見出し画像

『かっこいいは、下半身でつくる』

女には、絶対に負けられない戦いがある。

七センチは、女を美しくする。

九センチは、女を強くする。

十二センチについては、まだ知らない。



私は七センチで靭帯を切った。

その日、私はちょっといい女だった。

黒のパンプス。ヒールは七センチ。

駅のガラスに映る私は、いつもより脚が長い。
背筋も伸びている。

カツ、カツ、カツ。

いい。

非常にいい。


三十分後。

つま先に全体重が集まり始めた。

親指と小指は、すでに仲が悪い。


一時間後。

足の裏に針山地獄が開門した。

一歩ごとに鬼が針を刺してくる。
しかも一匹ではない。
踵、親指、小指。それぞれ担当がいるらしい。

それでも私は歩いた。

女には、引き返せない道がある。

駅の階段に着いた。

上りはまだいい。

問題は下りだ。

七センチ高いところから、つま先で地上を探す。
一段、一段が崖に見える。

慎重に。

慎重に。

あと三段。

二段。

グキッ。

「…………あ」

私の戦いは終わった。


右足首靭帯損傷。

医師はレントゲン写真を見ながら言った。

「しばらくヒールは禁止ですね」

私は診察室の天井を見た。

「先生」

「はい」

「また七センチで歩けますか」

先生は少し黙った。

「そこ?」


それから私はスニーカーで暮らした。

楽だった。

走れる。

階段も怖くない。

側溝なんて、ただの溝だ。

スニーカーとは、こんなにも平和な履物だったのか。

なのに街で、

カツ、カツ、カツ。

その音がすると、振り返ってしまう。

女たちは歩いていた。

七センチで。

細いヒールで。

何事もない顔をして。

悔しかった。


ある夜、私は靴箱を開けた。

黒い七センチがいた。

しばらく見つめた。

「……もう一度、歩きたい」

そのときだった。

どこからともなく、壮大なテーマ曲が流れ始めた。

もちろん、気のせいだ。


翌朝。

生卵を三個、コップに割った。

一気に飲んだ。

「オエっ、まずっ!」

映画では、もっと簡単そうだった。


ジャージに着替え、まだ暗い街へ飛び出した。

走った。

坂道を走った。

階段を駆け上がった。

頂上で両腕を突き上げた。

誰も見ていなかった。

帰宅して、スクワット。

十回。

二十回。

五十回。

膝からではない。

股関節から落とす。

ハムストリングス。

臀筋。

体幹。

敵は七センチではなかった。

私の下半身だった。


三か月後

決戦の日。

箱から黒いパンプスを取り出した。

足を入れる。

立つ。

そして歩く。

カツ。

カツ。

カツ。

踵が決まる。

膝がぶれない。

股関節から、すっと脚が前へ出る。

七センチの上で、身体がまっすぐ立っている。

痛くない。

勝った。

私は歩いた。

駅前のショーウインドに女が映った。

背筋が伸びている。

脚が長い。

そして何より

かっこいい。

私は立ち止まり、ガラスの中の自分を見つめた。

長い戦いだった。

ゆっくり拳を握る。

「……エイドリアン」


そのときだった。

カツ。

カツ。

カツ。

私の横を、一人の女が通り過ぎた。

長い髪。

タイトなスカート。

そして、恐ろしく細いヒール。

私は目で追った。

十二センチ。

「…………」



女には、絶対に負けられない戦いがある。

翌朝、午前五時。

私は冷蔵庫を開けた。

生卵を五個取り出した。


あとがき

かっこいいとは、なんだろう。
今回、作者はその問いを追求した。
美しさとは、与えられるものではない。
痛みに耐え、敗北を知り、それでも再び立ち上がる。

七センチに敗れた者だけが、七センチの向こう側を見ることができる。
そして人は、さらなる高みを目指す。
九センチ。
その先にある、十二センチへ。

これは、一人の女性の再生と挑戦を描いた物語である。
かっこいいとは、きっと――

……ちょ、ちょっと。やめなさい。卵を投げないで。


Special Thanks

ハイヒールについて、以下の方々の記事を参考にさせていただきました。
感謝ですm(__)m

うっちーさん

雪凛さん

ちなみさん

meinaさん


いいなと思ったら応援しよう!

たび.  記事がいいな!と感じていただけたなら、チップで応援してもらえるとうれしいです。あなたからいただいた力が創作への勇気になります!