するり|風まかせ文芸部
「ほどけてるよ」
声をかけてくれたのは、見知らぬおじいさんだった。
誰かに突き飛ばされるように駅の改札を抜け、屋外に出たところ。
午前の会議、夕方の締め切り、頭の中は今日の段取りがひしめき合っていて、何を言われたのか一瞬わからなかった。
靴紐のことかと気が付いて、かがんで結び直す間に、おじいさんはもう雑踏の中へ消えていた。
お礼も言えなかった。
靴紐を結び終えても、私はそのまま立ち止まって空を見上げていた。
四月の空は、どこか水っぽい。薄い青に白がにじんで、雲と空の境目がわからない。
喧噪の合間を縫うように吹いた風が頬を撫でた。
ほどけていく。
靴ひもに続いて、朝から張り詰めていた何かが、するりと。
こちらは結びなおしてはいけないような気がして、私はたたずんでいた。
iさんの風まかせ文芸部に参加します。
