うんこしりとり、ただいま便秘中
付き合いたての頃は、車内に沈黙が落ちると焦ったものだ。
信号待ちで会話が途切れると、「何か話さなきゃ」と次の話題を探す。好きな食べ物、最近見た映画、休みの日は何をしているのか。まだ知らないことが多いから、聞こうと思えばなんぼでも出てくる。
それでも沈黙が続けば、「遊んでくれてありがと。つまらなかったわ。じゃあね。」と言われるのではないかと、助手席の横顔まで気になった。
そんなふしぎな森でしか訪れないような感情を、最後に味わったのはいつだろうか。
熊谷へ向かう片道四時間の車内。娘は助手席に座り、パパとの会話よりスマホの画面を親指で上へ送るほうに忙しそうである。会話が途切れて十分経とうが二十分経とうが、「何か話さなきゃ」を探すことすらしない。十六年以上の付き合いともなれば、沈黙が心地良いまである。
ところが、高速で動いていた親指が止まった。画面を何度か触り、上の方を確認している。どうやらこのあたりは電波の入りが悪いらしい。
「パパ、しりとりしよう!」
娘にとって、しりとりは圏外でも利用できるオフラインコンテンツだった。さっきまでパパの質問を「うん」「そう」と空返事していた娘は高校二年生。あと一年もすれば、娘が運転席に座る年齢になる。
それなのに、未だ「りんご」でケラケラしてる娘に「運転代わって!」と命を預ける覚悟はまだ持てない。
ちょうど今朝、まきさん家に伝わる「うんこチャンス」という謎のしりとりルールについて書かれた記事を読んだ。
普通のしりとりだと、一度使った言葉は二度使えない。ただし「うんこ」は何度でも使える。
「りゅうおう」から「うんこ」、「こんぼう」から再び「うんこ」。「う」が回ってくるたび、堂々と「うんこ」と叫べる。別に「ち○ち○」でも、「お○ぱ○」でも良かったのだが、ここは大人らしく「うんこ」を採用することにした。
さっそく娘に、「『う』やったら、うんこは何回使ってもいいことにしようや」と提案してみる。最初は「は? くだらな」と冷たい視線を向けられるのかと思いきや「やるやる〜」とノリノリ。反抗期より先に、うんこがブリブリ通過するのもどうしたものか。
こうして熊谷へ向かう車内で、「第一回うんこしりとり大会」が始まった。
ところが、始めてみると、なかなかうんこが出ない。しりとりにおいてパパが好んで使うのは、「マリベル・エンドール・リムルダール」のような『る』で終わる言葉である。相手が幼稚園児だろうが高校生だろうが、勝負が始まれば親子関係はいったん水に流す。
「ルーラ・ルイーダ・ルカニ」
最初のうちは元気よく返していた娘も、何度も「る」を流し込まれるうちに苦しい顔になり、最終奥義の「ルール」で『る』返し。
ただ、パパには秘技「ルーブル」返しがある。
「また『る』じゃん」
娘が必死に「る」で始まる言葉を探している横で、次の「る」を準備して出口を塞ぐことがパパの喜びである。
そのうち、うんこチャンスの存在そのものが薄れていった。車内では「る」が詰まり続け、うんこは一向に排出されない。それでも「何度でもうんこを使える」という特別ルールを設定した以上、一度くらいは使ってみたい。
ただ、娘が「ルミノール反応・ルソン海峡」みたいな言葉を知っているとは、到底思えない。
熊谷へ向かう道はまだ長い。
「うんこと叫びたい」と「『る』で追い詰めたい」の間で揺れているパパをよそに、やがて電波が戻ると、娘は何事もなかったようにスマホを開き、しりとりも自然消滅した。
結局、一度もうんこチャンスは訪れなかった。うんこを出したくて始めたはずなのに、パパの負けず嫌いによって完全に便秘である。
