260804 夾竹桃咲く高槻巡覧
輪行ポタリング紀行 024
1. 電車移動時間: 2時間半前後
2. 自転車移動距離: 50km前後
3. 自然の景観より人間の生活
というのが、輪行ポタリング地を選ぶときの条件です。ChatGPTに相談してみました。「あなたは、その土地でしか味わえない歴史や文化との出会いに価値を感じるタイプですよね」とわざわざ断ってから、6つほど候補を挙げてくれました。その1番が「高槻」でした。
0650 出発

「水無瀬三吟」のあの水無瀬です
0656 高浜砲台跡

周囲180m高さ約2.5m
淀川の船舶攻撃砲台
0707 本澄寺


達治の弟、三好龍紳が第41世住職
高槻の地図を見ていて、三好達治の墓を見つけました。興奮しました。大好きなんです。ひょっとして戦国時代、高槻を拠点としていた三好氏と関係があるのでしょうか。調べてみましたが、わかりませんでした。
寺の場所はすぐにわかりましたが、墓はなかなか見つかりませんでした。墓場にないんです。本堂の隣にある堂の南側にありました。近くにカラスの巣があるのか、お墓に近づくと数羽がうるさく鳴きたてました。
達治は「願はくば」という詩で、自分の墓には梨の木を何本か植えてほしいと書いています。これ梨の木ですか。椿か山茶花に見えるんですが。
0739 一乗寺

右後ろは新名神高速道路工事
大楠は高さ約30m、幹まわり約7m、樹齢推定800年という巨木です。西国街道沿いにあります。昔は遠くからでも見えたはずです。大きい木だから、きっと弁慶が乗る大きな馬を繋いだに違いないということなのでしょう。そういう話をだれが最初に言い出すのでしょうか。面白い人がいるものです。
0805 安満宮山古墳

5面の青銅鏡が出土

割竹型木簡による直葬
淀川の岸から安満宮山へ登ってきました。平成9年、高槻市の公園墓地を拡張するためのこの地で事前調査がありました。一帯には古墳があると言われていましたが、掘削作業によって最も突き出た尾根に墓坑が見つかり、しかも銅鏡が出土しました。
出土した方格規矩四神鏡には、三国時代、中国・魏の「青龍三年」に作られたと銘記されています。一方、『魏志倭人伝』には、その4年後、239年に卑弥呼が魏の明帝から「銅鏡百枚」を下賜されたと記されています。この二つを繋げて、四神鏡は卑弥呼がもらった銅鏡の一つではないかと考えられています。
何ともワクワクする話です。丘の上からは大阪平野が一望できました。豊かな淀川の流れが真夏の太陽に輝いていました。恐らく埋葬者は大陸と関係の深い人だったのでしょう。死んでからも海を超えて大陸と繋がる淀川を見ていたいと願ったのかもしれません。
0830 上宮天満宮

天正8年建立の旧本殿は平成8年に焼失
少年5人組による放火だとか

上宮型狛犬として一派をなす元祖
四角いお顔が愛らしい
JR高槻駅から徒歩5分の場所です。こんなところに小山があり、山一つすべてが神域だとは思ってもみませんでした。日神山の上宮天満宮です。由緒のある場所はやはり漢字が読めません。日本で2番目に古い天満宮だそうです。ちなみに最古の天満宮には4社が立候補しています。なのに2番目ってあなたw
0848 伊勢寺

左後ろが和田惟政の墓
上宮天満宮のすぐ北にある伊勢寺。平安中期の女流歌人、伊勢が住んだところと伝えられています。100年ほど後の歌人、能因法師は伊勢を敬慕していたそうで近くに塚が残っています。和田惟政は戦国時代の武将です。後で出てくる芥川城の城主だったこともあります。
0948 神峯山寺


本堂の大棟には菊の御紋

役行者お手植え
市内から北部へ1時間。北摂山系のすそまでやって来ました。神峯山寺は役行者により開山され、日本で最初の毘沙門天の道場として天皇家の勅願寺です。本尊の毘沙門天は3体もあり、横並びではなく縦並びという珍しい配置です。興味津々ですが、秘仏につきボクのように信心浅い者は拝観することができませんでした。
1020 三好山芥川城跡



今日、一番来たかったところです。戦国時代の「最初の天下人」、三好長慶が居城とした山城跡です。北摂の山塊の南端にある小さな山ですが、渓谷が周囲を深く穿った天然の要害になっています。
尾根伝いに曲輪が並ぶ連郭や、山城には珍しい野面積みの石垣などが見たかったのですが、どれも確認できませんでした。朝からおにぎり一つ、コーヒー一杯だったので、そろそろ体力の限界が近づいていたようです。
それでも、大阪平野と西国街道と淀川の水運が一望できました。長慶はさぞ悦に入ったんでしょうね。時代が平和になると、高山家が平地の高槻城へと移り、芥川城はすたれてしまいました。
1130 今城塚古墳

奥が古墳
山から下りて三度、電車の線路の近くまで来ました。今度は、6世紀前半に造られたものとしては国内最大の前方後円墳です。宮内庁は被葬者を治定していません。ただ、誰が葬られているかよりも、埴輪祭祀場が再現されていることのほうが興味深い。
前方後円墳の括れた部分に長方形の張り出しがあり、そこで200を超える形象埴輪が出土しました。その様子が再現されているんです。多くの家、多くの男、多くの女、多くの動物が、今も大王の死を静かに悲んでいます。埴輪による永遠の葬送です。その横で子供たちが元気に走り回っていました。
1146 太田茶臼山古墳

隣の茨木市まで来てしまいました。最近、皇室典範改正に伴って男系男子の天皇として継体天皇が注目されています。武烈天皇が崩御し、直系の血筋が途絶えた際、父方の応神天皇から数えて5代後の子孫が天皇として即位されました。第26代継体天皇です。
ただし、応神天皇と継体天皇の間にいるはずの親族4代についての記録が残っていません。継体天皇は即位してから大和で政権を担うまで20年間もあり、専門家の間では応神天皇との血のつながりが議論される「謎の天皇」と言われます。そんな継体帝は陵墓にも異説があります。
時代考証によると、陵墓は太田茶臼山古墳ではなく、隣の今城塚古墳のはずだそうです。それまで天皇家の陵墓は古市・百舌鳥周辺にあったのに、突然継体帝だけ高槻に造られているのも不思議な話です。ただ、太田茶臼山古墳も清浄で素晴らしい陵墓でした。ここまでは世情の騒音も届きません。
1207 富田酒

明徳年間(14世紀末)創建
中は入れませんでした


右奥は立ち飲みどころ

右手前に小売り店があります
また高槻に戻って、とうとう最終目的地へ到着しました。富田は室町幕府の庇護のもと普門寺の門前町として栄え、やがて一向宗の寺内町として宗教自治都市となりました。江戸幕府からも特権を得て、酒造りの町へと発展しました。
富田酒は池田(呉春)、伊丹(白雪、老松)と並ぶ北摂三銘酒の一つに数えられます。最盛期には24軒もの酒蔵が軒を連ねたといいます。今も2つの造り酒屋で美味しいお酒がいただけます。両方の店で物色したところ、清鶴酒造さんで好みのお酒がありました。生です。温めてはいけません。即刻帰宅することにしました。
1241 終着

高槻がこんなに風情のあるところだったとは。今までは京都と大阪の中間点としか意識していませんでした。中間点であるからこそ、歴史や文化の中心地として、古代から近代までさまざまな時代が重なりあっているんですね。家から近いのに充実の輪行ポタリングでした。これから行先は必ずChatGPTに相談します。
