ファクトチェックでは不十分、本当に必要なのは『心のワクチン』だった: AI書評『フェイクニュースの免疫学』
最近、SNSのタイムラインで「これ、本当かな?」と感じる投稿に出会ったことはありませんか?
私自身、医療現場で働きながら毎日のようにSNSを開きますが、健康情報やニュースの真偽に首をかしげる場面が増えてきたように感じます。
「自分は冷静だから大丈夫」――そう思っていた時期が、私にもありました。
でも、ケンブリッジ大学のある研究に出会って、考えを改めることになったのです。
人間の脳は、想像以上にフェイクニュースに対して無防備でした。
そして、それを乗り越えるための科学的な方法も、すでに見つかっていたのです。
脳は「予測するマシン」、だから騙される
公認心理師として学びを続けるなかで、私がもっとも衝撃を受けた一冊が、ケンブリッジ大学のサンダー・ヴァン・ダー・リンデン教授による『フェイクニュースの免疫学』でした。
著者は、誤情報を「ウイルス」、人間の精神を「宿主」、SNSを「感染経路」と捉えています。
最初に読んだとき、ずいぶん大げさな比喩だなと感じました。
しかし読み進めるうちに、これは比喩ではなく、現代社会の現実そのものを言い表しているのだと理解しました。
なぜなら、フェイクニュースによって実際に死傷者が出た事件が、世界各地で報告されているからです。
「5G電波が新型コロナを広げる」というデマで通信塔が放火されたり、「ある店が児童売買の拠点だ」というデマで銃を持った男が突入したり。
情報の問題が、もはやスクリーンの中だけにとどまっていない。
この事実を前に、私は背筋が伸びる思いがしました。
私たちが騙されてしまう3つの認知のクセ
ではなぜ、人はこんなにもあっさり誤情報を信じてしまうのでしょうか。
本書を読んで、私はそこに3つの「脳のクセ」があると整理しました。
ひとつめは、「真実の錯覚効果」です。
人間は、何度も目にする情報を「真実らしい」と感じる傾向があります。
これは、繰り返し触れた情報のほうが脳内で処理しやすいから。
その「処理のなめらかさ」を、脳は勘違いして「正しさ」の証拠として受け取ってしまうのです。
不思議なもので、最初は「怪しい」と思っていた情報も、何度もタイムラインに流れてくると、いつのまにか「まあ、そうなのかも」に変わっていく。
私自身、ある健康法について最初は懐疑的だったのに、繰り返し見るうちに少し信じかけていた経験があります。
ふたつめは、「動機付けられた推論」。
人は中立な立場で情報を判断しているように見えて、実は「こうあってほしい」という自分の希望に沿って結論を選んでいる、という考え方です。
自分の信念や所属する集団の利益に合う情報は受け入れやすく、反する情報は厳しく批判してしまう。
ここで興味深いのは、人々に「正解した場合に報酬を出す」と告げると、党派的な偏りが減って正答率が上がるという研究結果があることです。
つまり私たちは、知らないから間違えるのではなく、ときに「真実を知らないままでいることを選んでいる」ということ。
このくだりを読んだとき、私は自分の臨床現場での観察と重なる気がしました。
人は、自分のアイデンティティを揺るがす情報には、無意識に目をそらすのです。
みっつめは、「誤情報持続効果」。
これは、いったん信じた誤情報を後から否定されても、影響が消えずに残り続けるという現象です。
人間の記憶は、事実をリストとして保管するのではなく、出来事の因果関係を物語として組み立てています。
誤情報を取り除くだけでは、その物語に「説明の空白」が生まれる。
すると脳は、つじつまを合わせるために、間違いだと知っている情報を使い続けてしまうのです。
「あれは間違いでした」と訂正されても、なんとなくモヤモヤが残る感覚。
あれには、こうした認知的な背景があったのです。
真実は複雑、嘘はシンプル――この非対称性が問題の根源
ヴァン・ダー・リンデンが指摘する、もうひとつの大切な視点があります。
それは、嘘やフェイクニュースはシンプルで粘り気があるのに対し、科学的な事実はニュアンスに富み、複雑だということ。
たとえば「この食品はガンを予防する」という単純な主張は、瞬時に頭に入ります。
一方で、「特定の食品と疾病リスクの関連は、複数の交絡要因を統制した大規模コホート研究で慎重に評価される必要がある」と聞いた瞬間、人の脳は閉じてしまう。
私が医療現場で痛感するのも、まさにこの非対称性です。
正しい情報を伝えようとすればするほど、説明は長く、複雑になる。
そして患者さんやその家族は、「もっと簡単に効く方法」を求めて、シンプルな誤情報に手を伸ばしてしまうことがあるのです。
これは怠惰ではなく、人間の脳が持つ自然な省エネ機能の現れ。
責めるべきは個人ではなく、構造そのものなのだと私は考えています。
「心のワクチン」という発想の転換
ここまで読んで、暗い気持ちになった方もいるかもしれません。
でも、本書がすばらしいのは、ちゃんと処方箋を提示してくれているところです。
それが、「心理的接種(プリバンキング)」という考え方。
医学の予防接種で、弱毒化したウイルスを体に入れて免疫をつくるように、心にも「弱めた誤情報」と「その反論の論理」をあらかじめ提示しておくことで、本物の誤情報に出会ったとき抵抗できる力を育てられる――そういう発想です。
これを読んだとき、私は思わず膝を打ちました。
ファクトチェックは、すでに広まった誤情報を訂正する「治療」のようなもの。
でも本当に必要なのは、罹る前に免疫をつけておく「予防」だったのです。
ヴァン・ダー・リンデンらが開発した『バッドニュース』というオンラインゲームでは、プレイヤーが自分でフェイクニュースの発信者になりきって、感情を煽ったり、なりすましをしたりする手口を「内側から」体験します。
すると数分プレイしただけで、誤情報を見抜く能力が有意に向上し、その効果が数ヶ月持続するというのです。
「悪の手口」を疑似体験することが、最良のワクチンになる。
逆説的ですが、これが現代の科学が示す結論なのです。
日々の生活で意識したい3つの「免疫力アップ習慣」
最後に、私が日々の生活で意識している、ささやかな3つの習慣をお伝えします。
ひとつめは、「強い感情が動いたときほど、立ち止まる」こと。
恐怖、怒り、義憤――こうした感情を強く揺さぶる投稿に出会ったら、それは誰かが意図的に仕掛けたコンテンツかもしれません。
著者は、誤情報の操作手法のひとつに「Emotion(感情)」を挙げています。
感情が動いたとき、私はいったんスマホを置きます。
シェアボタンを押すのは、その後でも遅くありません。
ふたつめは、「個別の事実より、操作の手口に注目する」こと。
「これは本当か嘘か」と毎回ファクトチェックするのは、現実的ではありません。
それより、誤情報がよく使う型――発信者を貶める、二極化を煽る、専門家になりすます、陰謀を匂わせる――を覚えておくほうが、ずっと汎用的に役立ちます。
ウイルスが変異しても、共通の構造を見抜けば対応できるのと同じです。
みっつめは、「自分の信じたい情報こそ、もう一段疑う」こと。
「動機付けられた推論」は、誰の中にも働いています。
私自身、自分の専門分野や政治的な立場に関わる情報になると、つい甘くなる傾向があります。
だからこそ、「これは自分が信じたいから信じているのではないか?」と自問する習慣をつけるようにしています。
これは決して気持ちのいい問いではありません。
でも、自分の認知のバグを認める勇気が、結局のところ最強の免疫になるのだと感じています。
終わりに
ガンジーは「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学べ」と言った――と、よく引用されます。
ところが、これは実際にはガンジーが言った言葉ではないそうです。
本書の冒頭で著者が紹介しているこの逸話は、私たちがいかに簡単に誤情報を信じてしまうかを、身をもって体験させてくれます。
今回お伝えしたかったポイントを、最後に振り返らせてください。
ひとつ、人間の脳には「真実の錯覚」「動機付けられた推論」「誤情報持続効果」という3つのクセがあり、誰もが誤情報の影響を受けやすいということ。
ふたつ、誤情報はウイルスのように広がる現実の脅威であり、感情を揺さぶり、シェアされやすいよう設計されているということ。
みっつ、対策の鍵は事後の訂正(ファクトチェック)ではなく、事前の心理的ワクチン(プリバンキング)にあるということ。
よっつ、強い感情、操作の手口、自分の信じたい情報――この3点に注意を向けることで、日常的に「免疫力」を高められるということ。
いつつ、自分の心をワクチン化することは、家族や友人、コミュニティを守る民主的な行為でもあるということ。
完璧な情報リテラシーを目指す必要はありません。
ただ、自分の脳のクセを知り、立ち止まる習慣を持つだけで、私たちは確実に変われます。
あなたの中には、すでに学ぶ力と、疑う力と、思いやる力があります。
それを少しだけ意識的に使うだけで、誤情報に揺さぶられない、しなやかな自分になれるはずです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。
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この本の原著はこちらです。
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