「彼のオートバイ、彼女の島」を読んでいたころ
今までで印象に残った旅先を一つだけ挙げろと言われたら、私は迷わず五能線沿線と答える。
初めてそこを訪れたのは17歳のころだった。もう45年も前になる。
今では五能線は「リゾートしらかみ」が走る観光路線だが、そのころはまだ古い客車と荷物車を機関車が曳く、ごく普通のローカル線だった。私はその列車に半日揺られ、ただ冬の日本海をぼんやり眺めていた。
海沿いの人気のない海岸をゆっくり列車は走り、たまに小さな駅に停まる。何か特別な出来事があったわけではない。それでも、あの一日は私の心に何かを残した。
それから5年後、22歳になった私は、今度はカワサキのオートバイで再び同じ場所を訪れた。
今度は夏。短い夏休み。
今ではそんなこともできない時代だが、無人駅で野宿をしながら東北を回っていた。
その日も早朝から鳥海スカイラインをひとっ走りした。途中で立ち寄った羽後本荘駅のテレビは、御巣鷹山に飛行機が落ちたと大騒ぎだった。
そのまま秋田を通り過ぎ、五能線沿いの国道を走るころには夕刻が迫っていた。
道端に先ほどから手書き看板が何枚も現れる。
「気楽なお宿」
どうやらそこで泊まることもできるらしい。
さすがに野宿の連続には疲れてきたので布団で横になりたい。
「気楽なお宿」は海沿いのドライブインだった。
もっとも、ドライブインの看板は出ているものの、実際は民家のような食堂だった。
見る限りこの店以外ほかに民家も何もない。
とりあえず荷物を置き、海岸へ出てみる。
国道の上を寄り添うように走る五能線も、日本海も、5年前と何も変わらない。
夕日に赤く染まる日本海を、岩場に座ってしばらくただぼんやりと眺めていた。
その宿に客室なんてものはなかった。
漁師のお父さんと店番をしている奥さんだけの家で、中に入るとお父さんが居間で一杯やっていた。
ペコリと頭を下げると向こうもペコリ。
一緒にテレビを見る。会話は無い。
奥さんが昨日は東京のカップルがオートバイで来たことを話してくれている。
無口な私に気を使ったのだろうか、申し訳ない。
夕飯は地物の魚の煮つけがおいしかった記憶はある。
その夕飯を居間で頂くと、寝るのはガラス戸1枚隣の部屋。
いわば、漁師の家に一晩泊めてもらったようなものだった。
今でもわたしは不愛想だが、その頃はそれ以上にずいぶん無愛想な若者だった。
見知らぬ土地に黙って現れ、一晩の宿を乞う若者は、相手から見れば怖かったかもしれない。
物騒な今の世の中では考えられない。
野宿が続いていた私は、布団に入ると沼に沈むように眠ってしまった。漁師のお父さんは夜中に漁へ出ていったらしいが、その物音もまったく覚えていない。
朝、目を覚ますと、店先で奥さんが近所の人と電話で話していた。
何を言っているのか、まったく分からなかった。
津軽の言葉だったのだろうか。日本語なのに、一つも意味が拾えなかった。そこに流れていた言葉だけが、今でも耳の奥に残っている。
ただ、自分はその土地の暮らしの中に一晩だけ紛れ込んだ旅人だった。
宿の名前も、そこがどこだったかももう思い出せない。
あの宿も、おそらく今はもうないだろう。
しかし、あの朝出発した時の、抜けるような空の青さと日本海の青さは、今でもはっきりと心に残っている。
五能線沿線が私の旅の原点であり続けるのは、日本海の景色のためだけではない。
未熟で無口な若者を受け入れてくれた人たちがいたからだ。
旅は、景色よりも人によって記憶になる。
40年前の夏。今年もまた、そんな季節が近づいてきた。
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