【金のテトラポッド登って】最終話 廻る聖なる教え
スーは、緑の紐でアキラの触角を縛りあげていた。
後部に牙を突きつけ、アキラを前にして登攀。
「早く行ってくれないかな?」
スーは、彼の背中に口から伸びる黒く節くれだった突起物を向けていた。
「……私はもう歳なんだ、早くは登れない!」
「殻に穴が空いてもかい?」
「やめろ! 行くから!」
◇
「おぉ……リギア……ローチ!」
登り切ったアキラは鰓から潮を溢していた。
スーはそれを避けると、自らも縁に前脚を掛けた。
金のテトラポッドの山頂は――煌いていた。
円形の山頂にはフナムシの干乾びた脚が何本か見え、チロはその真ん中でもがいていた。
「姉ちゃん!」
「バカスー! 早く早く早く! 取れないの!」
チロの脚は黄色い粘液によって戒められていた。
――キャア、キャア
――クルルルルルル
夕陽をシルエットに不吉な黒い文字が三つ。
「カモメッ!? ……そういう事だったのか……ッ!?」
牙を老いた雄へ突きつけた。
「アキラ、あなたはァああああああ! 同胞をなんだと思っているんだ!?」
スーの鳴き声が砂粒を揺らす。
「いや、私は知らん! 天空に聖母を捧げ……カモメ?」
「そうか、あの言い伝えはッ!?」
「ぐわッ!」
スーは、アキラの触角を強く引いた。
続けて、光る粘液へ突き飛ばした。
「姉ちゃん! アキラで足をッ!」
「ありがとう!」
チロは脚でアキラの背中を踏み、粘液をこそぎ落とし、スーの元へ跳んできた。
「ローチ! 貴様ら、なんてことを!」
――クルルルル
カモメたちが螺旋を描きながら降下してきた。
「バカスー、この数は無理、逃げるわよ」
「姉ちゃんは先行ってて、俺は約束があるんだ!」
――クワック
東の灯台から小さな黒いものが飛び立つのが見えた。
飛翔音が聴こえ、上空のカモメ達と鳴きあっている。
「約束なんか知らない!」
「バカスー、早く行けバカスー」
チロは頭部でゴンゴン押してきた。
「あっ……多分、約束は果たせた」
「行こう」
チロとスーは、もがくアキラに背中を向けて金のテトラポッドの淵へ脚を掛け――飛び降りた。
「ローチ! ローチ! 戻れ貴様らァああああああ……」
――クワック
――キャア、キャア
それ以降、アキラは山田さんに戻って来なかった。
◇
スーは赤い半球の上に立っていた。
半球の上には、チロ、チビフナムシが三十匹。
半球を取り囲むようにフナムシの群れ。
スーを見上げて前脚を擦る。
「みんな、聞いてくれ」
スーは触角をピンと張った。
「アキラは……天に召された」
群れからは「古い雄」「寿命」とカサカサ。
「金のテトラポッドへ登って、待っていたのは……カモメだった!」
「テトラポッド信仰は死への登攀なんだ!」
「アキラは嘘つきだったんだ!」
スーは力いっぱい鳴いた。
群れからは「違う」「雄のくせに」「違う」とカサカサ。
「俺の話を信じない虫は、それでいい」
「ただ……今後、登攀はしない」
「卵はテトラポッドの下で産んで貰うよ」
「それから、山田さんは雄雌公平に分配するよ」
「「独裁者、引っ込め―」」
群れの合唱。
波がテトラポッドを打ち付け、飛沫が潰れた赤い半球を湿らす。
「雌差別はんたーい! クソ雄死ねー! ……あ」
ある雌フナムシ一匹の鳴き声が、潮だまりに響いた。
チロは、愚かな雌に前脚を示す。
「よし、私のちびちゃんたち、いけー!」
「「ふな!」」
三十匹の子フナムシは、その雌を取り囲んだ。
続けて持ち上げ、テトラポッドの下をカサカサと疾駆する。
「あーれー……」
鳴き声は徐々に消えていく。
「……え? 姉ちゃん、あの雌をどこへ?」
「釣りには餌がいるでしょ?」
チロは触角を揺らさず答えた。
スーは口をあんぐりと開け、姉の複眼を見つめた。
群れのフナムシ達は、電車内で狂人に出会ったOLの様に身を縮めた。
「母は強し、よ」
チロはそう言うと、鰓から小さく空気を取り込んだ。
スーの「ぜったい意味がおかしい」との呟きは、潮騒に打ち消された。
「アホ共! スーの言うことを聞けェ!」
「今後は登攀は無し! 餌は公平! 私は多めに貰うけど!」
「分かったら祈りなんか辞めて働けェ!」
「返事はァ!?」
「「はい」」
◇
フナムシの寿命は二年。
産まれては死に、死んでは産まれ。
テトラポッドの下の潮だまり、隙間には土左衛門。
頭部に赤い糸を撒いた赤褐色の大きな雄が潰れた青い半球に立つ。
背中の殻には十字傷。
その雄が錆びついた銀バッチに石をぶつけた。
「よし、今日の登攀者を決めるぞ!」
「聖母は君だ。カサンドラ」
大きな雄は、右触角に青い糸を撒いた雌を触角で示した。
「はいチロル様。光栄です!」
「私はこの日を待ち望んでいましたの!」
雌フナムシの複眼に光が宿る。
保育嚢には卵。
「さぁ、聖歌だ。皆で歌おう」
「今日は、聖母が天空へ旅立つ日!」
大きな雄――チロルは大仰に前脚を広げ、天空を仰いだ。
空からは、茶褐色の草が落ちてきた。
あるフナムシが見上げると――白い鳥
「「嗚呼、テトラポッド登攀」」
「「頂上先睨んで」」
「「海辺へ子を残そう」」
潮騒に小さく響くカンテ・ホンド。
聖なる教えは世代を経て、再び巡る。
「「嗚呼、嗚呼、子どもが私の殻に―」」
「「触角擦るとぉ」」
「「群れの暮らしは続く―」」
聖なる教えは消えない。
▼1話(フナムシの教えは廻る)
▼9話(フナムシは戻る)
