持たない中国において、政権の正統性を国民に示し続けることは共産党にとって死活的に重要だということです。
正統性の欠如ゆえに、中国は常に国内からの脅威にも直面せざるを得ない。1989年の天安門事件が示すように、「国家と社会」の関係は常に緊張状態にあるのです。
イデオロギーの安全という「持続的心理戦」
天安門事件は、物価上昇や党幹部の腐敗への反発から始まりました。しかし、当時の相対的に自由な政治的雰囲気の中で流入した西側の文化・思想が、抗議活動を民主化運動へと転じさせる上で影響力を発揮したことは否定できません。
この経験は、中国共産党の警戒心を決定的に強めました。
「新時代の中国の国家安全」白書では、政治安全が「根本」であり、これが保障されなければ中国は「四分五裂」すると記述されています。そして、イデオロギー領域を「思想や世論における闘争の場」と位置づけ、西側諸国は普遍的価値を使って中国の西洋化や分断を企図していると強調しています。
中国国内の識者の言葉を借りれば、イデオロギーの安全は「持続的な心理戦」の場であり、「制脳権」争奪のための闘争です。しかもこの闘争は長期にわたり「西強東弱」の形勢にあり、中国は常に重大な挑戦に直面しているというのが彼らの認識なのです。
ここで私が興味深いと感じるのは、中国が「被害者」として自らを位置づけている点です。国際社会において「中国脅威論」を拡散し、中国イメージの「悪魔化」を吹聴しているのは西側諸国だ──この認識は過去40年にわたり一貫しており、近年さらに強化されていると見られています。
台湾問題の本質──「脱中国化」への恐怖
ここからが本題です。なぜ中国は台湾にこれほど執着するのか。
台湾海峡を挟んだ中台の対峙は2025年で76年を迎えました。当初は社会主義対資本主義という体制間競争でしたが、2000年代以降は「中国アイデンティティ」対「台湾アイデンティティ」の摩擦が新たな焦点となり、近年では権威主義体制対民主主義体制という構図で語られるようになっています。
中国の安全保障観において、台湾は「国土安全」の一部として位置づけられています。そしてその「台湾に係る安全保障」とは、「反独(独立反対)」と「促統(統一促進)」の二本柱で構成されると説明されています。
ここで重要なのは、中国が脅威と見做しているのは「台独分子」と呼ばれる独立勢力であり、「大多数の台湾住民」ではないと繰り返し表明している点です。台独分子や外部勢力には武力行使も辞さないが、一般の台湾住民は経済・社会面での優遇措置を提供する「促統」の対象だという使い分けがあります。
では、中国にとって最大の脅威は何か。
それは民進党政権下で進む台湾社会の「脱中国化」です。歴史教育における「中国史」の「東亜史」への改編審議、台湾アイデンティティの興隆──これらは中国から見れば、将来の台湾独立の温床となりかねない深刻な脅威なのです。
換言すれば、政権に就いた民進党の政策によって台湾社会全体の「脱中国化」が進むことこそ、中国の「台湾に係る安全保障」に対する脅威の中核を成しています。中国の識者は、民進党による「脱中国化」政策を台湾住民への「認知戦」と捉え、台湾社会に広がる嫌中心理が深刻な安全保障上の脅威を構成していると警戒しているのです。
主戦場は台湾の「内部」に移った
台湾研究の専門家である松田康博氏は、興味深い指摘をしています。少なくとも96年の民主化以降の中台関係においては、「政権交代ごとに対中政策が変化する台湾側こそ主な変数であり、中国の対台湾政策は台湾の政権変動に合わせて調整しているに過ぎない」というのです。
この視点に立つと、見える景色が変わってきます。
中台対立の主戦場は今や台湾の内部にあります。住民に直接関与できる台湾側(民進党)に主導権があり、中国側は受け身にならざるを得ない構図です。中国政府の台湾担当部門は「民進党が台湾世論をミスリードしている」と繰り返し批判していますが、その言葉の裏には、台湾世論の趨勢を自国有利に向けることの困難さへの苛立ちが透けて見えます。
中国の識者たちは、民進党の手法を「台式認知作戦」と呼んでいます。その主な手法は台湾民衆を対象とした「大内宣(内部への大々的な宣伝工作)」であると同時に、国際社会にも働きかけて支持を獲得することを企図していると分析されています。
つまり中国から見れば、民進党こそが認知戦を仕掛けている「攻撃者」なのです。
「選挙認知戦」という戦場
民進党の「攻撃」がもっとも先鋭化する場が、台湾の選挙です。
中国の論者によれば、民進党はシンクタンク、世論調査、メディアを三位一体化させ、特に中間若年層の認知・判断・価値観に働きかけて勝利を獲得してきました。その過程で中台関係を意図的に争点化し、台湾社会の反中情緒を構造化しているというのが彼らの認識です。
具体的な手法として挙げられているのは、シンクタンクによる議題設定、世論調査結果の戦略的公開、そしてメディアを通じた「抹紅」──すなわち「国民党候補者=中国共産党の代理人」というラベリングです。「抹紅」とは「赤く塗りつぶす」という意味の中国語で、中国との関係の近さを揶揄する際に使われます。
中国側の論者たちは、民進党の戦術の特徴として、強烈な反中・抗中心理の醸成、台湾独立への正当性付与、そして戦争危機の煽動という三点を挙げています。さらに、米国や日本を含む海外の政府機関やNGOが民進党を支援していると指摘し、「外部勢力を巻き込んだ新型認知作戦」として強い警戒感を示しています。
中国の「反撃」とその限界
もちろん、中国側も手をこまねいているわけではありません。
台湾の選挙に対する中国の介入は、複数の主体による「分散型認知戦ネットワーク」として展開されていると分析されています。党・政府の統一戦線部門による公式キャンペーン、経済的利益を目的とするコンテンツファームの活用、中国ビジネスに依存する台湾人の動員、そして愛国的なネット民(「粉紅」と呼ばれる層)による自発的な攻撃──これらが緩やかに連携しています。
しかし、この「反撃」には根本的な限界があります。
2020年の総統選挙では、中国が後押しした国民党候補は敗北し、民進党の蔡英文候補が史上最多の得票で勝利しました。偽情報の拡散や対立候補への攻撃は、むしろ台湾社会の嫌中感情を強める逆効果を招いている可能性があります。
台湾内部が主戦場である以上、外から働きかける中国には構造的な不利があるのです。
日本への異常な反応が意味するもの
最後に、日本との関係について触れておきたいと思います。
2025年11月、高市総理大臣の台湾関連発言に対し、中国は過剰とも言える反応を示しました。中国人観光客の渡航自粛呼びかけ、交流の延期、日本産水産物の輸入停止──矢継ぎ早の対抗措置でした。
興味深いのは、同じ時期に台湾の蕭美琴副総統が欧州議会で演説したことへの反応との温度差です。副総統級の政治家が外国議会で演説することは極めて異例ですが、欧州議会への抗議は日本への反応と比べて明らかにトーンが抑えられていました。
なぜ中国は日本にこれほど敏感に反応するのか。
地理的な近さだけではないと私は考えています。日台双方の社会における「心情的な近さ」が一因ではないでしょうか。中国が取り込もうと尽力する台湾住民の心が、中国よりもむしろ日本に近いことへの警戒感があるように思えます。
台湾社会で主流となっている「台湾アイデンティティ」は「脱中国化」と表裏一体ですが、その台湾アイデンティティ自体が日本統治時代の経験を含む複合的なものです。中国の対台湾認知戦の目的には、台湾社会の「脱日本化」、つまり日台の離間も含まれていると見ることができるかもしれません。
おわりに──「恐怖」を理解することの意味
ここまで読んでいただいた方は、私が中国を擁護しようとしているとは思わないでしょう。
増大する経済力・軍事力を背景にした中国の強権的な振る舞いが、周辺諸国の懸念を招いていることは事実です。しかし、その背後にある脅威認識を理解しなければ、私たちは事態の本質を見誤る可能性があります。
トゥキディデスは「恐怖」「名誉」「利益」が人間の衝動を駆り立てる三要素だと指摘しました。中国の対外行動、とりわけ認知戦の背後には、「百年の屈辱」に根ざした恐怖と、政権の正統性への不安があります。
強圧的に見える行動の裏に、脆弱性を抱えた防御者としての中国がいる──この視点を持つことで、東アジアの安全保障環境についてより立体的な理解が可能になるのではないでしょうか。
私たちに求められているのは、「敵」を単純化することなく、その内部ロジックを冷静に分析する姿勢だと思います。それこそが、真の意味での安全保障につながると私は信じています。
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