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危険物取扱者(´・ω・`)

——雨上がりの帰り道に、虹が、出ておりました(´・ω・`)

虹が出ていた、というだけのことです。だけのことですが、書き出しというものは、たいてい、書くほどでもないところから始めた方が、収まりがよろしい。これも、長く文字を打ってきた人間の身も蓋もない経験則ではあります。

——その帰り道、というのが、ある試験の帰り道でした。

危険物取扱者、という試験をひとつ、受けてまいりました。乙種第四類、というやつです。世間ではガソリンや灯油の類を扱うための資格、とだけ申し上げれば、およその察しはつくかと思います。試験の中身については、ここでは、これ以上触れません。触れませんが、ひとつふたつ、帰りの虹を見ながら、ぼんやり考えていたことがありました。

——ものが燃えるかどうか、という話です。

ものが燃えるのは、そのものに「燃えやすさ」という性質があらかじめ貼り付いているからだ、と、私はなんとなく思っておりました。ところが、どうも、そうではないらしい。引火点、発火点、可燃性蒸気。要点だけ頂戴して申しますと、温度と、濃度と、酸素と、そういう条件がたまたまある一点で揃ったときに、ふっと、火がつく。燃えやすさは、ものの側に座っているのではなく、条件がこちら側で揃った、その瞬間に立ち上がる。——なるほど、と思いました。

もうひとつ、覚えたことがあります。濃ければ濃いほどよく燃える、というものでもないらしいのです。濃すぎると、今度は酸素が足りなくなって、燃えない。可燃性の蒸気でみっちり満たされた、栓をした容器の中。あれは、燃えるものが足りないのではなく、燃えるものが多すぎて、火がつかない。——薄くても燃えない。濃すぎても燃えない。燃えるのは、おおよそ、一・四から七・六パーセントの、その狭い範囲にちょうどよく薄まった、つかのまだけ、なのだそうです。なるほど、と、もう一度思いました。思っただけで、それ以上のことは、特にありません。

虹のほうも、たぶん、似たようなものです。虹は、空のどこかに貼り付いて待っているわけではない。虹は、空のどこかに貼り付いて待っているわけではない。飽和蒸気圧を超え、均衡が崩れた空で、陽を背にした私が、ある角度に立った、そのときだけ、私の前に立ち上がる。私が一歩動けば、虹も、動く。——これも、置いておくだけにします。語ると、野暮になる種類のものですから。

——もっとも、私のこの手記には、危険物取扱者の資格は要りません。

巷には、ひと撫でで派手に燃え上がる文章が、いくらでもございます。不謹慎だの、マーケティングだの、陰謀論だのと、火源を近づけた瞬間に、四方からよく燃える。それはそれで、結構なことです。結構なことですが、私の書くものは、どうやら、火を近づけても、自然に燃えるということもなく、しばらくぼうっとしているだけで、なかなか燃えません。燃えなければ、取り扱うのに資格は要らない。——ただの気まぐれで、たまには乾いた数字でも眺めたくなって、勉強がてら受けてみた。それだけのことです。

——と、書いておいて、私のもう一人が、雨上がりの蒸気の向こうから、袖を引きます。

——本当に、気まぐれかね、と。乾いた数字に、何か掴まりたかっただけではないのかね、と。鋭い指摘です。鋭いので、半分だけ認めておきます。よろしい、掴まりたかった、ということにしておきましょう。湿った何かに掴まるよりは、乾いた数字に掴まるほうが、まだ、後腐れがない。

——さて。物質的な危険物の話は、ここまでです。

ここから先は、試験には出てこない種類の、もっと厄介な精神的な危険物の話になります。いちばんよく燃えるものは、たいてい、試験には出てまいりません。

——私はかつて、よく、燃えておりました。

「世界を、なんとかしなければならない」。そういう種類の火です。止まることを、自分に許さない。少しでも歩みを緩めると、何か取り返しのつかないことが起きるような、そういう焦げ臭い焦りが、年中、私の中でくすぶっておりました。今にして思えば、なかなかによく燃える上等な燃料を、私は抱えていたものです。

ただ、この火は、たぶん、最初から私のものではありませんでした。どこかの誰かが、善意で、私の中に種火を置いていった。置いていかれたほうは、それを自分の火だと思い込んで、後生大事に煽り続ける。——善意の種火、というのは、この世にいくらでも流通しております。私もまた、誰かに同じ火を手渡してきたはずです。

——それは信念だったのか。

それとも、受け取った火を自分の火と思い込んでいただけなのか。私のもう一人は、ここでも静かに、値踏みをします。判然とは、しません。判然とさせる必要も、もう、ありません。

——ある時期、その火が、消えました。

劇的な消え方ではありませんでした。台所の火が立ち消える、あの程度の静かさです。燃料が尽きたのだろう、と私は思いました。燃やすだけ燃やして、もう、薪がない。あとには、消し炭だけが残った。——そう、思っておりました。

その消し炭が、炭火ではないかと恐る恐る確認しながら、恐る恐る、その消し炭を握りしめて——安堵というには少し割り切れぬ、しかしおそらくは安堵であろう感情を抱いたのです。

——火が消えたことを、まるで手柄のように、書くな。

もう一人が、また、釘を刺します。ただ、燃料が尽きただけかもしれぬではないか、と。おっしゃる、とおりです。手柄でも、悟りでも、ありません。煽る薪が尽きて、消し炭になった。それだけのこと。——と、その時は思っていたのです。

——ところが、火が消えてみますと、これが、案外、悪くない。

これは強がりではありませんので、よく読んでいただきたいのですが、本当に、悪くないのです。茶を淹れます。本を読みます。何かになろうとも、しなくなりました。学者でも、商人でも、職人でも、なにものでもなく、しかし、どれの匂いも、うっすらと、する。どれかひとつの名札を立てようとすると、その名札のあたりから、また、ちりちりと焦げ臭くなる。だから、名札は立てません。立てないでいると、燃えるものが、ない。

——これは、安らぎか。

それとも、煽るのをやめた火が、ただ、冷えて固まっただけなのか。

——私のもう一人は、湯気の向こうで、欠伸をひとつ。見分けは、つかぬぞ、と。

見分けは、つきません。本当に、つかないのです。冷えて固まった消し炭なのか、火を必要としなくなったただの木炭なのか。内側からは、案外、見えないものなのです。

——ところが、先日、茶を淹れながら、ひとつ、妙なことに気づきました。

昔の私は、湯を沸かすあいだ、何度も蓋を開けて、中を覗いておりました。早く沸け、まだか、と。沸いてからも、一杯ごとに、茶葉をきっちり量っておりました。前のめりの、せわしない、いかにも燃えている人間の手つきです。——その手続きを、私はいつのまにか、ひとつもしなくなっておりました。いつ、やめたのか。覚えが、ありません。

覚えがないのに、変わっていた。

——そこで、ふと、おかしなことに思い至ったのです。

覚えのないところで、手つきが少し違っていた。しかも気づいてみれば、どうやら、つい最近のことではない。ずいぶん前から、そうだったらしい。

となると——あの時の消し炭というのも、怪しいものです。

消し炭、というのは、薪のなれの果てのひとつです。燃やして、燃やし尽くして、あとに残る何か。私は、自分の中の火を、ずっと薪をくべる焚き火のような何かだと、思い込んでおりました。燃える、燃え尽きる、消し炭が残る。——疑いもしませんでした。

——ところが、です。

試験勉強の最中、ガソリンだの灯油だのの話を、さんざん読まされているうちに、その見立てのほうが、どうも怪しく思えてまいりました。あの火は、薪の火ではなかったのではないか。液体の上に蒸気が立ちのぼって、そこに、ふっと点いていた類の火だったのではないか。——だとすれば、です。火が消えたあとに残るものは、消し炭ではありません。充分な蒸発をしていない液体と、缶です。中身の入った、缶。

火は、燃え尽きて消えます。けれど火には、もういくつか、消え方がある。——空気を断てば、消える。中身がいくら残っていても、です。むしろ、満タンのまま栓をしてしまえば、蒸気が濃すぎて、火のつきようがない。試験帰りに、なるほど、と思っただけで通り過ぎた、あの、栓をした容器の話が、ひと足遅れて、台所まで追いかけてきたのでした。

私は、燃え尽きたのではなかったのかもしれません。どこかの時点で、自分で、栓をしていた。火が消えたのは、それ自身が尽きたからではなく、空気を断ったから。中身は——こう、かたむけてみれば、ちゃぷん、と鳴る程度にはございます。減ってすらいないのかもしれません。

——消し炭が缶に化けるとは、ずいぶん都合のいい話じゃないか。

もう一人が、呆れた顔をします。ただの、やかんの話だろうに、と。

——おっしゃる、とおりです。比喩というものは、たいてい、話の都合でできております。ただの、やかんの話です。ただのやかんの話で、よろしい。

——もっとも、栓をしたまま置いておく、というのは、扱い方のひとつにすぎません。

栓を抜いて燃やす、という扱い方もあります。というよりも、燃料としては、それが正しい。自動車なり、発動機なりに注ぎ分けて、火を入れる。燃やして、何かを動かす。人を、運びもする。排気も出ますし、扱いを誤れば惨事も起きます。しかし、現に、世界のどこかで役に立つ。立派な、扱い方です。私が、それをしなくなった、というだけのこと。不要になったそれを入れ、栓をした缶が、自動車より利口だ、などということは、断じて、ありません。同じ、よく燃える中身を抱えていて、片方は注いで燃やし、片方は栓をし、日の当たらぬところで、通気の良いところで、涼しげに置いている。ただ、それだけのことです。

——ずいぶん、物分かりのいいことを書くじゃないか。

もう一人が、湯気の奥から、薄く笑います。燃やし続ける連中を、内心、半分は見下していたくせに、と。……滅相もない。ただ、正直を申せば、栓をした自分のほうが、いくらか静かで、賢いような気がしていた時期もあります。していたことを、ここに書いておきます。書いておかねば、嘘になる。——同じものを抱えていて、必要であるが故に、燃やす人と、不要であるが故に、栓をする者がいる。それだけのことなのに、栓をした側は、つい、利口面をしたがる。私も、しておりました。

——閑話休題。栓の話に、戻します。

ただ、その栓が、知らぬ間に、ほんの少し緩んでいたように感じました。

感じましたが、それをどうこうしようという大層な気は、起きませんでした。締めにかかるでもなく、開けにかかるでもなく。——かつての私なら、たぶん、ひと騒ぎしていたはずです。緩んだ、ふさがねば、それともまた、燃やすべきか、と。

世界を、なんとかしようとしていた頃の私は、何にでも大層な工夫を用意しておりましたから。その大仰な算段が、いつのまにか要らなくなっていた。後に残ったのは、湯を沸かして、茶を淹れて、飲む。ただ、それだけの手つきです。

栓をどうしたのか、と問われれば——さて、私は、ただ、茶を淹れておりました、としか申し上げられません。

——変わらなさで、よろしい、などと、私はどこかに書いた覚えがあります。同じ手つきの、その変わらなさがありがたい、と。書いた当の本人が、消し炭だとばかり思っていたものが——缶だったと、満タンのまま栓をした入れ物だったと、気づく。しかもその栓まで、いつのまにか緩んでいるように感じたのです。——おかしなものです。冷えて固まった消し炭だ、とばかり思っていたところに、何かが、ずっと満たされたまま、待っていたらしい。

緩んだ栓のことを、私は誰にも報せません。報せる必要も、ありません。報せたところで、缶の中身が何であるかは、誰にも読み取れない。読み取れるとすれば、それはもう、こういう手記のようなものでしょう。——変わっていた。それでも、よろしい。むしろ、変わっていて、よろしいのです。

——湯が、沸きました。

茶でも、淹れることにします。湯を沸かして、茶を淹れる、この手つきだけは、燃えていた頃の私も、消し炭だと思っていた今の私も、たぶん、似たような速さでやっているのでしょう。——いえ、それも、もう、怪しいものです。怪しいまま、置いておきます。

——虹がまだ出ているかは、もう、確かめません。

(´・ω・`)🍵

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