人生が変わる前、私は何をしていたのか?|おっかあとミシャの前日譚
🐰はじめに👩
これは、おっかあ(私)とミシャ(うさぎ)が「兎人三脚」で生き抜いた実話です。
ミシャと共にした7年9ヶ月の人生の変化を、当時の飼育日記を元に、大切に記していきます。
🌿動物愛や動物との絆に共鳴する人達と繋がれたら嬉しいです💚
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この記事を書こうと思って、ミシャと出会う前の自分を思い出そうとした。
けれど、なかなか思い出せなかった。
忘れたわけじゃない。
ただ、あまりにも今の自分とかけ離れていて、まるで別人の人生を思い出すような感覚になった。
今の私にとって、ミシャと過ごした時間はあまりにも大きい。
人生の色そのものが変わったと言ってもいいレベル。
だから、ミシャと出会う前の景色を思い出そうとすると、不思議な感覚になる。
結局、一度考えるのをやめて、一晩置いた。
そして、少しずつ記憶をたどっていった。
あの頃の私は何を考えていたんだろう。
どんな毎日を過ごしていたんだろう。
何に喜び、何に疲れていたんだろう。
あの頃の私は、自分で思っていた以上に疲れていた。
馬車馬のように働いていた頃の話。
正社員で、管理職として働き、 数字を追う日々。
肌は荒れ、 帰りの電車では立っているのもしんどくて、手すりにぶら下がるように耐えてた感じだった。
けれども、当時の私は、 疲れていることにさえ気づいていなかった。
必要な物を得るため、根性論で動き、左脳100%で生き、男性性剥き出しで走りまくってた感じ。
私生活でも色々あり、私は、会社を辞めて海外へ行った。
ヨーロッパ、アメリカ、アジア、海外に行くのが大好きになり、お金があれば海外に行った。
働けるビザを取得し、パリで生活もした。
そこで出会ったのは、"ライスワーク"のために生きる人たちではなく、"ライフワーク"を大切にして生きる人たちだった。
パリでは、毎週末のようにホームパーティーがあった。
友人の家に集まって、そこにまた友人の友人や、その恋人やパートナーが来て、気づけば初対面の人たちと雑談している。
日本にいた頃の私は、初対面の会話というのが少し苦手だった。
というのも、よく聞かれるのは年齢や仕事の話だったからだ。
年齢の数字だけで、なにか固定概念を持たれたり、会社の話も、私はオフでしても楽しくなかった。
私は昔から海外の映画や音楽、ファッションやアートが大好きだった。

子どもの頃から観る映画も、聴く音楽も海外のものばかりで、ファッション雑誌も海外の雑誌をいつも見ていた。
もちろん、仲良くなる友人とは好きなものについて話せたけど、一般的な会話になると、自分の好きな世界を共有できる相手はあまり多くなかった。
(日本で、日本人同士だから、日本の映画や芸能話になるのは仕方ないけどね😅)
ところがパリでは違った!
「何歳?」からではなく、「何が好きなの?」から会話が始まる。
私が、アートやファッション、音楽が好きと話すと、好きなミュージシャンやアーティストの話で花が咲く。
パリではパリコレの仕事をしていたので、その話をすると、
「良いね。僕はフォトグラファーで、この前ディオールの撮影をしたよ」という人がいたり、
「今、映画の脚本を書いているんだ」という人がいたりした。




誰も肩書きを誇示しているわけではない。
ただ、自分が好きで、情熱を注いでいるものを自然に語っていた。
その空気が、私にはとても心地よかった。自由って感じ!
ある日、ホームパーティーの廊下に、映画『死霊のはらわた』のポスターが貼ってあった。
私は思わず、「この映画観た?」って、隣に居た男性に言った。
するとその人は、「もちろん知ってるよ。クラシックホラーの名作だよね」って、返してきた。
今思えば、本当に些細な出来事だけど、私には衝撃だった。
日本では、そんな風に映画の話ができる相手に出会ったことがなかったからだ。
けれども、そこには映画や音楽、アートや文化を日常的に吸収している人たちばかりで、とても詳しい。
好きな映画の話をして、それが当たり前のように通じる。
たったそれだけのことなのに、私にはものすごく嬉しかった。
自分の好きなものを説明しなくてもいい。
「変わってるね」と言われなくてもいい。
自分が好きなものを自然に語れる場所に出会った。
そんな普通だけど、大切な経験を、私はパリで何度もした。
気づけば私は、その空気が当たり前になっていた。




よく、海外生活すると太ると言うけど、不思議なことに、私は逆で、海外にいると痩せる。
反対に、日本へ帰ると太る。
それは毎回だった。
パリで暮らしていた頃は、好きな物を好きなだけ食べて、友人たちと過ごし、お金を使わなくても心動くことに溢れていた。
決して我慢をしていたわけではない。
むしろ人生を楽しんでいたと思う。
朝、6時に公園へ走りに行き、その後、学校か仕事に行き、ランチは友達とピクニック。
午後はパリ探索しながらパンやチョコ食べたり、夜は友達とイベントやご飯食べたり。
それなのに自然と体重は落ちていった。
ところが日本へ帰ると、なぜか太る。
帰国後には12キロ近く増えたこともある(笑)
当時は、単純にストレス過食が原因だと思っていた。
けれど今振り返ると、それだけではなかった気がする。
パリや、海外で感じていた、固定概念で決められない、や干渉されない自由さや、心地よさ。
人と人との対等な距離感。
自分の人生に集中出来る感覚。
そういうものが日本に帰ると少しずつ薄れて、生きづらさを感じる自分がいた。
日本で生まれ育ったのに…。
中学生の時、「アミちゃんは、生まれる国を間違えたね笑」って、冗談交じりに言われたのをよく覚えてる。
もちろん、日本は日本の良さがあるのは理解している。
受け身でも生きていけるし、便利で綺麗だし、暮らせる事に感謝している。
けれど、私は帰国後、どこか窮屈さを感じていた。
まるで自分を小さな箱の中に戻しているような感覚だった。
そういった日々感じていたストレスは、過食だけでなく、身体そのものにも影響した。
言葉で説明できなくても、身体は正直だ。
あの頃の私は、そのサインにまだ気づいていなかった。



今思うと、「別人みたい」と感じるのは働き方だけじゃない。
ヘアメイクやファッションスタイル、時間や、お金の使い方も大きく変わった。
当時の私はファッション業界でバリバリ働いていて、最新のファッションアイテムや、おしゃれや美容が生活の中心だった。
新しい香水や、気になるコスメもチェックして、好きな香りを身にまとい、自分の好きなスタイルを楽しむことは、私にとって日常だった。
実際、よく友人やお客様にも「いい匂いがするね」って言われていた。
それに、ファッションは、私には自己表現のひとつだった。
でも、ミシャをお迎えしてから、それは少しずつ変わっていった。
ハンドクリームを使わなくなったし、香水の使用頻度も少なくなり、今ではつけていない。
日常で使う物は、うさぎ達にとって安全かどうかが基準になった。
ファッションも変わった。
昔は高いヒールや、タイトでシックな服が好きだったし、ヘアメイクも海外モデルやスターからインスパイアされて、濃いめだった。
けれど今は、動き易い服やスニーカー、動物の抜け毛が目立ちにくい色で選んでる。
素材も、本革やリアルファーは避けてる。
もちろん、今でも美容やおしゃれは大好き。
だけど、お金を使う優先順位は変わった。
昔は自分の外見を飾るものに使っていたお金を、今は動物たちや、自分が本当に学びたいことのために使っている。

帰国後、 私は会社員に戻れなくなっていた。
戻ろうとしたけど、生理的に受け付けなくなっていた。
あれほど働いてきたのに、自分でも 不思議なくらいだった。
だから自分で仕事を始めた。
ネット販売を始め、 少しずつ軌道に乗せていった。
その頃だった。ミシャと出会ったのは。
↑ミシャとの出会いの話
今振り返ると不思議に思う。
もし私が以前のまま働いていたら、 ミシャとの時間は全く違うものになっていただろうし、あのタイミングで、お迎えは考えてなかったかもしれない。
馬車馬みたいに働いていた頃の私だったら、ミシャをお迎えしても、ミシャのケアに十分な時間を作れなかった。
だから、在宅で仕事をするというフェーズになった時、
本当にパズルのピースがハマるように、完璧なタイミングで、私はミシャと出会えたと思う。
あの頃の私は、 ミシャと出会うために生きていたわけじゃないけど、
会社を辞めて海外行かなかったら、パリに移住する考えは生まれなかった。
↓
パリ生活で価値観が変わらなかったら、帰国後個人で働く選択もなかった。
↓
個人で働く道を選ばなかったら、在宅の生活もなかった。
全部が繋がって、最後にミシャと出会う。
結果として全部が、ミシャと暮らすための準備だったように思う。
なぜなら、私の人生にとって、ミシャをお迎えした事は、ただ可愛いペットをお迎えした事ではなく、
ここから始まる人生の大変化の波を、一緒に乗り越えるパートナーになるから。
つづく🩵
おまけ🐰🩷
今回の画像用に、パリ時代の写真を探して10年前のアルバムを見てたら、0歳のミシャの写真が出てきた😍我が子ながら、可愛すぎるので、貼っときます🥰

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
#ソウルメイトと私 🐰👨🦰✨
↑これはこんなnoteです🐰✨
