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エッセイで一万字書けるのか|創作大賞への試運転

「エッセイで一万字?」

創作大賞の応募要項を見て手が止まった。普段は1000文字ほどの記事を書いている。なんなら3行日記で終える日もある。そこで出てきた「一万」って文字。

「……いや、無理やろ」

一気に創作大賞が遠くなった。夏休みの宿題を渡される終業式を思い出す。だけど、「一万字」と記載されている以上書かないけん。「まずは何を書くかを決めないと」って思った時、ちょうどいいテーマが目の前に転がっていた。

「せや!『一万字で書くエッセイ』はどやさ?」

書きながらエッセイの構造そのものを体験できる。文字数との戦い、不安、途中で嫌になったこと、書けた後の感覚、その全部がエッセイのネタになる。創作大賞前の試運転にちょうどいい。動機なんてだいたいこんなもんやろ。

アスカに聞いたら「あんたバカァ?」って返される。むしろ言われたい。その時点でチャレンジする価値が既にある。そもそも、毎日なにかしら書いてる。もうそろそろ700記事。トータル五十万文字くらいは書いてる。おもしろいかどうかは別だけど。後ろの方から「逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ 逃げちゃダメだ」......シンジの声が聞こえた。

🫶 理想は1記事1000文字1テーマ


「この記事は一万字あります」

どんだけ中身が素晴らしかろうと、冒頭にこんなのが書かれてあったら閉じる。読むだけで何分かかるん?タイパだ、なんだと言われてる時代に、名もなき個人の記事を、そこまで腰を据えて読むかと言われたら、絶対閉じる。

だからこそ、理想は1記事1000文字1テーマ。

書く側としても楽だし、読む側にとっても負担が少ない。1000文字であれば、3〜4分で読める。スキマ時間で読むにはちょうどいい。人間の集中力なんてそんなに長く続かない。せいぜい数分だ。

昔、大学の教授が言ってた。「頭のいい人と悪い人の差は集中力の差」だと。東大は1コマ105分。一方、多くの大学は1コマ90分。確かに、集中力の無さには自信がある。読むだけでなく、書くにも集中力は必要だ。それなのに、この記事を書きながら「今日の晩飯どうしよう」頭の中は違う方向へ飛んでいる。この時点でまだ1000文字なのに。

TikTokが流行るのもわかる。バズ狙いなら15秒〜30秒、ファン獲得や深い解説なら1分〜3分。それを考えると、もっと文字数は削ってもいいのかもしれん。

それなのに「一万字書く」って、いったい何をしたいんやろ。

🕺 文字数マウントを取る人たち


『今日は一万字書いた!』

こんな記事やツイートをよく見かける。読み手としてはすごい不思議。「沢山書けて凄いね!」って褒めて欲しいのかなくらいの気持ちで読んでたら、「俺は賢いから長文になる!ここまでついてくる読者は賢い」......謎の押し売りが始まる。読めない側の問題にされるのは、さすがにしんどい。それでも読んでる時点で相手の思う壺だが、「一万字書く」ことを目標にした以上、どこか参考になる部分はあるかもしれない。

「......時間返せ!」

スクロールしてもスクロールしても、まだ横のバーは2/3。参考にしようとしたのがアホやった。本人は「丁寧に説明してる」つもりなんやけど、「読者に伝える」より、「自分が語りたい」が勝っている。バターもシロップも無しでパンケーキを食べさせられ続けてるような感覚になった。

「読み続けたくなる理由をくれ!」

長い文章が悪いわけではない。本や論文みたいに最初から腰を据えて向き合う文章もある。更に言えば、自己満足のために書いてるなら構わない。この記事だって自己満足で書き始めた。だけど、文字数自慢をする人たちは、「長い=価値がある」みたいな顔をしてくる。長さよりもしんどいのは、「終わり」が見えなくなることだ。

マウントとれたらなんでもいいやって人は一定数いる。数字は目に見えてわかりやすい。一万字ってだけで、どこか達成感があるのも確かだし。

あかん。まだ、2000文字にもいかないのに、ぼやきが始まった。エッセイっぽく戻さないと。

こんなことをぼやきながら書いているこの一万字に向けた文章。「最後まで一体誰が読むんかな?」なんて思ったりもしながら書いてる。当初の目的を忘れかけてきたけど、創作大賞に向けての練習だった。それなのに、どこか読んでもらいたい気持ちが湧いてくる。これがハリネズミのジレンマ?いや、ただのあまのじゃくか。

⌚️ 一万字書くための時間


「みんなどれくらいのスピードで記事を書いてるんかな?」

1000文字ほどの記事であれば、20〜30分あれば下書きは終わる。一万字となるとその10倍なわけだから、5時間もあれば書き終える。この記事を書き始めたのが11時15分。現在、2000文字書いたところで12時38分。「あれ?計算が合わん」......まだ見直しもしてないのに。タバコ休憩や冷蔵庫チェックの時間を忘れてた。机上の計算で進むほど世の中そんな甘くない。

AIを頼ればもっと早く終わるかもしれん。巷では「5分で記事が書ける」みたいな話もたくさん落ちてる。5分で書かれた記事ってのが、どれくらいの完成度なのかは、読んだことないしわからない。誰の声かもわからん話に興味もないし。

それより、今書きたいのはエッセイだ。写経ではない。考えながら書いている以上、どうしても時間はかかってしまう。理屈で考えるのは辞めにした。どうせなら一万字を書き終えた頃、何時になってるのかを楽しみに書こっと。

🔧 一万字書くならエッセイでもプロットが必要


今のところ、頭の中で浮かんだことをそのまま垂れ流してる。書くと不思議と頭は少しスッキリする。モヤモヤが文字になって外に出る感じがある。この感覚が気持ちよくて、また書く。気づけば下手なスマホゲームよりも中毒性が高くなっていた。

行き当たりばったりでここまで書いたけど、ちょっと後悔中。だって、以前プロットなしで小説書いたら、ちゃんと挫折した。プロットなしでラストまで書ける天才なんて一握り。凡人は凡人らしく構成を組み立てなあかん。それを3000文字近くになるまで忘れてるって、今まで何を学んできたんやろ。

今までは1記事1000文字1テーマで書いてたから、伝えることはひとつでよかった。だからプロット無しでも問題なかった。続きを考えないほど楽なものはない。今回みたいに1テーマを膨らまして書くとなると、やはりプロットは必要だ。思いつきで書いていったら、同じことを言い換える記事になっていく。あとで読み返した時に絶対思う。この記事嫌いって。

ここから先は、一旦書くのを中断してプロットを組んだ方がいいな。13時12分。文字数が増えるにつれ考える時間が増えてってるし。

🧑‍🎓 一万字を超えるほどの文章を書くこと


「今まで書いた最高文字数はどれくらいだった?」

自分が書いたnoteを振り返ってみたら、最高は約4800文字だった。大津市の給与問題に対して語ってた。エッセイでもないし、参考文献を使ったかさ増しもある。


そもそも、人生で一万字を超える文章を書いたことなんてあったっけ?最近なら小説書いて達成したわ。それ以前となると卒論以来か。何を書いたかすら覚えてないけど、卒論の平均が二万〜四万字というからには、きっと書いたに違いない。でなきゃ卒業できんわけだし。覚えてることと言えば、締め切りギリギリに提出したってこと。先延ばしは昔からなおってない。

不思議なのは、しんどかったのは思い出せる。よくやったよなぁってすごく思う。書くのが辛かった記憶もある。それなのに、最近は毎日記事を書いてる。書くことが楽しいって思ってる。どんな心変わりが起きたんやろ。あの頃の自分に言ってあげたい。「意外と書くことって楽しいよ!」って。

🧗‍♀️ 文字数を稼ぐための技術


「文字数を稼ぎたい!」

そう思った瞬間、検索が始まった。どのノウハウも言いたいことはわかるけど、薄いカルピスを飲みたいわけではない。まだ、半分もいかないうちに検索しだした時点で「テーマ選び」に失敗した。

好きなことならなんぼでも喋れる。野球やプロレスの話なら、付き合ってくれる人さえいれば一晩中語り尽くせる。縦にも横にも話は広げられる。脱線も多いけど。そう考えると、好きなこと、興味があることをテーマにしたエッセイの方がおもしろくなるし、話も伸びる。書いてる途中で「あ、この話もあった」って、どんどん飛んでくし。

今さらテーマを変更するわけにはいかない以上、むりやり自分の得意分野に引き込むしかない。ちょっと「一万字」にこだわりすぎた。「エッセイ」について語っていけばいいだけだ。「文字数を稼ぐ」って発想は捨てることにする。濃いカルピスが飲みたいんよ。

🤣 そもそもエッセイがなにかよくわかってない


「エッセイってなんやろう?」

半分ほど書いてから聞くことでもないけど、いまいちエッセイの定義がわからん。誰かの記事を読んだところで、それがエッセイだと意識して読んだこともない。国語の教科書には載ってたかもしれないけど、どれがエッセイだったかも思い出せん。

「自分自身の体験・感情・考えをもとに表現される作品」

こう言われたところで、「だからなに?」小学校の頃に書いてた作文も、大まかに言えばエッセイなのか。いや、娘の作文見てると出来事を並べただけに見える。そこに共感があると「エッセイ」になるのかもしれん。作文コンクールに選ばれるかどうかも、共感力が必要ってことか。定義にすると難しいけど、意外と身近で慣れ親しんだ文章がエッセイなんだろう。

ちなみに、エッセイはフランス語由来。日本語だと随筆って呼ばれてる。「筆の赴くまま、書くこと」。吉田兼好の「徒然草」の冒頭「つれづれなるままにその日ぐらし、硯に向かいて心に映る由なしごとをーー」を思い出した。「〇〇って話があんねん。△△らしいで。せやけど、××ちゃう?」こんな感じの構成で書いてけば、エッセイになる?まぁ「筆の赴くまま」って言うぐらいだし、形式に正解はないか。

そうなると、エッセイって自由なようで不自由だ。好きに書いていいと言われるのに、好きなだけ書くと読みにくくなる。いかに読者を意識して書けるかがエッセイなはずなのに。あかん。なんか自分のために書いてるし、「これもエッセイです!」って自信がなくなってきた。読者の立場に立つ客観性よりも、自分を俯瞰してる感じになっとるな。

🫣 途中で飽きるのは読者より先に自分


「時計の針は元には戻らない、だが、自らの手で進めることはできる」

15時12分。碇ゲンドウの声が聞こえた。理論上だともうすぐ書き終わるはずなのに、まだ5000文字。ここで投げ出したら今までが全部パーになる。読んでくれてる人がどうこうの前にちょっと飽きてきた。今こそ脱線が必要やろ。

妻は普段、主語なしで会話してくる。「この前のアレなーー」会話というよりクイズだ。話の順序はバラバラだけど感情だけは乗ってるから、録音して文字起こしすればおもしろいエッセイになりそう。

ちなみに機嫌が悪くなると、正論アタックで攻撃してくる。

「まずね?あなたが◯◯したよね?だから△△になって、結果□□でしょ?」

普段の説明力はどこへ?
アレは何処へ?
まるで論理派弁護士。

「3年前のあの日、あなた◯◯したよね?」
「その前の△△の時もそうだったよね?」

時系列も正確、補足情報も完璧。

あかん。脱線しすぎた。これ以上語るとテーマから離れてく。飽きると、身近な話を思い出す。しかも、そっちの方が具体的だったりするから厄介やね。

「一度逸れた話は戻らない。だが、自らの手で戻すことはできる」

うまく冒頭を回収したつもりだったけど、もう遅い?これが一万字を書くってことのリアルってことにしとこ。

📚 エッセイと小説の違い


最近は小説も書いている。エッセイとの違いを簡単に言えば、「作り話」か「体験談」かが大きいと思う。小説は作り話だからこそ頭を使うし、書き終えるまでの時間がかかる。一方、エッセイは体験談を元に書いてるから、テーマさえ決まれば1000文字くらいならすぐ書ける。

構成も変わってくる。今このエッセイは思いついた順に書き殴ってるけど、小説は起承転結を考えてから書かないと詰む。っていうか、話が平たくなっていく。もちろんエッセイにも構成ってのがあるはずだ。そんなこと考えずに書いてるから、読みづらくなるのか。構成ガチガチで書いたら、それはそれで個性がなくなる。そのあたりがセンスの差か。

文章表現の仕方も違う。

「時間が足もとからこぼれ落ちていくようだ」

こんな感じの文学的表現でエッセイ書いてたら臭い。臭すぎる。関西弁を交えた口語エッセイで書いてるからこそ、余計にそう思うのかもしれん。うまいこと書こうとすると、一気に臭くなるのがエッセイの怖いところでもあり、おもしろいところでもある。

「エッセイは芸術だ。一万字のメロディ。これはもはやフィギュアスケートだ」

こんな書き出しで始まったら......うん。読まん。

🤖 AIとエッセイの相性は最悪


『短い文章ほど逆にごまかしが効かないだろう。急に正解が遠くなる気がする。でも、たぶんそういうことなんだと思う』

AIにエッセイを書かせてみた。こんな感じで話を曖昧にするのがAIだ。この一節だけ見てもAIに頼るのはまだ早い。語彙がありそうで、ないのも無駄に腹立つ。特にこの記事のような口語エッセイとなると、AIからしたら邪道。理解されん。断定して言いたいところも曖昧にしてくる。書き手の体温は消すのがうまい。話が噛み合わず何度喧嘩したことか。AIと喧嘩するほど虚しいこともない。後から来る虚無感は、まるでーー。あかん。例えようとしたら臭くなりそうやったしやめとく。

さらに文字数が増えると、焼き直し感がひどい。「特定の視点に偏らず幅広く拾える」って聞くけど疑ってる。AIは前後の流れを無視して提案する。結果、話が繋がらん。言葉が重複する。最後は喧嘩。頼って文字数を稼いだところで一体なんの意味があるん?......だったら、自分で書くわい!

AIは「でも〜」も多いな。短い文の間に何回「でも でも でも」って使うんやろ。プラカード掲げてるんかと勘違いしたわ。こう愚痴ってると、どっちがデモ行進してるかわからんくなるから、ここら辺でやめとかないと。

🤝 AIとの付き合い方


どこかAIに対して淡い期待を抱いてた。下手に生成させるから、裏切られた時のショックが大きい。AIが書いたような記事が溢れてる時代だからこそ、既視感を感じて余計にイラっとする。だから、付き合い方を変えた。娘と一緒。「明日はちゃんと起きる」起きれた試しがない。娘の部屋に犬たちを放って目覚まし代わりに舐め起こす。あれ?また飛んだな。こんなこと書いてるからAIとの相性が悪いのか。

プロット作りだとAIは役立つ。どんなことを書いてけばいいかのアイデアをくれる。骨組みを並べるのもうまい。いつも思いつきで文章を書き殴ってるからか、構成を考えるというスキルが圧倒的に不足してる。その点を補ってくれるからAIは優秀だ。だけど、あまのじゃくがここでも発生。守らんのよね。それを守ればこの記事ももっといい感じになったかもしれんのに。7000文字。後半が見えてきたところで言うことではないな。校正はまだ信用してないけど、誤字脱字の添削もうまい。

完全に頼るではなく、編集者として補助的に使う。あまりにも頼り過ぎな記事が多いから勘違いしちゃいがちだけど、それが本来の正しい使い方なんだと思う。

🗣️ 喋りが上手い人はエッセイも上手い


noteを書くようになってから本屋に行くことが増えた。今までは雑誌コーナーか漫画コーナーだけだったのに、文庫本コーナーも目を通すようになった。まだ買うまではいってないけど、どんなタイトル、どんな本が売れてるのかは見るようにしてる。エッセイコーナーを覗くと、ピース又吉やオードリー若林など芸人さんが書いてるエッセイが多く置いてあった。

よくよく考えてみると、芸人さんは喋りのプロだ。笑わすための構成もしっかりと練られてるし、オチも明確。会話と文章は別物かもしれんけど、下手な素人よりもずっとうまい。平積みがそれを証明してる。

そんな時、普段の自分の生活を思い出した。個人事業主ってこともあって、人と喋ることがない。妻との会話も「はいはい」と聞くだけ。下手に会話したら喧嘩になる。今日、声を出したことあったっけ?犬たちに「おすわり」「待て」「よし」......命令しかしてへん。

最近、他人と会話した記憶はコンビニくらい。「45番ひとつ」「ありがとう」......やばいな。エッセイ書くなら会話もしっかりしないと上達せんな。だからなのか。QBハウスが楽しい。髪を切ってもらってるのか、喋りに行ってるのか。10分で終わらない。

🫥 エッセイに主語は必要か


エッセイは自分の体験談を元にしている。そこに主語(一人称)が必要なのかと、疑問に思った。ここまで読んでくれた人なら気づいた人もいるかもしれないけど、この記事に主語はない。妻は主語がないって愚痴ってたのに。

書かないのには理由がある。「私・僕・俺」どれもしっくり来ないから。普段「わし」と喋ってるのに、「僕・俺」って言うのはなんだか恥ずかしい。かと言って「わし」を使うと文章が一気にくどくなる。「私」が一番無難なんだろうけど、だったら使わなくてもいいかなと。

自分視点で書くのが当たり前なのに、あらたまって「私」と言うと、なんだか変な感じがする。だからわざわざ「一人称」をつけない。文字数を稼ぎたいなら、そのたびに「私」と書けばいいのに。変なこだわりだけは一丁前だ。

🛠️ 簡単なプロットでちょうどよかった


このエッセイを書くにあたってのプロットは「章(見出し)」だけにした。あまりに細部までこだわり過ぎると、その時点で満足しちゃいそうだったし。

正解やった。章立てにしたことで書くスピードは上がった。16時07分。そろそろ8000文字。終わりが見えてきた。「次はこれを書けばいい」が見えてくるだけで手が止まらん。一万字ってひと塊で見るから、しんどいんよ。

当初の予定は10章×1000文字だった。ちょうど一万字。普段書いてるようなことを10回って思えば、いつもと同じやん。1章1テーマで深掘りしてけばいいかなって軽い気持ち。

……最終的に19章になった。

深掘りすればするほど、また同じ話に戻ってくる。1話完結なら気にならないけど、続けて読むと「あれ、さっきも言うてたな」がすぐ出る。これが一万字の怖いところや。

💴 目的と手段


小説を書いてる時は、文字数に苦しんだ。コンテストの締め切りが近づくと尚更だ。細部のディテールを細かくしたり、解像度の高い文章にして文字数を稼ぐことに必死になる。いつの間にか、小説の内容をおもしろくするのではなく、「文字数が多いだけの小説を書きたい!」そうなると、長く書くこと自体が目的になっていく。

そう思うと、やっぱりエッセイは楽だ。思ったことを綴っていけばいい。書いてるうちに「あれ書けるかも」って次のネタが浮かんでくるし、タバコ休憩中にも書きたいネタが浮かぶ。メモしないから煙とともに消えていくけど。それもこれも道楽だから出来ることなんかもしれん。いくら書くことが好きになったとはいえ、これが仕事となると絶対苦になる。こんな脱線もできなくなるわけだし。

普段のnoteもそう。「コンテストで10万とりたい!」って目的があるはずなのに、いつの間にか脱線していらんこと書いてしまう。余計な一言書くから選ばれないとわかっていながら書いちゃう。AIにも何度怒られたことか。お前の記事は役立たんって。

そもそも、なんで一万字チャレンジなんかしようとしてたっけ?「あ、そうか」創作大賞に向けての練習だった。それすら忘れるくらいに、このテーマに対して潜り込んでた。

🏋️ 一万字書くには体力が必要


16時27分。書き始めてから5時間強。このままいけば、一万字で6時間くらいになりそう。書くだけって、簡単そうに見えて難しい。ちょいちょいタバコ休憩を挟んで立ち上がってはいるけど、吸わない人だと、ずっと座ってることになる。それだけで腰をいわす。ちょっといい椅子にすると、今度は眠くなる。せっかくパソコンデスクをいい感じに整えたけど、リビングだったり、キャンプ用のローチェア座ったりと、ちょいちょい場所を変えてる。

頭は常にフル回転だから糖分も必要。ミルクティー1Lが空になった。Lが言ってた。「甘い物を食べても、頭を使えば太らない」だからプラマイゼロだ。なんなら痩せたかもしれん。

タイピングのしすぎなのか、最近左手の小指が調子悪い。老眼もさらに悪化した。こんなことに時間使うなら、この時間タイミーで流れ作業をしてた方が金になる。それでも、書くこと、考えることが好きだから続いとるんやろう。

📖 エッセイの勉強をしよう


エッセイの定義すらわからず、今まで書いてきた。今日、このテーマにしたことで、初めてエッセイについて深く考えてみた。机に向かい、書くことをひねり出し、ひたすら書き散らした。アウトプットで書く力をつけるのはもちろん大事だけど、インプットが圧倒的に足りてなかったな。今、何したいかというと本屋に行きたい。誰でもいい。ちゃんとエッセイってのを読んでみたくなってきた。

問題は流されやすいってこと。誰でもいいとは言っても、手に取ったエッセイを研究し、その人っぽい文体でエッセイを書いてしまう恐れがある。最低でも3人くらいのエッセイを手にしないとえらいことになる。そう考えると、本屋よりも図書館の方がいいかな。もうすぐ閉館の時間だけど。

📝 まとめってかオチ


noteを始めてもうすぐ半年。1日2〜3記事ほど書いている。普段から長文記事を書いている人に「投稿数すごいですね」と言われてもピンとこない。いつもは多くて1000文字。3行日記だけでも100本以上ある。

一日で一万字書けば、だいぶ頭の中はスッキリするのかなって思ってた。「もう書きたくない!」って思ったりするのかとも。いや、全然。書くことでネタが増える。書くことが、頭の中を更に忙しくしている。依存と言えば依存。なんなら、まだ書けそうだけど、ここまで読んでくれる猛者がいなきゃ意味ないね。ちょっとハイになってて気づいてないだけで、同じことを繰り返し言い直してるだけになってるかもしれん。目的と手段って言いながら履き違えそうになってた。

こういう時こそ、AIが教えてくれるな。書き終えた今、一万字を読み返す気なんて起きないし。なんて言われるやろ?「愚痴とぼやきが多い」って怒られたりして。「それが個性じゃ!」って言い返そ。

普段は1記事1000文字1テーマ。「ひとつだけ伝えればいい」そのほうが文章はむしろ伝わるって思ってる。人はそんな長い文章、全部は覚えられんし、集中力も続かない。自分のモットーを崩してまで長文を書き綴っていくのもなんか違う。

「一万字なんて無理やろ」から始まったけど、書いてみてわかった。大事なのは、長く書くことより「ちょうどいい長さ」で届けることだった。

最後に重大なこと伝えておく。

創作大賞の応募要項は、ずっと「一万字以上」だと思ってた。だから今回、練習のために一万字チャレンジした。あらためて応募要項を見直してみたら「一万字以内」と書いてあった。「あんたバカァ?」......最後までアスカに怒られた。老眼が原因なのか、サラッと読んだのがいけんかったのか。ちなみに入選作品の平均文字数は約4600文字。大賞は約9000文字。創作大賞を目指すならそれなりに文字数は必要だった。この練習もきっと無駄にはならない。

時刻は17時。犬たちが呼んでる。「早くお散歩連れてけ!」って。1日に一万字書けるようにはなった。もちろん、ただ文字を埋めた一万字ではなく、今日はちゃんと前に進んだ一万字や。これがエッセイかどうかは、最後までようわからんかったけど。ここまで付き合ってくれて、ほんまおおきに。

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