『夜と霧』
極限状態の中で、人は何をもって人たりえるのか
人であるとはどのようなことか
6,7割は読むに堪えないホロコーストの実態の数々が述べられていて、しんどい。
「右に行け」と言われた人が殺され、「左に行け」と言われた人が生き残る世界。ほとんど骨と皮でできた身体となり、シラミに吸われる毎日。食事はほぼ具のないスープとパン1切れが毎日。歯磨きもできない。服は布切れで防寒具もない。わずかでも隊の動きが乱れると殴られ蹴り飛ばされる。重労働を毎日10~12時間させられる。体調を崩すことは働けなくなる、つまり使い物にならなくなるから殺されることを意味する。看守たちからは番号扱いされ、人ではなく家畜を見る目で見られる。
そして生死を分ける瞬間・判断せねばならぬ状況が連続してやってくる。
その精神的苦痛は計り知れない。
その描写の後に、
では、人間の自由はどこにあるのだ、あたえられた環境条件にたいしてどうふるまうかという、精神の自由はないのか、と。(中略)とりわけ、人間の精神が収容所という特異な社会環境に反応するとき、ほんとうにこの強いられたあり方の影響をまぬがれることはできないのか
収容所内の生活は、あらゆることが限界以上になっていただろうことは容易に想像できる。常に感じる空腹と猛烈な眠気は人を短気にさせる。または、無気力にさせる。いつ命がなくなるか分からない。そのような状況では、自分の精神がいつ崩れてもおかしくない。すべてを諦めて、自死を選ぶ人も多くいたとのことだった。またクリスマスには病死者が多く出たそうだ。クリスマスにはここを出られるだろう、という希望がないと分かり絶望したからだ。だが、そのような状況下にあっても、と、フランクルはこう記述している。
こうした疑問に対しては、(中略)人間には「ほかのやりようがあった」ことを示している。(中略)人間は(中略)このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。
つまり、そのような中でも、精神だけは自由なのだという。
明日死ぬかもしれない、肉体的な苦しさしかない状況下で、人にやさしい言葉をかけること。思いやりの行動を起こすこと。人を庇うこと。人を思うこと。そうした選択ができるのだと言っている。
そしてそれを決めるのは、ほかでもない自分だと。
この言葉に、果てしない重みを感じる。
人間が人間であるとは、その精神性である、と言っているのだ。肉体がどのようになろうとも、その尊厳は、その火は絶やしてはならないと言っているのだ。
ホロコーストによって、人々は分断されていただろう。支配する側は思い上がり、暴力をふるうことに対する痛みを失っていく。支配される側は、その尊厳を失っていく、あるいは権力にすり寄りマヒしていく。そして同胞にたいして残虐になる。
そのなかで、優しさや誇りを失わなかった人々がいたというのだ。
それは、被収容者の中にも、親衛隊員の中にもいたという。
フランクルはさらに、そうした尊厳を保ち、生きる意志を持ち続けた人の特徴を述べていた。それは、『自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間』と判断している。そうした人間は『自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ』と。(『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル p.134)
愛する妻がいる人、子どもがいる人。やり残した仕事。そうしたものを持つことで希望が湧いてくるとのことだった。
そしてこれも、自分の精神の問題である。それを選択して、自分で希望にする意思。「死ねない」のだ。絶対に、生きて帰ると決めるのだ。
世界は今、不安定になっていると言えるだろう。大国が様々な場所で戦争を仕掛けていて、小国はその下でどのように生き延びるかを必死で模索している。アメリカはもはや世界の警察を降りている。つまり権力図が不安定になっているということだから、次に強く出るのはどこか。
日本の状況も、良くはない。見えないところで人々の思想の分断が生まれているのではないかと考えている。あるいは半分以上が無関心で、今の状況に対して何も考えていない、ずっと平和が続くと思っているように思う(日本人のこの無関心さは本当によくないと思っている。目を閉じて空想のお花畑を見ているだけに思うから。これもアメリカの思惑通りかなあ)。
だが、世界は今まで以上に加速している。そうした中で、身近に生死を分ける判断をしなければならない状況が来るかもしれない。それを想定せざるを得ない状況だと思っている。
そんな時、わたしは果たして、人の尊厳を失わなかった人々と同じように行動できるだろうか。
人としての気高さを保てるだろうか。
いや、保つのだ。
それを決めるのは自分だから。
また、極限状態でなくとも、この精神性は表れると思う。
生活の中で。
毎日の仕事の中で。
家族や友人と話す中で。
極限状態でなければ、人間の精神性とは?などといったことを考えないかもしれない。だが、フランクルは精神性は環境に依拠しないと言っている。つまり、この精神性を日常生活で保つことが大事なのだ。命が限りあることは、どのような状況下でも変わらないのだから。
だから、毎日が一生であると、そうした感覚を持ちながら生きていこうと、そう思わされた本だった。
