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🧭第2話 元介護士、北海道から東京を救う

当時、義父はすでに定年退職していて
のんびり老後ライフを満喫中──
…とはいかず、現実はむしろ逆だった。

義父は、夫の兄、つまり義兄と二人暮らし。
しかも介護する側は義父だ。

で、その義兄が、まあ…
いろんな意味で手強い。

仕事は長続きせず、すぐイヤになり
転職を繰り返した挙げ句のニート。

53年間、誰かに敷かれたレールの上を
ただ乗ってきただけの人生。
自分じゃ何ひとつ決められない
筋金入りの依存体質。

しかも彼は
すでに亡くなった義母から
「脊髄小脳変性症」の遺伝子を
しっかり受け継ぎ
兄弟そろって発症コースを
引き当ててしまっていた。

その点、夫は病気をきちんと理解し
将来の生活設計も見据えていた。

義母が闘病していた頃
夫には長く付き合い
結婚も考えていた彼女がいた。
ちょうどドラマ
『1リットルの涙』が流行っていた頃だ。

彼女は義母の症状を見て言った。
「お義母さん、
あのドラマと同じ病気じゃない?
遺伝子検査をしてみて」

検査結果は見事ビンゴ。
遺伝子が半分の確率で
子どもに受け継がれることが判明した。

そして彼女は静かに去っていった。
「こんな病気とリスクを抱えたあなたとは
結婚できない」と。

その経験が、夫の覚悟の重さを物語っている。
病気を“運命”として受け入れ
未来に向けて懸命に生きてきた人だ。

──だが義兄は違った。

病気が進行し
明らかに介護支援が必要になっても──
義父にはじまり、義兄は持ってのほか
制度も仕組みもまるで知らなかった。

というのも、義母が罹患した当時
義父は現実に向き合えず仕事に逃げていた。
義兄も、ただ状況を他人事のように
眺めていただけだった。

だから、「何をどうすればいいのか」
「誰に相談すべきか」さえ知らなかった。

誰かが動かなきゃ、何も始まらない。
いや、“始まる”どころか
現場は完全にフリーズしてた。

そこで私が
元・介護士の意地と経験を
総動員することになる。

北海道から
まず東京の区役所・福祉課に電話。
現状を説明して制度を聞き出し
ネットで
「ケアマネ 東京 ○○区 事業所」
と調べまくり
ヒットしたところに
片っ端から電話をかけまくる日々──

そしてようやく
受け入れてくれるケアマネと
訪問系サービスを確保。

すべて北海道から。
電話とネットと根性と意地だけで
環境を整えた。

…にもかかわらず。
ようやく繋がった“初代”ケアマネと
義父が、見事に大揉め。
あえなく契約解除。
振り出しに戻る。

そこから“2代目”探しが再スタート。

「男性で、そこそこベテランの人がいい」
という義父のワガママに応えるべく
条件に合う人をまた奔走して探す。

その結果──
ある事業所の所長が、
状況を汲んで自ら引き受けてくれることに。

“神”降臨。

声しか知らないその人と、
のちに直接会うことになるなんて

この時はまだ、想像もしていなかった。


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