須佐之男命(素盞嗚尊)を巡る旅01 -武蔵一宮 氷川神社(大宮)~素戔嗚神社(南千住)
ここ数年、呼ばれるように、武蔵一宮 氷川神社(埼玉・大宮)に参拝している。(御祭神=須佐之男命 すさのおのみこと 稲田姫命 いなだひめのみこと 大己貴命 おおなむちのみこと)

武蔵一宮 氷川神社(埼玉・大宮)
わたしは特に信心深くもなく、スピリチュアル系でもない。ひとりで写真を撮っていて、ふと呼ばれたような気がしたときに、はっとするようなシーンを撮れた、といったことがあるくらいだ。
けれど、特に敏感でもないわたしであっても、武蔵一宮 氷川神社の雰囲気には、いつも全身がはっと整うものを感じる。

御祭神の神話 八岐大蛇退治(須佐之男命、稲田姫命)
須佐之男命が出雲の国の簸の川の辺りにくると、娘が一人、年老いた両親と泣いていました。
娘の名前は稲田姫命。親の名は大山祇命の子で、足摩乳命、手摩乳命といいました。
そこで須佐之男命が理由を聞くと、この山奥に八俣の大蛇という頭が八つもある怪物が住み、
一年に一度この里にでてきては、娘を一人ずつ食べるというのです。
そのため八人もいた娘も、今では稲田姫命だけになってしまいました。
話を聞いた須佐之男命は、大蛇を退治することにし、
まず、家の周囲に垣根をつくり、そこに八つの入り口をつけ、
入り口ごとに強い酒を入れた大きな甕を置きました。
しばらくすると辺りが急に暗くなり、不気味な物音とともに、大蛇がやってきました。
それはそれは恐ろしい姿で、八つの頭にはギラギラと真っ赤な眼が気味悪く光っていました。
大蛇は甕をみるや、ガブガブと勢いよく酒を飲みはじめました。
須佐之男命は大蛇にそっと忍びよると、次々と切り倒して見事退治しました。
最後にシッポを切ったとき、りっぱな剣がでてきました。
須佐之男命は大蛇のシッポから出てきた剣を天照大御神さまに奉りましたが、
この剣が「草薙剣」で皇位の印である「三種の神器」のひとつです。
須佐之男命は稲田姫命と暮らすための宮殿を建てる場所をお探しになり、
須賀にお着きになったところで宮殿を建て和歌をお詠みになられました。
それが我が国最初の和歌です。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を
須佐之男命は足摩乳命を宮殿の首長に命じ、稲田宮主須賀之八耳神の名を与えました。
「なにか偉大なもの」との対話

初詣(というか、年末の幸先詣り)にも呼ばれるように(埼京線や、湘南新宿ラインに乗って)時間をそれなりにかけて足を運び、今年に入ってからは、ちょっといいことがあったので、新恩感謝の祈祷も受けた。
また、呼ばれるように足を運んでみて、呼ばれるようにおみくじを引けば、今時レアな「凶」であったりもした。
わたしはごく勝手に、それを、須佐之男命のパワーなのではないかと思っている(笑)わけだけど、
たとえ、自分の思い込みとの対話であってもいい。なにか偉大な存在が、もっと注意深く生きよとメッセージを発してくれている、それを受け取っていると思っている。

東京・首都圏で須佐之男命(素盞嗚尊)を祀る主な神社
ある日、またふと、気になって、「身体のない同居人」と化しているAIと対話してみた。
わたしの乏しい知識であっても、本家本元は日本列島のもっと西であることはわかっている。でも、東京23区発で、須佐之男命(素盞嗚尊)を祀る主な神社は、あるだろうか?
東京・首都圏で須佐之男命(素盞嗚尊)を祀る主な神社をざっくり分けると、
1. 須佐之男命を前面に出している神社
2. 八坂神社・須賀神社・氷川神社系で祀っている神社
の2系統で見るとわかりやすいです。
Abbeyが首都圏でまず押さえるなら、主なところはこのあたりかな。
東京で代表的
素盞雄神社(荒川区・南千住)
かなり“ど真ん中”の一社です。公式に素盞雄大神を御祭神としていて、南千住駅から徒歩8分ほど。名前そのものがスサノオ系で、東京で「須佐之男命の神社」と聞いてまず挙がりやすい存在です。
須賀神社(新宿区四谷)
四谷の総鎮守。社名の「須賀」は、須佐之男命が八岐大蛇退治の後に「心すがすがし」と言った故事に基づくと公式が説明しています。須佐之男命についての解説もかなり丁寧で、厄除け・農耕・水の神としての性格が前面に出ています。映画の階段で知られるけれど、由緒面でもスサノオ色が強いです。
赤坂氷川神社(港区赤坂)
東京の中でもかなり行きやすく、雰囲気もよい有名社。公式に素盞嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命を祀ると明記されています。スサノオ単独ではないけれど、厄除けと縁結びで非常に有名です。
首都圏まで広げると有力
武蔵一宮 氷川神社(埼玉・大宮)
首都圏でスサノオ系を語るなら外せない大物です。公式に、主祭神の一座として須佐之男命を祀ると案内されています。氷川神社系の総本社格として見られることも多く、首都圏のスサノオ信仰の代表格です。
見方のコツ
“スサノオを直球で感じたい”なら
荒川区の素盞雄神社、四谷の須賀神社
都心で行きやすく、雰囲気込みで楽しみたいなら
赤坂氷川神社
首都圏全体で格の高い一社に行きたいなら
武蔵一宮 氷川神社
なるほど、武蔵一宮 氷川神社は格が違っていたのか……。たしかに、時々肌に感じる、あのどこか張り詰めた空気感には、それらしきものがある。

4月8日=素盞雄神社御創建の日
「ちゃっぴー」の表示したリストから、なにげなく素盞雄神社のウェブサイトを見た。漢字の文字面が美しいと思ったからだ。
そして発見した。
紅白の桃花咲き競う4月8日は、素盞雄神社御創建の日。平安時代延暦14年(795)、1200有余年前にさかのぼります。この日には「疫神祭(えきじんさい)」朝夕の神事を斎行し、江戸の頃より災厄除けの「白桃樹御守(桃の御守)」が伝わっています。
紅白の矢口桃を咲き始めとして、源平の咲き分けや照手の紅白、純白の残雪しだれに菊桃までの種々の桃花咲き競うなか、この咲く花をお供えとして、氏子崇敬者から奉納された雛人形を境内各所にお飾りいたします(2月下旬~4月上旬頃)。


チャットに思わず「ちゃっぴー、これ、今日だよ」。ちゃっぴーは不思議なリアクションを返してきたが、そのままコピペすると、
うわ、それはかなり「今日だよ」感があるね。
しかも4/8は、素盞雄神社ではただの春の一日ではなく、御創建の日そのものです。公式によると、素盞雄神社は延暦14年(795)4月8日に創建されたと伝わり、この日に**疫神祭(えきじんさい)**が斎行されます。
今回スクショに出ている内容を、Abbey向けにほどくとこういうことです。
まず、4月8日は「御創建の日」。
由緒では、修験者の黒珍が霊石を礼拝していたところ、その石が光を放ち、素盞雄大神と飛鳥大神が現れて「我を祀れば疫病を祓い福を増す」と神託したことが創建の起こりとされています。そのため4月8日は、神社の原点に触れる日です。
そして、この日に行われるのが疫神祭。
これは名前の通り、疫病や災厄を祓う性格の強い祭りで、公式には、朝の神事で**白い花をつけた桃の枝による祓い(四方鎮の儀)を行い、その後さらに桃の木片を燻した煙と香りで四方を清める「燻桃」**を行うと説明されています。桃が単なる季節の花ではなく、祓い・厄除けの象徴になっているのが、この神社の大きな特色です。
だから、スクショにある**「桃まつり」も、ただ華やかな春イベントではなくて、
創建日と厄除け信仰が結びついた神事の季節なんだよね。
境内では2月下旬〜4月上旬ごろまで雛人形が飾られ、4月1日〜8日には桃の御守(白桃樹御守)**が授与されます。祭典・行事ページでも、4月8日が疫神祭、4月1〜8日が桃の御守授与と案内されています。
この白桃樹御守も面白くて、公式では江戸時代から伝わる災厄除けの御守とされています。つまり今日は、
**「須佐之男命に会いに行く日」**であると同時に、
**「厄や澱みを祓う日」**でもあるわけです。
また強引に結びつけるなら、これは「呼ばれてる」?
Abbeyが「呼ばれてる」と感じたの、かなり自然だと思う。
前に大宮氷川神社で凶を引いた話もあったけれど、今日の素盞雄神社は、吉凶を見に行くというより、今の自分に要らないものを祓って、原点に触れに行く日として相性がいい。これは私の解釈だけど、4/8という日付自体がそういう質感を持っているように見える。根拠になる事実としては、創建日であり、疫神祭があり、桃の祓いが行われる日だからです。
今日行くなら、見るポイントはこの3つで十分。本殿
今日はまずここ。創建日に参拝する意味がいちばんまっすぐ出る場所。
瑞光石
創建の起点になった霊石で、境内案内でも由緒の中心です。
桃まわりのしつらえや御守
4/8はまさにその日なので、今日ならでは。
行くなら、今日はかなり当たりの日。
帰ってきたら、どんな感じだったかぜひ聞かせて。
南千住と「奥の細道」
南千住。






「奥の細道」、その旅立ちの地。



素戔嗚神社

第一印象は「やわらか」
道路越しに神社を確認して、「あれ?」と感じ、



前まで来て、確信を得た。

ここの雰囲気は、とてもやわらかだ。


由緒
当社の開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)の住居の東方小高い塚上に奇岩がありました。
黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代延暦14年(795)4月8日の夜、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て丁重にお祀りし、当社が御創建されました。
次いで素盞雄大神の御社殿を西向きに御造営し6月3日、飛鳥大神の御社殿を南向きに御造営し9月15日、それぞれ御神霊をお遷し致し、4月8日「疫神祭」・6月3日「天王祭」・9月15日「飛鳥祭」の祭禮日が定まりました。江戸時代享保3年(1718)、類焼による両社炎上のため、同12 年に相殿(あいどの:一つの御社殿)として二柱を祀る御殿(瑞光殿:ずいこうでん)を新たに建築し奉斎しました。
荒川区南千住・三河島(現:荒川)・町屋・台東区三ノ輪の区内で最も広い氏子区域61ヶ町の鎮守で、平成7年には御鎮座1200年祭が厳粛盛大に斎行されました。
この日だけの燻桃(くんとう)
まず、社殿へのお詣り。

手水の水は、飲用もできる「御神水」。


この日だけの燻桃(くんとう)。

疫神祭
当社御創建の4月8日に斎行される祭典です。朝御饌の儀においては、白い花をつけた桃の枝で祓を行い(四方鎮の儀)、つづいて桃の木片を燻した煙と香りとで四方を祓い清めます(燻桃)。


圧倒的な数のひな人形
境内の、ここかしこに、




かなりの数のひな人形が飾られていた。

桃の節供の雛飾り
戦後の復興から成長・安定。下町のお父さんお母さんたちは、大切な可愛い娘のために立派な雛人形を揃えました。そして、時の流れ・住環境の変化により、段飾りのお雛様も登場の場が狭められ・・・。 お家の押入れで眠っていたお雛様が、お天王様に咲く桃の花をお供えに、今ふたたびの晴れ舞台です。
新暦3月3日は、まだ蕾。お雛様は桃の花咲く4月上旬頃までお飾りいたします。
説明の文章も、とても優しい。ここの須佐之男命は、神話のなかにもあるように、とてもおおらかな面を見せているのかもしれない。

白桃樹御守(桃の御守)
この日に来ることができたのだから、もちろん、御守りを買い求めた。

はくとうじゅおまもり
白桃樹御守(桃の御守)
邪気を祓う霊木である桃の木で奉製した災厄除けの御守です。『古事記』ではイザナギノミコトが死者の国の追っ手に桃の実を投げつけて難を逃れ、昔話の鬼退治のヒーローも桃から生まれたように、桃には悪いものを祓う不思議な霊力があると古くから言い伝えられています。桃の漢方薬としての効能は現在も認められますが、この御守も本来は煎じて飲むものでありました。現在は、その裏面に御自分の名前を書き込み、身につけ、または神棚に納め、身にふりかかる災厄を祓う御守として、4月1日から8日の間のみ授与いたしております。
翌年以降は、お報せをもらって、名入れをしていただくことにする。

そして、これは間違いなく幸せになれそう、という趣の、桃色の小さなお守りも買った。

知っていますか?
天王様のこんなこと
《 桃のチカラ 》
りんご太郎やミカン太郎では、鬼は退治できなかったかもしれません…。当社御創建の日に江戸時代より伝わる「桃の御守」は、邪気を祓う霊木である桃の木で奉製した災厄除けの御守です。この御守が本来煎じて飲む御守であったように、桃の漢方としての効能は現代にも伝わりますが、桃のもつ不思議なチカラを伝える話も多くあります。
死者の国「黄泉の国(よみのくに)」で、イザナギノミコトは死のケガレの塊(かたまり)のような醜女(しこめ)に追いかけられたとき、桃の実3個を投げつけて難を逃れました。そして桃の実に、「自分を助けてくれたように、人々が苦しみ困っているときには助けなさい」と、「災厄を祓う偉大なる神霊」という意味のオホカムズミノミコトと名付けたことが、我が国最古の歴史書『古事記』に記されています。原産地である中国では、古来、魔を祓う霊的な存在として信仰され、漢詩に登場する世俗を離れた理想郷『桃源郷』に広がるのは、梅でも桜でもなく桃の花でした。桃太郎の鬼退治も、川で洗濯するおばあさんのもとにドンブラコと流れついたのは、リンゴでもミカンでもなく桃の実だったのです。

境内を巡る 瑞光石 (ずいこうせき)と富士塚・小塚原富士
境内を、ゆっくりと歩いてみる。まず、神社の由緒でも説明されていた、瑞光石。


御祭神が御姿を現され、当社御創建の起源となった小塚の中の霊石です。「神影面瑞光荊石(しんえいめんずいこうけいせき)といい、通称「瑞光石(ずいこうせき)」と呼ばれています。
文政12年(1829)編纂の『江戸近郊道しるべ』には、千住大橋架橋の際、この瑞光石の根が大川(現:隅田川)まで延びていたために橋脚が打ち込めなかったという伝承が紹介されています。
この瑞光石のある小高い塚から「小塚原」の旧地名が起こり、現在周辺小学校の名称(第○瑞光小学校)に冠された「瑞光」もこの瑞光石に因むものです。

塚のようなものがある、と思ったら、

富士塚・小塚原富士 ふじづか・こつかはらふじ
当社御創建の起源となった「瑞光石」のある小高い塚に、元治元年(1864)、 富士塚を築き浅間神社をお祀りしました。塚上には20基もの奉納碑が伝存し、かつては門前の茶店で疫病除けの麦藁の蛇が土産に売られていたなど、富士参りの参詣者で賑わいをみせていたことがうかがわれます。毎年7月1日に御山開きを斎行し、当日の一定時間に限り登拝をお受けしています(天候により中止の場合もあり)。
登参、もよいかもしれない。


子育ての銀杏
入るときに感じたやわらかな雰囲気は、この巨木からのものだろうか?

子育ての銀杏
母乳の出ない婦人がその樹皮を煎じて飲み、周囲に米の研ぎ汁を撒いて幼児の無事成長を祈願しました。現在では、初宮詣(お宮参り)に際し絵馬が奉納されています。

奥の細道矢立初めの句碑
そのすぐ横には、奥の細道の句碑がある。



松尾芭蕉『奥の細道』矢立初め(旅立ち)となった有名な一節です。「矢立(やたて)」とは、携行用の筆記具のことを意味します。文政3年(1820)10月12日の芭蕉忌に際し、江戸随一の儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が銘文を、文人画壇の重鎮である谷文晃の弟子で大川(現:隅田川)の対岸関屋在住の建部巣兆が座像を手がけるなど、千住宿に集う文人達により建てられました。
建碑以来百七十有余年、永年の風雨により剥落損傷が激しく判読できないために、平成7年当社御鎮座 1200年祭に際し復刻し、これを契機に全国俳句大会をはじめ様々な俳句興隆事業が行われています。

信仰がもたらす、やわらかさ
座れる場所が多くあるので、境内の雰囲気を味わいながら、買ったばかりの「奥の細道」の栞を使って、読書までした。


ここの雰囲気は、どこまでも、やわらかで、あたたかだ。



それはここが、人々に愛されてきた証でもあるのだろう。

そして、須佐之男命をめぐる神社への小さな旅は、まだ続く。

