【第2回】なぜロッテルダムだったのか? 欧州市場を攻略する「3つの魔法」と信頼
ヨーロッパに子会社を設立し、コンテナ単位で予測生産した機械を送り込む。 この大航海をどこから始めるのか。拠点の選定は死活問題だった。
数あるヨーロッパの国の中から、なぜ私はオランダを選んだのか。
そして、なぜ首都アムステルダムではなく、ロッテルダムだったのか。
子会社設立に向けた計画が動き出した週、私は財務の石田と右腕の早川に、その3つの理由を告げた。
「第一に、歴史と直感だ」 私は言った。
石田が少し意外そうな顔をする。
「400年前、鎖国していた日本が、唯一ヨーロッパに開いていた窓がオランダだった。出島を通じて『蘭学』を学び、それが後の日本の近代化の礎になった。我々のような地方の小さな製造業が、初めてヨーロッパという未知の大陸に拠点を構え、世界へ打って出る。ならば、かつて日本が西洋に学んだ最初の地、オランダから始めるべきだ。そんな強い直感があった」
「なるほど、感情論のようですが、不思議と理にかなっている気がします。では、実務的な理由は?」
石田が尋ねる。
「第二に、圧倒的な物流網だ。
コンテナで機械を運び込む以上、欧州最大の港であるロッテルダム港の存在は絶対条件になる。ここを拠点にすれば、24時間以内にヨーロッパの最も巨大な消費者市場の95%に直接アクセスできる。我々の製品を欧州全土へ届けるための最強のローンチパッド(発射台)になる」
早川がノートに書き込む。
「確かに。では第三の理由は?」
「言語と人材だ。オランダは非英語圏で世界一の英語力を誇る。
さらにロッテルダムにはエラスムス大学などがあり、優秀で多様な若手が集まっている。我々のような日本の中小企業が、オランダ語を一から学ばずとも、英語だけで即座にビジネスを回し、トップクラスの人材を採用できる。これ以上の環境はない」
私の言葉を聞き終えると、早川が目を輝かせてノートをめくった。
「社長、その直感はどうやら正しかったようです。先日のミーティングで、現地の会計士からオランダ特有の驚くべき制度について教えられました」
「制度?」
「第23条(Article 23)という輸入ライセンスです。
通常、商品が欧州の税関に到着すると、輸入者は付加価値税(VAT)を前払いし、後日申告で還付を請求します。
しかしオランダでこの第23条を利用すると、前払いを完全にスキップできるんです。税務署に還付を待たされることなく、現金は我々の手元に留まります」
「おお。それはキャッシュフローの助けになるな」
「はい。もう一つあります。他のEU加盟国のVAT登録顧客に販売する場合、『域内供給(Intra-Community Supply)』が適用されます。
請求書上のVATはゼロになります。オランダ国内の顧客に対しては、通常通り21%のオランダVATを請求します」
「つまり、ドイツ、ベルギー、フランス、フィンランドなど、ヨーロッパの大多数の顧客に対しては、請求書にVATが乗らないわけか」
私は早川を見た。1時間前よりも全体像がはっきりと見えてきた。
しかし、石田が私の前に一枚の紙を置いた。
「毛利さん。
税制が有利でも、初期投資として約6万5千〜7万ユーロが必要です。
そして本当の恐ろしさは『キャッシュ・コンバージョン・サイクル(CCC)』の長期化にあります」 彼は数字を書き込んだ。
「コンテナ1本にモデルAを5台、Bを3台、Cを2台積むとします。
日本の本社は、製造変動費13万2千ユーロと輸送費5千ユーロ、合計約13万7千ユーロを先出ししなければなりません。
受注生産の時はすぐに入金がありましたが、今回はこの現金が『洋上の在庫』として数ヶ月間拘束されます。
初期投資に加え、コンテナ1本ごとに約14万ユーロのキャッシュが寝る計算です」
「石田さん、だからこそ我々は売り方を変える」私は答えた。
「どういうことですか?」
「子会社は、ロッテルダムに機械が到着するのを待つ必要はない。
製造中、あるいは海上輸送中の段階で、我々の強力なセールスパイプラインを使って販売を確定させる。
そして、成約時に顧客から50%の前受金(デポジット)をお願いするんだ」
早川が横で計算を始めた。
「コンテナの総売上見込みが33万ユーロ。
もし到着前に半分の5台を売り、その50%を前受金として受け取れば……
8万2,500ユーロが、機械が到着する前に子会社の口座に入りますね」
「そうだ」私は頷いた。
「ただし、このキャッシュを毎回即座に本社へ全額送金させるわけじゃない。重要なのは、キャッシュ・コンバージョン・サイクルを高速で回転させることだ。
得られた前受金を子会社自身の当面の運転資金に充てることで現地の資金繰りを潤沢にし、同時に本社の先行投資に対する未回収リスクを実質的に相殺していく。
このサイクルを早く回せば回すほど、子会社と本社、双方のキャッシュフローが劇的に改善する。そうやって資金ショートの危険を減らしながら、次のコンテナへと事業をスケールさせていくんだ」
「さらに、予測に基づき10台分の部品をまとめて調達することで、製造の変動費は段階的に数ポイント下げられる。利益率は上がるんだ」
石田は眼鏡の奥で目を細めた。
「なるほど。それが成立するのは、次のコンテナ、その次のコンテナへと、常に商談のパイプラインを満たし続けられる場合のみです。サイクルが止まれば、たちまちキャッシュは干上がります」
「だから、6ヶ月以内の損益分岐点(break-even)達成を絶対条件とする」私は言い切った。
「もう一つあります、社長」早川が数ページ前に戻った。
「ロッテルダム港を使う最大のメリットです。先週、貨物運送業者に問い合わせました。現在、ヨーロッパの顧客に機械を1台単独で出荷する場合、1台あたり約3,500ユーロかかっています」
「そんなに…」
「これが変わります。神戸からロッテルダムまでの40フィートコンテナは約5,000ユーロです。このコンテナに製品を10台積むことができます。
となると、1台あたりの海上運賃は500ユーロ。ロッテルダムでの固定費や現地配送費を加えても、すべて込みで1台あたり約1,000ユーロに収まります」
「それが直接、顧客への請求額に反映されるわけだな」
私は早川が書き留めた数字を見た。
これまでにないほどシンプルな計算だった。
「早川。ヨーロッパを6ヶ月以内に黒字化させよう」
この打ち合わせ中、早川のペンが止まることはなかった。
歴史的直感から選んだ立地は、税制の優遇と、劇的な物流コストの削減をもたらした。
しかし、ロッテルダムに拠点を構える最大の理由は他にあった。
それは「物理的な存在(Physical Presence)がもたらす圧倒的な信頼」だ。
現地に法人を登記し、ショールームを持ち、ユーロで決済する。
もはや我々は、海を越えて送金させ、製品を8週間待たせる得体の知れないアジアの輸出業者ではない。
出島の時代から続くオランダの地に根を下ろし、現地の法に則り、彼らと同じ市場に確かに存在する「対等なビジネスパートナー」としての資格を得たのだ。
この見える信頼こそが、ヨーロッパでの商談における最大の障壁を打ち砕く武器となるはずだった。
この記事は、ある中小企業がいかにして欧州に自らの船(ビジネス拠点)を築き、スケールさせていったかを描く3部作の第2回です。
いよいよ次回、最終回を迎えます。
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