【金のテトラポッド登って】1話 移虫は夜の波止場に蠢く
【あらすじ】
――金のテトラポッドを目指せ
フナムシの姉弟、チロとスーは『金のテトラポッド』を崇める波止場へ辿り着いた。
老いた雄の山田さんが管理する潮溜まりで、二匹は用心棒として暮らすことに。
だが、その巣では、子を宿した雌たちが『聖なる登攀』と呼ばれる儀式へ送り出されていた。
生きるために戦う姉弟、掟に諾々と従う群れ。
浅瀬に囁く聖歌の中、小さき虫たちは何を信じるのか。
防波堤に煌めく金のテトラポッド。
聖なる登攀を終えると、子孫繁栄と極楽浄土。
◇
波が叩きつける夜の波止場。
二匹のフナムシがせかせかと駆ける。
よく動く足は十四本、触角は二本。
右の触角に赤いリボンを巻いた雌のチロは尾肢を振り上げ、後ろの雄へぶつけた。
「遅い遅い遅い遅い! 早くして早くしてッ! どんくさスー!」
雄のスーは走りながら、叩かれた大きな眼を触角でさわさわと労った。
スーの甲羅には、一本筋の傷跡。
「姉ちゃん、急かすなよ……別にカモメは夜にいないしさ……それに……」
スーは「んげェ」と口から、節くれだった黒い突起物を吐き出し、三本の足で摘んでみせた。
「俺たちには『牙がある』だろ?」
チロは触角でバシンと『牙』を叩き、スーの口へ押し戻した。
「あがっ!」
「バカバカスー! 『牙』はしまっときなさい! 使うのもったいないわ! 鰓が乾く前に早く行くのよ、早く」
チロは右の触角で、向かう先――テトラポッドの群れを示した。
「『金のテトラポッド』へ。早くしなさい!」
チロはそれだけを言うと、スーを置いてせかせかせかと向かって人工物の群へ駆けて行った。
「暴力反対! あっ早いよ、待ってよー」
スーの声は、波止場を叩く高波に消えた。
月と灯台の光だけが波止場を照らす中、二匹はテトラポッドの群れに着いた。
チロとスーは鰓から息を吐き出し、テトラポッドの上に立ち止まり、周りを見渡した。
ダパン、ザザー、と波が打っては消える。
「で、姉ちゃんどこだっけか?」
スーは複眼をキョロキョロとさせる。
見渡す限り、灰色の山々。
「母さんは『山田さんの所』って言ってたわね……あ、多分アレね」
チロは、右の触角をテトラポッドの下側――海と砂地の境界線へ向けた。
「あ、光ってる。あれか」
スーが複眼を向けた先には、小さな銀の光。
光の元は銀バッチ付きの潰れかけた赤い半球。
その近くには、
数々の光り物が着いた黒くて長い棒、
美味しそうな骨、
沢山の同胞。
同胞達は、海亀の卵のように集まって甲羅をこちらに向けていた。
「あー、ご飯あるじゃんご飯」
スーは骨を見て、大顎をカチャカチャと忙しなく動かした。
「いきなり食べるバカが何処にいるのよ、バカスー! まずは《《山田さん》》に挨拶ね」
チロはそう言って、近くにいたフナムシの背中を触角で軽く叩いた。
「こんばんはー! すみません山田さんに会いたいです!」
叩かれたフナムシは、ゆっくりと頭部を上げるとジロジロと複眼で舐めるように見た。
「……よそ者。しかも雌か……ほぉ」
その年老いた雌フナムシは鰓から息を吐き捨てた後、再び頭部を下げた。
「雌だからって何よ! その触角へし折るわよ?」
「ちょっと、姉ちゃん」
チロが尾肢で岩を叩き、スーは触覚で彼女を抑えた。
彼女は触角を震わせ、少し後ずさった。
「なんとか言いなさいよ! 無礼な態度を取ったのはそっちだからね! バカスー放せ! このバカ雌をぶっ飛ばさないと私は生きていけないわ!」
「辞めなよねーちゃん! この戦闘狂が! もー!」
二匹の声が伝播し、俯いていたフナムシ達が複眼や触角をこちらに向けてきた。
すると――
「……移住希望者かね?」
カサカサ、と歩く音のような声がした。
群れの真ん中から、少し黄色がかった大きな雄フナムシが出てきた。
殻はテラテラと光っている。
「雌は歓迎だよ。雌は」
彼は複眼をチロ、スー、と順に向けた。
「雄は……まぁ、君なら歓迎かな」
群れから「……金……登攀」「……卵……卵」と呟きが聞こえてきた。
「あなたが山田さんね。よろしくお願いします!」
「私はチロ、こっちのでかいのはスー。東の青灯台の下から来たわ」
「ちなみに、先祖はここの産まれよ」
チロは一気に捲し立てながら頭部を下げ、スーは静かに下げた。
「はははは……早くて聞き取れなかったけど……君たちは移虫だね? テトラポッドはまだ空いている。歓迎するよ」
山田さんはそう言うと、触角で石を掴み、銀バッチにぶつけた。
群れは一斉に視線を向ける。
「諸君、新しい仲間だ。祈りを止めて歓迎しよう」
「まずは……食事かな?」
山田さんはそう言って触角を三回回した。すると、若いフナムシ達が骨のかけらを持ってきてくれた。
「食べてくれ。幸運なことに肉もまだ付いているぞ」
「いただきまーす!」
チロはすぐさま骨にかぶりついた。
「あ、ありがとうございます。でも、こんなご馳走、いいんですか?」
スーは山田さんに問いかけた。
「もちろんだ。登攀にも、登攀のお供にも……何事も体力は必要だからね」
山田さんは灯台を見つめた。
「登攀?」
スーはかけらの一つを齧り、頭部を傾げた。
「そう登攀……聖なる儀式さ」
ダパン、ザザー、と波の音。
間隙にカモメの声が聞こえた。
フナムシの全てがカモメの声のする方へ振り向いた。
「え? ……なんで夜に?」
チロは触角を震わせ、小さな声で問いかけた。
それには、誰も答えなかった。
▼2話(フナムシは進むしかない)
