戦争を知らないわたしが言いたいこと
戦後八十年。今年で八十一年になる。
ここで指す戦争は太平洋戦争であり、わたしたちの中で「戦争」いうと、この戦が真っ先に頭に浮かぶだろう。
わたしは小さい頃父方の祖父母と一緒に住んでおり、太平洋戦争の期間を12〜16歳の青春っ只中で過ごした祖母に繰り返し体験を聞かされた。
わたしは平成産まれの人生経験が未熟な三十代だ。
戦なんぞ体験していないし、願わくば今後も体験なんぞしたくない。
そんなわたしが、このわずか三十数年の間に見聞きした話をここに記したい。
何十年も残り続ける怒り
祖母は終戦日前日の真夜中、熊谷大空襲に遭った。照明弾が真夜中の真っ黒い空が昼間のように明るくなるのだ。そしてその燃える様子は何キロも先の街から見えたと親戚が語っていた。
終戦日前日に戦がおわることは決まっていた。
なら、なぜ?
玉音放送を半日後に控えていた。
なら、なぜ?
祖母は繰り返しその怒りをわたしに話していた。
祖母の家族は無事だったが、実家のさつまいも畑に焼夷弾が落ちたと言っていた。そして空襲の辛い経験をさつまいもを見るたびに思い出すとも。
街を流れる星川に、何にも人が入った。星川は煮えたぎり何人もの人が亡くなったと祖母が語っていた。
祖母は終戦から約70年後に亡くなったが、繰り返し繰り返し怒りの記憶をわたしに刻んだ。それは祖母の顔に刻まれた皺のように、強く、深く。
祖母は誰に怒っていたのか?
敵国?戦争を始めた誰か?
どちらかもしれないし、どちらもかもしれない。
ただ、わたしはこの怒りを亡くなった祖母の代わりに持ち続け、死ぬまで灯し続けようと思う。
繰り返し見た絵
わたしはそれほど美術館に行ったことはない。学校の行事や旅行に行った際にふらっと立ち寄る程度だ。
しかし、人生で何十回も通った美術館がある。
原爆投下後にすぐ広島入りし原爆の絵を描いた丸木夫妻の絵が展示される、「丸木美術館」だ。
もし興味がある方は確認欲しいが、本当に見るに耐えない凄惨な原爆後の被害の有り様が描かれた絵が展示されている。
男、女、老人、少年、少女、赤子、抱き合う姉妹、捕虜兵士…。第十五部(一部県外所蔵)に渡る絵は、人が語る言葉以上のなにかをわたしに植え付けた。
第一部 幽霊
それは幽霊の行列。
一瞬にして着物は燃え落ち、
手や顔や胸はふくれ、
紫色の水ぶくれはやがて破れて、
皮膚はぼろのようにたれさがった。
手をなかばあげてそれは幽霊の行列。
破れた皮を引きながら力つきて人々は倒れ、
重なりあってうめき、
死んでいったのでありました。
爆心地帯の地上の温度は6千度、
爆心近くの石段に人の影が焼きついています。
だが、その瞬間にその人のからだは、蒸発したのでしょうか。
飛んでしまったのでしょうか。
爆心近くのことを語り伝える人はだれもいないのです。
焼けて、こげただれた顔は見分けようもなく、
声もひどくしわがれました。
お互いに名乗りあっても信じることはできないのです。
赤ん坊がたったひとりで、
美しい膚のあどけない顔でねむっていました。
母の胸に守られて生き残ったのでしょうか。
せめてこの赤ん坊だけでも、
むっくり起きて生きていってほしいのです。
地元ということもあり、小学校の頃から何度も何度も通った。学校の行事だけでなく親や祖父母に連れられ、凄惨な歴史の爪痕を息をする如く当たり前のようにインプットした。
それは、岩手の祖父の家の寺にある地獄の掛け軸よりも深く黒く重い地獄である。あの世この世などという世界ではない。現実に存在した地獄なのだ。
高校生の学習でもここに行ったが、具合が悪くなってしまった生徒がいたことを覚えている。
それくらい重みのある絵である。現在休館中であるが、もし興味がある方は下記のURLから観ていただきたい。
語りたくない戦争体験
高校生のとき、放送部に所属していた。放送部のある大会で、太平洋戦争をテーマに番組を作ることになった。戦争に関する番組を自分の祖父母や学校の先生から戦争の体験を聞いて、そのインタビューをまとめるのだ。
一番印象に残っているのは、「語りたくない」という言葉だった。
当時40〜50代の女性の先生が、父親が戦争に行っていたと教えてくれた。身体には無数の傷があり、一緒にお風呂に入るたびにお父さんの戦争の痕を見ていたと。そして、その先生はお父さんに戦争のこと聞いたのだが、口を開かなかったという。
「戦場に行ったのだから、きっと人を何人か殺めているんでしょう。けど、父は一切戦争を語らなかった。語りたくなかったんだと思う。だからわたしが言えることはこれだけ」
実際、1945年8月14日に熊谷大空襲を体験した祖母はその体験を語ったが、一夜にして10万人もの命を奪った1945年3月10日の東京大空襲を体験した祖父はわたしにその体験を話したことはなかった。
父や叔母たちもこの話を聞いたことはないと言っていた。
戦争体験は書籍や、映像や、絵やその当時の物品として残っている。しかし、語られる戦争体験ばかりではない。人には語らないという「語る」「語らない」という意思があるため、語られない体験もきっと多く存在するのだ。
語られないほど凄惨な体験を、今後この国で誰かがする必要があるのだろうか?
昭和一桁産まれの祖父母と同居し、おばあちゃん子だったわたしは繰り返し戦争の話を聞いた。だから戦はいけないということを知っている。
頭はそこまでよろしくないし政治的なことは疎いが、戦争が誤った行為であることはわかっているつもりだ。
争いはいけないと、うちの4歳児だってわかっている。
わたしは創作という形で戦後を書くことがある。想像でしかない。ただ、わたしの中に流れる祖父母の体験や本で読んだことをもとに書きたいと思うから書くのである。
今回は実際の自分の見聞きしたことで戦争について記した。至らない点ばかりだが、やらないよりましだと思う。
戦争は体験していない。できるなら一生体験するつもりはない。自由に生活、子育て、仕事、表現をできるこの世の中を愛している。
わたしが言いたいことは、それだけなのである。
