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🎬️55歳で、映画は変わる ―― 黒澤明、伊丹十三、宮崎駿、北野武、是枝裕和に見る“転機”


はじめに

「55歳」。
この年齢に、どこか意味があるのではないか――そんなことを考えさせられる映画監督たちのキャリアがあります。

今回は、脚本、編集、キャスティング、音楽にまで深く関与し、強い「作家性」をもつ映画監督たちが、55歳前後でどんな作品を世に出し、そこから何が変化したのかを振り返ってみます。


● 黒澤明『赤ひげ』(1965年/55歳)

世界のクロサワがこの年に発表したのが『赤ひげ』。
三船敏郎主演によるこの作品は、まさに集大成的な重厚さを持つ。撮影には2年をかけ、まるで職人のように丁寧に描かれた人間ドラマは、黒澤映画の一つの到達点と言えるでしょう。

こののち黒澤は、日米合作『トラ・トラ・トラ!』をめぐる混乱で監督降板(1969)を経験し、復帰作として初のカラー長編『どですかでん』(1970年/60歳)を発表する。貧民街の群像を、人工的セットと鮮やかな色彩で描いた本作では、内面と想像力に踏み込んだ作風の転換を見せました。


● 伊丹十三『マルサの女2』(1988年/55歳)

伊丹十三にとって『マルサの女2』はヒット作の続編でありつつ、社会批評の鋭さをさらに追求した作品だ。ここでも彼の作家性は強く貫かれている。

しかしその後の『あげまん』(1990年/57歳)では、「男を出世させる女」というテーマを軸にした娯楽性の強い作品に。社会へのメスよりも、寓話性や人間模様に重きが移った感があります。


● 宮崎駿『もののけ姫』(1997年/56歳)

『ナウシカ』以来の大テーマ「人間と自然の共生」を、壮大なスケールで描いた『もののけ姫』。アニメ史に残る傑作であり、大人向けの深い内容を含む。

続く『千と千尋の神隠し』(2001年/60歳)は、より子供に寄り添った物語でありながらも、独自の世界観と寓話性で国際的評価を獲得した。宮崎作品もまた、「内省」と「普遍性」の間を行き来するようになります。


● 北野武『Dolls』(2002年/55歳)

北野武は『HANA-BI』で国際的評価を得たあと、55歳で『Dolls』を発表。生と死、男女の愛を、人形浄瑠璃の「心中物」と融合させたこの作品は、ロシアなど海外で特に高い人気を誇ります。

しかし、次作『座頭市』(2003年/56歳)では、時代劇のリメイクという娯楽要素の強い方向へと舵を切ります。作家性の前面化から、より大衆との接点を模索する段階に入っているようにも見えます。


● 是枝裕和『万引き家族』(2018年/56歳)

『万引き家族』は、貧困と家族の問題を通して日本社会に問いを突きつけ、カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞。

その翌年の『真実』(2019年/57歳)は、フランスでの撮影、カトリーヌ・ドヌーヴ主演という国際的な挑戦だったが、作家性というより企画性が強く、やや方向性が異なる印象もあります。


● 55歳という臨界点?

このように見ていくと、55〜56歳のタイミングで、彼らがそれまでに築いてきた「強い作家性」を結晶化させたような作品を作り上げていることが分かります。そして、その後の作風には何らかの「変化」や「緩和」「方向転換」が見られることも興味深いです。

これは単なる偶然なのか。それとも、人間としての感性・知力・体力・精神力――すべてが高い水準で交わる「臨界点」が、55歳という年齢に存在するのでしょうか。


● 映画以外の世界でも?

これは映画監督に限った話ではありません。
作家、企業の創業者、学者、研究者……。創造的職業において、55歳前後にピークが訪れ、その後に作風や方向性の転換があるとしたら――それは、才能の「波形」を読み解くヒントになるかもしれません。

もちろん、高齢になっても活躍を続ける人は多い。だが、「いつがピークなのか?」という問いは、超高齢社会を生きる私たちにとっても、大いに意味があるテーマなのではないだろうか。今回は、映画監督という「強い作家性をもった表現者たち」の年齢と作風の関係に注目しました。

作品の裏側には、人間の感性・知性・体力のバランスが深く関係しています。

それが55歳前後でどう変化していくのか……とても興味深いテーマです。

この視点は、映画に限らず、作家・学者・企業経営者などにも当てはまるかもしれません。

あなたは、自分の「ピーク」や「変化」をどう感じていますか?

ぜひご意見、ご感想などコメントでお寄せください。

次回もどうぞよろしくお願いします。


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