誤情報に騙されない人がやっている「心の予防接種」という習慣
「これを飲めばがんが治る」「ワクチンには〇〇が入っている」——SNSを開けば、そんな情報が当たり前のように流れてきます。
あなたは「自分は騙されない」と思っていませんか?
実は私もそうでした。医療関係者として働き、公認心理師の資格も持っている。だから大丈夫だと。
でも、心理学の研究は残酷な事実を突きつけます。「人間の脳は、情報の真偽を判断するようにはできていない」と。
2020年、WHOは「インフォデミック(情報の感染爆発)」を宣言しました。健康に関する誤った情報が、ウイルスのように世界中に広がっているのです。
今日は、米国心理学会(APA)がまとめた最新の科学的知見をもとに、なぜ私たちは誤情報を信じてしまうのか、そしてどうすれば自分と大切な人を守れるのかをお話しします。
米国心理学協会
Using psychology to understand and fight health misinformation
私たちの脳は「真実判定マシン」ではない
まず、少し衝撃的な実験結果からお伝えさせてください。
アメリカの研究者が、こんな質問を人々に投げかけました。「ノアの方舟に、モーセは動物を何匹ずつ乗せましたか?」
ほとんどの人が「2匹」と答えました。
でも、ちょっと待ってください。方舟を作ったのはノアであって、モーセではありません。聖書の知識がある人でさえ、この間違いに気づかなかったのです。
これは「知識の不活性化(knowledge neglect)」と呼ばれる現象です。私たちの脳は、新しい情報を受け取るとき、まず「理解すること」に全力を注ぎます。「正しいかどうかを検証すること」は、後回しにされてしまうのです。
つまり、私たちは「知っているはずのことでさえ、新しい情報と照らし合わせるのが苦手」なのです。
これが何を意味するか、おわかりでしょうか。
SNSで流れてくる健康情報を見たとき、私たちの脳は自動的に「これは本当かな?」とチェックしてくれるわけではありません。むしろ、スルスルと頭の中に入り込んでしまう。そして、一度入り込んだ情報は、たとえ後から「嘘だった」とわかっても、完全には消えないのです。
「繰り返し」が嘘を真実に変える
心理学には「真実性の錯覚(illusory truth effect)」という概念があります。
簡単に言えば、「何度も聞いた情報は、本当に思えてくる」ということ。
たとえば「ミノタウロスはギリシャ神話に登場する一つ目の巨人である」という文章を2回読んだ人は、1回しか読んでいない人よりも「これは本当だ」と思いやすくなります。ちなみに、一つ目の巨人はキュクロプスであって、ミノタウロスは牛頭の怪物です。
恐ろしいのは、この効果が「自分が正しい答えを知っていても」起きるということ。
私はこれを知ったとき、背筋が寒くなりました。
SNSでは、同じような健康情報が何度も何度もリツイートされ、シェアされます。ワクチンへの不安、特定のサプリメントの効果、「〇〇を食べれば治る」系の情報。繰り返し目にするうちに、私たちの脳は無意識のうちに「よく見る情報=信頼できる情報」と判断してしまうのです。
研究によれば、この効果は最初の数回の接触で最も強く現れます。つまり、誤情報は「早い段階で止めないと、どんどん信じられやすくなる」のです。
「あの人が言うなら」の落とし穴
私たち人間は社会的な生き物です。「誰が言ったか」は、「何を言ったか」と同じくらい——いや、時にはそれ以上に——私たちの判断に影響を与えます。
ある実験では、研究者が架空のSNSインフルエンサーを作り、健康に関する誤情報を継続的に発信させました。結果、インフルエンサーを「信頼できる」と感じた人ほど、公的な健康機関への信頼が低下したのです。
これは私たち医療従事者にとって、非常に深刻な問題です。
患者さんが「先生、ネットで見たんですけど……」と切り出すとき、その情報源がどこかの「カリスマ健康インフルエンサー」であることが増えています。そして、その人を信頼していればいるほど、私たちの説明は届きにくくなる。
ただ、ここで大切なのは、患者さんを責めないことです。
信頼できると思った人の言葉を信じる——これは人間として極めて自然な反応なのです。問題は、SNS上では誰でも「専門家」のように振る舞えてしまうこと。見た目の信頼性と、実際の専門性が乖離してしまっているのです。
感情が判断を曇らせる
2020年、「Plandemic」という陰謀論動画がSNSで爆発的に拡散しました。わずか数日で、Facebookで250万回以上の反応を獲得。テイラー・スウィフトのコンサート映像や人気ドラマの再結成企画よりも速く広がったのです。
なぜこれほど拡散したのか?
研究者たちは、その理由を「新奇性」と「感情」に見出しました。
Twitterで拡散される誤情報を分析した大規模研究によると、誤情報は正確な情報よりも「驚き」「恐怖」「嫌悪」といった感情を強く喚起することがわかっています。そして、私たちは強い感情を感じると、ついシェアしたくなる。
「これはみんなに知らせなきゃ!」
その衝動は、善意から来ていることがほとんどです。でも、その善意が誤情報の拡散を加速させてしまう。皮肉な構造ですが、これが現実なのです。
「エコーチェンバー」という閉じた世界
SNSには、もう一つ厄介な特性があります。「エコーチェンバー(反響室)」と呼ばれる現象です。
アルゴリズムは、私たちが「好みそうなもの」を優先的に表示します。その結果、私たちは似たような意見を持つ人々に囲まれ、異なる視点に触れる機会が減っていきます。
ワクチンに関する研究では、アメリカのTwitterユーザーが「ワクチン賛成派」と「ワクチン懐疑派」に明確に分かれ、互いにほとんど交流がないことが視覚化されました。まるで二つの別々の惑星のように。
怖いのは、一度エコーチェンバーに入ると、自分がその中にいることに気づきにくいこと。周りのみんなが同じことを言っているから、それが「常識」に思えてくるのです。
希望の光——「心理的ワクチン」という考え方
ここまで読んで、少し暗い気持ちになったかもしれません。
でも、安心してください。心理学者たちは、誤情報に対抗する方法も研究しています。
その中で最も有望なのが「プリバンキング(prebunking)」、つまり「心理的ワクチン接種」と呼ばれるアプローチです。
本物のワクチンが弱毒化したウイルスで免疫をつけるように、誤情報の「弱い形」に事前に触れておくことで、本物の誤情報への耐性をつけるのです。
具体的には、誤情報によく使われる手口——感情的な煽り、偽の専門家、陰謀論的思考——を事前に学んでおく。すると、実際にそうした手口に出会ったとき、「あ、これはあのパターンだ」と気づきやすくなります。
WHOと国連が展開した「Go Viral!」というオンラインゲームでは、プレイヤーがCOVID-19に関する誤情報の作り手を疑似体験します。わずか5分のゲームで、誤情報を見抜く能力が向上し、その効果は1週間以上持続したという結果が出ています。
ファクトチェックは「万能薬」ではない、でも効く
「誤情報を見つけたら、正しい情報で訂正すればいい」
そう思いがちですが、実はそう単純ではありません。
ファクトチェック(事後的な訂正)は確かに効果があります。メタ分析によると、その効果は大きく、年齢や文化を問わず機能することがわかっています。
ただし、いくつかの限界があります。
まず、訂正しても、誤情報の影響は完全には消えない。これを「継続影響効果(continued influence effect)」と呼びます。一度信じてしまった情報は、脳の中に「影」として残り続けるのです。
次に、ファクトチェックが届かない人がいる。特に、元の誤情報を強く信じている人ほど、訂正を避ける傾向があります。
そして、誤情報の生産スピードに追いつかない。一つの嘘を検証している間に、新しい嘘が100個生まれている——そんな状況が日常化しています。
だからこそ、事後の訂正(デバンキング)だけでなく、事前の予防(プリバンキング)が重要なのです。
私たちにできる3つのこと
最後に、APAの提言も踏まえて、私たちが日常でできることをお伝えします。
一つ目は「一呼吸おく」こと。
強い感情を感じたら、それは警告サインかもしれません。「これはみんなに伝えなきゃ!」と思ったとき、シェアボタンを押す前に10秒だけ待ってみてください。「この情報は本当に正確だろうか?」と自分に問いかける。その一瞬の間が、誤情報の連鎖を止める力を持っています。
二つ目は「情報源を確認する」こと。
誰が言っているのか、その人は本当に専門家なのか、別の信頼できる情報源でも同じことを言っているか。特に健康に関する情報は、公的機関のウェブサイトで確認する習慣をつけてください。「〇〇(病名)厚生労働省」などで検索するだけで、信頼性の高い情報にアクセスできます。
三つ目は「誤情報の手口を知っておく」こと。
感情を煽る表現、「〇〇が隠している真実」という陰謀論的フレーム、「医者が教えない」系のフレーズ——こうしたパターンを知っておくだけで、かなりの防御力がつきます。子どもがいる方は、ぜひ一緒にメディアリテラシーについて話し合ってみてください。
おわりに——あなたの「慎重さ」は誰かを救う
私たちは、人類史上かつてないほど大量の情報に囲まれて生きています。その中には、命を救う情報もあれば、命を危険にさらす情報もある。
そして、私たちの脳は——繰り返しになりますが——情報の真偽を自動判別するようにはできていません。
でも、それを知っているだけで、あなたはすでに一歩先を行っています。
「この情報、本当かな?」と立ち止まれる人。感情に流されず、情報源を確認できる人。そんな人が一人増えるごとに、誤情報の拡散は少しずつ遅くなります。
あなたの慎重さは、あなた自身を守るだけでなく、あなたの大切な人、そしてあなたが知らない誰かの健康をも守っているのです。
この記事を読んでくださったあなたなら、きっとできます。
今日から、少しだけ意識を変えてみませんか?
#健康情報リテラシー #フェイクニュース対策 #SNSとの付き合い方 #心理学 #公認心理師
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします。いただいたチップは、執筆のための書籍購入や、AIのために使わせていただきます。