反知性的高知能者論と多文化主義の否定
要約
「多文化に触れ、ネイティブレベル英語力になれば意思表示が自由にできる」と世に蔓延る言説が、主張者たちの思考の希薄さを証明する。
反知性主義はコミュニケーション能力と共感を重視する現代社会において、生存戦略として正当化される。
I. 多文化主義者の想定する思考言語化プロセス
a. フィルター(変換)モデル

ベース文化圏(日本)から生まれた思考が言語化フィルターを通過し意思表示となる
フィルターの変換効率は国語力(常人:70-90%、芸人や作家:95%+)で決定される

フィルターを英語(25%)にすると言いたいことが言えない
だから英語力を鍛えて多文化を理解すれば、フィルターが25%→70%→90%となって、意思表示が自由自在になる(はず)
「できる人が羨ましい」「バイリンガルはコミュニケーションが自由自在」などの一方的な感想や憧れ
b. フィルターモデルにおける意思表示効率(仮)
意思表示効率=意志表示(文字列の流束) / 思考(黒い煙の流束)
= 言語化能力
II. フィルターモデルの盲点:思考ベースの拡張が縮小変換を強要する
a. Venn(和集合)モデル
多文化理解者の実際の思考

ベース文化圏A、Bが二つ重なると、思考のベースが和集合A∪Bになる
発話者は、知識体系としてA∪Bを境なく、区別なく、中を自由に動き回って無意識に思考する
Aだけ(赤)、Bだけ(青)、A∩B(紫)の3つの領域を横断する思考が合成された場合、それは(a, b, ab)を滑らかに結ぶ関数のようなものと表現できる。

(aが経由点の場合)
【実例】義経(a:日本限定)と、刑事コロンボ(ab:日米共通)と、米国的英雄観(b:米国限定)を一本の線でつなぐ新規知見。
b. 外的因子が要求する縮小変換
意思表示する度に、聞き手の文化圏にあわせて、これを「Aのみ」=(a, ab)、あるいは「Bのみ」=(ab, b)で通じるように縮小変換しなくてはならない。変換コストが発生する。
変換を怠ったり不十分だと、批判対象となる(「出羽守」「共感できない」「外国かぶれ」など)

またA向けの(a, ab)もB向けの(ab, b)も知見の横断性を正しく評価できない。思考の真の全体像は当人と、同じ前提知識を持つ極小グループにしか見えない。
言語化能力とは無関係に、文化圏の規定する前提知識(すなわちAやBの大きさ)に束縛されて、常に思考>意思表示内容となる。
c. 多文化対応Vennモデルの意思表示効率
意思表示効率∝聞き手の文化圏の一般常識(固定) / 発話者の思考レンジ(拡張可能)
分子は外的に決定され、固定される。その文化圏の世間一般常識。
分母は知識や知能が高くなればいくらでも大きくなる。
結論:知性が高くなるほど意思表示効率が落ちる。約束された「自由な意思表示」とは正反対で、実際には不自由度が増す。
III. バイリンガリズムの害悪とグローバル人材育成論者の盲点
フィルターモデルに根ざした、「多文化理解で視野が広まる・視座が高くなる」やバイリンガリズムを肯定する言説は、思考ベースの拡張による縮小変換の必要性発生を考慮しておらず、多分野や文化間を跨ぐ横断的な思考ができない知性の脆弱な人間が陥る勘違いである。
これはフィルターモデルがVennモデルにおけるA∩B領域内あるいは近傍(紫の積集合領域ではフィルターを交換し言語化効率さえ上げれば赤:青≒1:1の変換が可能)の局地的事象をあたかも普遍的真理のように形容したもので、当人自身の思考が同領域に限定された狭窄的で希薄なものと逆説的に証明する。

とりわけ、横断的思考能力が発露しやすい高知能においては、むしろ思考ベースを極力絞り、世間一般レベルと同程度に抑えたほうが意思表示効率が向上するのは自明である。
同様の理屈は専門分野の習得においても成立するが、異文化圏は倫理観・生活・歴史・文学・芸術と拡張される範囲が広く、特定の専門分野とは比較にならないオーダーで意思表示効率へ壊滅的な悪影響を及ぼす。例えば純粋に50:50ならば、思考の半分が第二文化から発生することになり、二言目には「出羽守」批判の恐れが出てくる。よって、単一文化集中が知性を効率よく発揮しつつ、意思表示効率の維持を保証すると考えられる。

この傾向は横断的思考能力が高いほど顕著である。横断的思考能力のない者は知識をいくら拡げようともそれらを跨いだり飛び越えたりする思考ができないため、こういった問題に遭遇することはなく、知識の詰め込みが幸福につながると説く。
高度に専門化された現代社会には横断的思考を評価する体系が存在せず(後述)、視野を広げた結果の思考到達点の高さは経済的にも社会的にも価値を持たない。よって、多岐分野に渡る横断的思考能力を持つ帰国子女は、語学力維持よりも寧ろ早い段階でモノカルチャー化矯正をすることが当人の将来の生産性と社会性維持につながる可能性がある。
異文化間のコミュニケーションは、それを専門に行う人間かAIに任せることによってコストと非効率性が可視化され、双方に負担が分散する。言語・文化理解を習得したが故に発話者当人がコストを隠れた形で支払わされ、その上伝達上の問題の責任を一方的に負わされるのは報酬体系として破綻している。よって、言語習得や異文化理解はそれを専門に行う覚悟のある者以外は拒絶すべきである。
IV. 幸福最大化戦略

共感性重視社会においては、横断的思考ができる人間に対して知識拡充を奨励するのではなく、むしろ制限することが幸福度の向上につながる。思考の母体が世間一般と同調していることが共感の前提条件だからである。横断的思考者はただでさえ思考が飛躍的で伝達にハンデを追うので、その上でさらに前提となる思考領域を広げるのは社会的自殺行為である。
これは複雑なアイデア伝達時のコミュニケーション摩擦を全て発信側の能力不足に転嫁する(「コミュ力」)という、現行社会の要求が導き出した結論である。また、横断的な思考に対する経済報酬や体系的評価システムも皆無である。むしろ今日の労働市場においては資格や学位の有無がそのまま能力とみなされるなど、学んだ知識の一次利用のみを過大に評価する仕組みが出来上がっており、複合的能力や体系化能力が採用の決め手になったり報酬に直結することはまずない。
よって、グローバル人材育成と称して異文化理解を奨励することは甚だ無責任で、とりわけ高知能者にコミュニケーション負担を強いる非人道的行為である。
以上により、反知性は現代社会において生存戦略として正当化される。

証明
本記事のエンゲージメントの低さが、理論の正しさの証明となる。
すなわち、バイカルチャリズムに触れた一次体験が、世間一般の常識から乖離した思考ベースを生み出し、その中から合理的に導き出された結論は異なる思考ベースの読者には理解されないからだ。
