「川口川閘門」の授業を盛り上げる資料を探しましょう。
「川口川閘門」は、茨城県の4年生のほとんどが学習する教材ですね。
土浦の街を守るために、色川三郎兵衛さんという政治家が考えて作った閘門です。
この「閘門」と「常磐線を兼ねた堤防」「桜川の堤防」によって、土浦の街は何度も水害から守られました。
水害の主原因は、霞ケ浦の水位上昇にあります。
利根川上流に大雨が降ると、利根川の水位が何メートルも上がり、利根川が海に出るまでに霞ケ浦に流れ込むこと(逆流すること)によって、霞ケ浦全体の水位が上がってしまうのです。これによって水害が起こるのです。
そうした水害を、色川三郎兵衛さんは工事の費用を節約しながら防ごうと考えたのでした。
次の資料は、現在の土浦市の地図(国土地理院地図)に明治期の低湿地を重ねて表示したものです。「国土地理院地図」で作成することができます。

右側の水域が「霞ヶ浦」で、地図の左上(北西)から右下(南東)に向かって「桜川」が流れています。地図の下側(南側)には、「高津」の台地があります。
そして中央部の水田地帯(黄色部分)に浮かぶのが「土浦」の街です。土浦は「土浦城」(現在の亀城公園)を中心にした城下町で、幾重にも堀が作られています。
水運で栄えた土浦の街 川口川は港として機能した
土浦の街から霞ケ浦へ流れ込むのが「川口川」です。
土浦の街から霞ケ浦に至る「川口川」の左岸(北側)は、街になっています。明治時代には、ここが港の役割を果たしていました。
鉄道などの陸上交通が発達する前の時代、重い荷物を効率よく運ぶことができたのは船でした。土浦付近で作られた米や産物は土浦まで荷車で運ばれ、土浦から船に積み替えて運ばれたのです。
土浦から江戸までは、霞ケ浦、利根川、江戸川を通って、水路が江戸まで続いています。土浦は茨城県南部の物流の拠点だったのです。土浦は水運で栄えていたとも言えます。
土浦の水運については、次のサイトが詳しいと思います。
サイト内には港として機能していた「川口川」の写真もあります。
数多くの船と川岸の蔵、店が写っています。
たびたび水害に襲われる土浦の街
こうして水運で栄えた土浦ですが、たびたび水害におそわれていました。
水害の写真は、次のサイトから見ることができます。
ただし、写真は昭和期のものです。
明治時代にも、街が水につかるような水害は何度もありましたから、昭和の写真を見ると、その様子を想像しやすくなると思います。
水運を守り、街を守るジレンマ
土浦の街は水運で栄えています。
そして霞ケ浦の水位上昇によって、桜川からの洪水によっても水害に悩まされています。
どうしたらよいのでしょうか?
街を守るためには、堤防で街を囲んでしまうことが考えられます。
しかし、堤防で囲めば港の機能は失われてしまいます。

色川三郎兵衛さんの工夫
政治家である色川三郎兵衛さんは、ジレンマを解決する方法を考えたのです。
第一に、桜川に堤防を築きます。
明治期の低湿地図にも茶色の点線で堤防が描かれていますが、この堤防を強化します。
これで、桜川の洪水から土浦の街を守ることができます。
第二に、霞ケ浦と土浦の街の間に、堤防を築きます。
霞ケ浦からの逆流を防ぐためです。
しかし、川口川が流れていますので、川口川からの逆流を防ぐことはできません。
そこで色川三郎兵衛さんは、「ウルトラC」を二つ繰り出すのです。
一つは、霞ケ浦の堤防工事を安い費用で行う方法です。
当時、土浦を通る鉄道が計画されていました。
土浦の街の西側に鉄道を通し、現在の土浦二高の近くに土浦駅を作る計画です。
これを、政治力によって、土浦の街の東側を通るコースに変更させたのです。
土浦の街は、水田地帯の真ん中にありますが、その南側は「高津」の台地があり、北側には「真鍋」の台地があります。高低差が20m以上はあると思います。
そのため、鉄道を通すには、両台地を削って緩やかな傾斜をつけた線路を作る必要があります。
水田地帯でも、台地から低地に至る緩やかな傾斜をつけた線路を作る必要がありますので、盛り土が必要です。
そして、この水田地帯につくる線路下の「盛り土」は、霞ケ浦からの逆流を防ぐ「堤防」の役目を兼ねることができます。
一石二鳥です。
さらに、台地を削った土は、水田地帯の盛り土にすることができます。
土代がかかりません。
台地から線路を引き、そこでトロッコを使えば、土は簡単に運ぶことができます。
安い費用で堤防となる線路を作ることができるのです。
もう一つは、川口川に閘門を作ることです。
先ほどの地図をよく見ると、土浦の街の右側(東側)に常磐線が通っていることが、微かに読み取れます。

この「常磐線」が堤防の役割を果たすことになります。
そして、「川口川」と「常磐線」が交差するところに、閘門を作るのです。
閘門とは、水路に設けられる船を通行させるために作る水門のことです。
閉じれは水路や川をせき止めることができ、開けば水が流れて船が通行できます。
これを作ろうとしたのです。
「わたしたちの茨城県」には、川口川の閘門が閉じられた様子が掲載されています。閘門の限界近くまで霞ケ浦の水位が上がっており、閘門によって洪水が防がれた様子を多くの人が見に来ている写真です。
(この写真は、閘門と並行して走る常磐線の線路上から撮影したものと考えられます。)
しかし、この写真だけでは、子どもたちが「閘門」の威力を感じることは難しいと思われます。通常時の霞ケ浦の水位との比較ができないからです。
川口川閘門が開いた写真があると、その効果が実感できます。
二つの写真を比べると、その水位の違いがよく分かり、効果が分かるのです。
川口川閘門が開いた写真では、閘門の堅牢さと立派さ、高さ、装飾の美しさ(金属製の手すり部分、煉瓦と石による意匠)がよく分かります。
現在も残っていれば観光地になっていたかもしれません。美しい閘門です。
閘門の高さと、奥に写っている家屋を比べると、閘門が内側の家屋や街を守ることがよく分かります。
これがないと、子どもにたちには、閘門のすごさは分からないでしょう。
閘門が開いた写真と、水位が上がったために閘門が閉じた写真を比べると、閘門が土浦の街を守ることがよく分かります。
子どもたちのために、「わたしたちの茨城県」に「開いた閘門」の写真を掲載していただけるとありがたいと思っています。
霞ケ浦の水位が十分に下がるまで、川口川閘門は閉じられますが、その間は、川口川の水は流れず、川口川自体の水位も上昇するはずです。
これに対しては、大型の排水ポンプが使われていました。
次のサイトには、閘門の板と大型ポンプの写真が掲載されています。
色川三郎兵衛さんの工夫を確認する
次の資料は、左側が現在の土浦の標高を色分けした地図、右側が現在の土浦に明治期の低湿地を重ねた地図です。共に「国土地理院地図」で作成することができます。

左の標高を色分けした地図を見ると、土浦の街が桜川の堤防と常磐線によって守られていることが分かります。(寒色ほど標高が低く、暖色ほど標高が高い。桜川の堤防内が黄色になっている理由は不明です。旧土浦市街の北東側の黄色い線状の部分は、常磐線の跨線橋への導入道路です。)
右の地図の「黄色い丸」が、川口川閘門の位置です。
この場所を押さえれば、土浦が水害から守られることが分かります。
色川三郎兵衛さんの人柄
このような有能な政治家である色川三郎兵衛さんは、どのような人物だったのでしょうか。
これは、「わたしたちの茨城県」に掲載された年表などを読むことで想像することができます。
まず、年表などから、農民に向けた年末の安売りの様子、学校の建物の寄付などを読み取ります。
次に、そうしたことからどんな人柄だと想像できるか話し合います。
貧しい人を助けようとする人、自分の財産を人々のために使う人であることが分かるでしょう。そうしたことが想像できると、土浦の街を守ろうと考えたこと、費用を節約する工夫をしたことも理解できると思います。
お金の大切さが分かっている人であり、お金をどのように使うと良いかを考えていた人だったのではないでしょうか。
明治期の政治家には、自分の財産を世の中のために使った人、田中正造さん(足尾鉱毒問題を直訴しようとした人)のように、人のために尽くした人が数多くいたことが思い浮かびます。
色川三郎兵衛さんもその一人だと思われます。
色川三郎兵衛さんの事例は、私たちが ”すばらしい政治家” を「選ぶことの大切さ」を考えることができる資料でもあると思います。
いかがでしょうか?
こうした裏付け資料を利用することで、楽しく学びがいがある授業が実践できると思いませんか?
ぜひ、夏休みなどに各種資料を集め、単元構成を考えて、すばらしい授業実践をしてみてください。
そして、作成した資料は、多くの先生たちの間でシェアしていきましょう。
(著作権には注意しましょう)
なお、本稿で公開した地図(国土地理院地図で作成)は、授業で利用していただいて差し支えありません。
出版、および公開資料として利用する場合には、ご連絡ください。
なお、現在、川口川閘門は役割を終えて撤去されています。
すぐそばの公園に「閘門」の鉄板の一部と排水ポンプがオブジェとして飾られています。
川口川閘門があった場所は、現在土浦駅の北側にある常磐線のアンダーパスとなっています。川口川は昭和期に暗渠化され、地下を流れています。
次の資料には、現在の閘門付近の様子、閘門の場所(現在の地図に重ねた位置)などが掲載されています。
現在、川口川閘門が必要ない理由は…
現在は、川口川閘門は役割を終えています。
行政によって霞ケ浦の水位が管理されているからです。
霞ケ浦の水は、外浪逆浦を通って利根川に流れますが、その合流地点に大規模な堰(常陸川水門)が作られて、利根川洪水時には水門が閉じられるために、霞ケ浦の水位は上昇しないからです。
常陸川水門の概要については、国土交通省によって、PDFにまとめられています。
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000029955.pdf
行政機関による弛まぬ防災管理によって、霞ケ浦沿岸の街や農地は守られているのです。
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