🧭第1話 北海道発、埼玉支部要請
あの日のことを、今でも覚えている。
初夏のくせに妙に暑くて
それでいて、やけに乾いた風が吹いていた。
カレンダーをめくったとき
義父の三回忌が近いことに気づいた。
「あれ、もうそんなに経ったっけ?」
首をかしげながら指でページをなぞると
あの頃の記憶が、じわりと立ち上がってきた。
日々のバタバタに追われながら
どうにか葬儀やら手続きやらを
乗り切った気がする。
あの頃は
まだ「家族の介護」が本格化する前。
今思えば、あれはプレ介護期。
だけど、確実に忍び寄っていた前哨戦だった。
うすうす感じていた。
「親の世代が、終わりに向かっていくんだな」って。
でもまぁ、感傷に浸ってる暇なんてない。
今や、現役バリバリの
在宅介護フェーズ真っ最中。
全方位、全集中の毎日だ。
──振り返れば、この出口の見えない長い道。
その始まりには
確かに一本の導火線があった。
最初の号砲は、なんだったっけ?
……そう、あれだ。
忘れもしない、一本の電話。
発信元は、埼玉に住む義父の妹。
つまり叔母さん。
「兄さん、どうも具合が悪いみたいなの」
その声には、焦りと困惑がにじんでいた。
「病院に行きたがらないのよ。
あたしが何言っても聞かないし。
構うなって怒鳴られるし。
最近は居留守まで使うのよ」
そして、トドメのひと言。
「ねぇ、あんたたち夫婦で
ちょっと顔出しに来てくれない?」
はっ?
ちょっとの距離じゃないんだが?
東京-北海道間だよ?
ご近所感覚なの?
海も山もまたぐ距離よ?
「北海道からわざわざ来たってなれば
さすがに邪険にもしないでしょ。
少しは言うこと聞くと思うのよ」
……なるほど。
埼玉支部からの“緊急派遣要請”ってわけね。
いや、ほぼ特攻命令だな、これ。
とはいえ、そう簡単に「行きます」とは
言えなかった。
当時、私も夫もちょうど仕事がピークで
東京までとても足を伸ばせる状況じゃなかった。
本当は、夫ひとりで
さっと様子を見てすぐ帰ってくる予定だった。
…なのだが、うちの夫には「杖問題」がある。
数年前から
進行性の神経の病気を抱えている。
ゆっくり、でも確実に
身体の自由を奪っていく、厄介な病だ。
そのため、杖が手放せない身体で
遠出はなかなか厳しかった。
いくら東京が慣れた土地とはいえ
そんな夫を一人で送り出すわけにはいかない。
ちなみに夫には、同じ病気を抱える兄がいた。
が、その兄を日々世話していたのが――
なんと、義父。
70代後半で、なお現役介護者。
なかなかに複雑な家庭事情。
義父が見ていた景色は
ある意味で
“絶望の俯瞰”だったのかもしれない。
「私も一緒に行くしかないか…」
そう腹をくくって
職場の上司に事情を話したら
まあ
予想通りの粘着質な嫌味のオンパレード。
泣く泣く頭を下げて、予定を調整して――
夫に付き添って、東京へ向かうことになった。
ここから、いろんな歯車が
じわじわとズレ始める。
あの時はまだ、それが何を意味するのか
わかっていなかった。
次回▶︎第2話: 元介護士、北海道から東京を救う
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