石破茂を“応援”したリベラル──あのデモは何だったのか?
「石破辞めるなデモ」なるものを見かけたとき、その象徴的な歪さに、思わずため息が漏れました。
石破茂氏を支持する人々――その多くは、グローバル資本の恩恵を受けたエリートには見えない。逆に、生活に不安を抱え、既存の政治にも社会にも不満を持つ人達でしょう。
では、なぜ彼らが保守系の政治家を「左の側」から支援するのか。それは、「より右の存在」に対する拒否反応――つまり高市早苗氏のような人物の台頭を恐れるがゆえの、“防波堤”としての石破支持に見えます。
この構図は、日本の「リベラル」が長らく抱える"病”を示しています。
それは、現実を直視せず、「見たいものだけを見る」態度です。
グローバル化の進行と共に、貧富の格差、地域間格差、生活の不安定化は、確実に日本社会を蝕んできました。
「今と未来への不安」――これが、現代の現役世代や子育て世代の本音です。
本来なら、こうした声を拾い上げ、格差是正や生活の安定を図るのがリベラルの役割だったはずです。
ところが今のリベラルには、現実に向き合う誠実さがない。代わりにあるのは、“理念”と“正義”の美名を掲げて、保守的な価値観を一括りに「国家主義」「反動」とレッテルを貼る姿勢です。
「ポピュリズム」という言葉は、しばしば侮蔑的に使われる。
だが、本来それは「大衆の声を代弁する政治」のことにすぎません。
エリートや中央官僚、大手メディアといった“支配階層”に見捨てられてきた地域や労働者、庶民が、自分達の不満を託せる場所を探した時、それがポピュリズムの形をとるのは自然なことです。
トランプ現象やブレグジットは、その最たる例です。
そして今、日本でも国民民主党や参政党といった新興政党が、現役世代・無党派層の「見捨てられ感」に応える形で台頭しています。
この動きこそ、政治本来の使命――「民意の吸い上げ」ではないでしょうか
今、保守勢力の中にも、「生活者感覚」や「格差是正」に真剣に向き合おうとする人達が現れ始めている。
かたや、リベラル側には、保守を一括りにして「それはポピュリズムだ」「国家主義だ」と切り捨てる者達がいます。
本来なら両者は、価値観を超えて現実の課題で連帯できるはずなのに、
「保守=軍国主義」「リベラル=知性と正義」といった固定観念が、その連帯の橋を焼き続けています。
だからこそ、いまこそ問いたい。
「理念に殉じるリベラル」は、果たして本当に「人間のための政治」と言えるのか?
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