認知症・ゴミ屋敷に気づかず、性格や霊障だと誤解してしまった後悔|Day82
閲覧注意⚠️記事内にゴミ屋敷内部写真があります。
認知症初期
当時まだ60代後半バリバリ働いていた母は、もともと気が強かったので「不機嫌や口の強さは性格」と、周囲の誰もが見逃してしまった認知症の初期症状「怒りっぽさ」。
70代になってもイエスマンに囲まれて働き続け、
‘‘大奥‘‘みたいな自己中心な振る舞いに周囲も手を焼いていました。
それがだんだんエスカレートして私が大怪我しそうな暴力になった頃、私にはまだ認知症の知識がなく(現役で客商売をしていた気丈な母が認知症に見えなかったのです。)
あまりの異常さを知人に相談したところ「それは霊障だよ」とアドバイスされて真に受けてしまった時期がありました。
多忙な母に懐かないまま育った私は、娘が重い障がいを持って産まれた時も母には傍に居てもらえず、娘の療育に必死で親の事まで氣が回っていませんでした。
娘の手術がひと段落した頃、母と別居していた高齢の父の介助に通う日々が始まりましたが、「母はまだ大丈夫」と思ってました。
認知症中期
80代になっても母は、まだ化粧をし、店に出ていて、口達者で、自分の部屋に誰も入れず、一人で出勤帰宅する日々だったのですが、
「だんだん店に寝泊まりするようになっている事」を店の人から聞いて不審に思い部屋を訪ねました。
その時、ドアから雪崩のように衣類などが出てきた時、本当にショックを受けましたが、とにかく片付けようと、たった一人で数か月通って4tトラック2台分のゴミを片づけました。




この頃には「小さな女の子が見える」などの妄想に対してレビー小体型認知症という診断も得て、母の介助も始まりました。
「霊障」と言った知人の言葉を真に受けて数年後の事です。
家庭内をさらけ出す事に躊躇しましたが、どうしても伝えたい事があって記事にします。
肉体の弱さに対する理解
キツそうでエラソーな「老害ども」。
若者からは鼻つまみです。
中間管理職のデキる方々は、心理学などオトナの対処法で乗り切ります。
私自身、40代50代まで母の事を疎ましく批判ばかりしていました。現役だっただけに、真正面から仕事に関して非難する事もありました。
でも、あの日、
「ゴミ屋敷から出勤してた」事実と、ゴミの中から、投げ捨てられた60代の脳のCT写真を発見した時、本当に後悔しました。
きっと初期の認知症診断を受けて専門医への紹介状と共に、その写真を持ち帰ったはずです。
でも誰にも言わず、多忙を口実に、口達者で丈夫な母は病院に行く事なく認知症は進行し、ためこみ症(ホーディング障害)を隠して、いつも女王のように自分を奮い立たせていたんだ、と思い至りあまりの惨状に泣きながら片づけました。
「気づいてあげられなくてごめんね、
母ちゃん。
朝から晩まで忙しくして
父ちゃんには浮気されて
こんな部屋で寝起きしても気丈に振舞っていたあなたはサバイバーだったんだね。
これからは清潔な部屋で、ゆったり安心して老後を過ごしてね。」という想いでいっぱいでした。
そして、その想いが
母へのわだかまりを全部溶かして、母がまだ生きてるうちに、愛だけに変わった事を本当に感謝しています。
ためこみ症(ホーディング障害)
ためこみ症(ホーディング障害)は、不要な物を手放すことができず、大量に溜め込むことで生活環境(ゴミ屋敷化など)に著しい支障をきたす精神疾患です。
介助の変化
最初の頃は暴言や拒絶があったものの、私自身が愛と慈しみの想いで心から世話を続けていくうちに、昔のような冷たい関係ではなく、
今では、「いつもありがとうね。」という言葉が出てくる関係に変わっていて、本当に間に合って良かったと思ってます。
死んだ後で後悔するような事になってたら、たぶん、私が持たなかったと思います。後悔で。
自分も慈しむこと
介助初期は、それでも少し、ぎこちなさがありました。
何しろ母に懐かないまま育ったので、接し方に固さが残っていたし、ハードなゴミ屋敷掃除から慣れない介助という疲労がピークに達していて余裕がなかったんですね。
それが瞑想で心を落ち着かせて、母も自分もひとつの永遠の魂だという大きな気持ちになってから、目に見えて母が柔和になりました。
子供や動物と同じピュアな世界に行ってしまった母には、取り繕ったお世話は通用せず、こちらが疲れてイライラしてると即、イライラでかえってくるので、
まず自分をいたわって整える事を優先するようになりました。
誰も好きで年とったり病気になるわけじゃないですし、みんなで思いやって暮らせるのが一番だなぁと思ってます。
お目汚しの写真投稿してしまいましたが
今、読んでくださっている貴方も、ご無理なさらず、ご自身が幸せを感じることを一番になさって下さいね。
