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【シロクマ文芸部】弔いの色


 水色は、灰色だの茶だの黒だのと暗い色しか存在しないこの座敷で、悲しいほどに存在感を放っていた。
 電灯が反射し、てらてらと光る座卓からは西側に位置する仏壇と正面の廊下の先にある台所がよく見えた。

 線香立てに何本もちぐはぐに立ててある緑色のそれらから、むせかえるほどの煙がたち上っている。火を絶やすまい、と半狂乱に次の線香に火をつける女の様子がありありと想像できた。

「わざわざ来てくださったのに、軽い骨壷しかお見せできなくて申し訳ないです。お義姉さん」

 冬の予感がそこかしこに現れた晩秋に、大きな白い襟と細かいプリーツのひだが目立つ夏空のような水色のワンピースを着た女は、どこかイカれちまったんだろうか。
 いや、先の戦争を経験すれば誰だってイカれちまう。イカれた方が正気で、正気である方がイカれていた。

 骨壷のくだりなんてなんべん聞いただろう。戦争が終わって幾度も忌々しい夏を越し、喪に服す期間なんて何年も前に過ぎたにもかかわらず、彼女は頑なに骨壷を墓へ入れなかった。

「ケサコさん、私は何度も何度も何度も骨壷の話は聞いたわよ。いつになったら墓に入れてくれるのかしら」

「……そうでしたか」

 要領を得ない返事をしたこの女は、清の妻だった。
 弟は他の兵隊さんたちと靖國へ行き、父も母も疎開先の空襲で亡くなったので、この家にはケサコがひとりで住んでいた。

 隣組の親戚だという愛嬌のあったケサコを、父さんも母さんもいたく気に入り、清と祝言をあげたときはえらい上機嫌だったのを覚えている。まだもんぺも着ていないときのことだが、もうそんなことは大昔の話で、あの頃の空気はもう微塵もこの家に残っていない。

 ケサコは長い間黒い服を着ていたが、いつからかこのワンピースを着るようになっていた。彼女が来る日も来る日も少女のようなワンピースを着ていることは、もちろんご近所にも知れ渡っていて。隣組の中原さんも顔を合わせれば「ケサちゃん、ヒステリイになっちゃったわね。ごめんなさいね」と曇った顔で謝罪されてしまう始末。

 私の嫁ぎ先は酷い空襲はなく、義理両親も出征した夫も子どもたちも生きており、なんらかの後ろめたさを感じながら、こうやってケサコがちゃんと生きているかどうか見に来るのだ。

 ケサコは仏壇の前に座り、私が土産として持ってきた林檎を赤子を慈しむかのように二三度撫で回してから、白い皿の上に丁寧に置き直した。

「街へ出たとき見つけたんです、このワンピース。いつか清さんと浅草で映画を観たとき、あぁ、確か『エノケンの孫悟空』を観たんだったわ。私も清さんも涙が出るくらい大笑いしちゃって。うん、そのときにワンピースを着ていたの。清さん、"ケサちゃん今日はなんだか色っぽいね"なんて言ってくれたりして。色形は違うけれど、ワンピースが着たくて買っちゃったの」

 この話は何度も耳にし、浅草寺のお詣りだの寄席に行っただのワンピース以外のところはコロコロと変わっていた。

「とても似合っているわ」

「ありがとう、お義姉さん」

 ケサコは私の向かい側に腰を下ろし左手は頬杖をついて、右手の人差し指で子どものようにぐるうり、ぐるうりと机の表面に円を描いた。
 ふいに、空を旋回するとんびを見上げているような果てしない気持ちを思い出したが、それはきっと爆撃機が飛んでいない頃のことだろうと考えるのをやめた。

 七つも下の清はいつも泣いているような弱っちい子で、嫁さんなんかもらえないだろうし、兵隊に行っても虫さえ殺すことなんてできるはずがないと思っていた。  
 でも、清はこの女の前だとしゃんと背筋を伸ばし昔から強い男であるかのような振る舞いをしていて、その様子が可笑しかった。

 華奢でありながらも、おきゃんで、まるでしっぽを振りながら清のあとを喜んで着いていくケサコは、仔犬のようだった。
 あぁ、この子はいつまでも清に従順で、可哀想な子。清に褒められたと言う理由だけをお守りに、少し肥えた中年の身体に少女のようなワンピースを着続けていることに対して、憐れんでやることしかできやしない。

 次になんと声をかければいいかと逡巡し、立ち上がって仏壇まで歩み寄り、「ケサコさん、林檎食べるでしょう?」とだけ言って台所に立った。
 窓の外からはサーっと雨音がして室内はぐっと寒くなったが、ケサコにかけていい言葉が見つからない私にとって雨が作り出す音たちはありがたいものだった。

「お義姉さん、私分かってるんです」
 ボソボソとケサコが何かを言ったのがよく聞こえず、おかってから「なあに?」と少し強い声で聞き返してしまった。

「私がおかしいってことは、分かってるんです。でも、ほら、あの日お義姉さんだって思ったでしょう? この空にあの憎たらしい、B-29はもう飛ばない。玉音放送を聞いた日に見上げた空は、悲しいけれど綺麗だった。あの青さを見れなかった清さんに、空色をしたワンピースを見せているの。これが、私の弔い」

 そういって、年不相応のワンピース姿で立ち上がり、 年相応のふくよかな手足にひどいクマの浮いた顔で、ケサコは少女のようにくるりと一回転した。

 あぁ、まなうらに見えるは、清と手を繋いで歩いた田んぼの畦道。
 「あ、とんび」と幼い清が指差した先には、ケサコのワンピースと同じ色をした夏空が広がっていた。



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