260713 梅雨明け南河内古墳巡拝
輪行ポタリング紀行 023
前回、丹波へ行ってから、1ヶ月以上が経ちます。この春から夏にかけては、ほとんどポタリングに行けませんでした。雨が多かったからでしょうか。去年は12回も行ったのに、今年はやっと4回目。久しぶりの遠出は、南河内を選びました。
南河内は、大阪府の南東部です。自治体で言えば、富田林市、河内長野市、羽曳野市、藤井寺市、松原市、大阪狭山市、太子町、河南町、千早赤阪村になります。世界遺産の巨大な古墳がいくつもあり、最古の官道、竹ノ内街道が走る歴史豊かなところです。
0720 出発

電車に揺られて2時間足らず。2回乗り換えて到着しました。三日市町駅は、南海高野線の河内長野駅から一駅南にあります。名前から言って毎月三日に市が立ったところなのでしょうね。昔は高野山の参詣路として栄えたそうです。
0750 観心寺

室町時代初期建立 国宝

左右に両界曼荼羅があります





後村上天皇陵
駅から坂道を上るばかりで30分ほどで。観心寺は大宝元年、役小角によって開かれたと伝えられています。それから約100年後、空海が当寺を訪ねた際に北斗七星を勧請したといいます。星を呼ぶんですよ。よくそんなカッコいいこと考えますね。
ここは後醍醐天皇に仕えた楠木正成の生まれた千早赤阪村の近くです。そのため、正成が子供の頃に学んだ寺との伝承があります。神戸であった湊川の戦いで足利尊氏に敗れ、首だけが帰ってきたのか、首塚がありました。三重塔が建設途中で打ち切られ、建掛塔とは切ない名前の建物がありました。
0910 富田林寺内町

右 上野家住宅

右 妙慶寺

富田林まで東高野街道を北へ1時間ほど。大阪府下、唯一の重要伝統的建造物群保存地区です。以前に来たことがあると思っていましたが、まったくの勘違いでした。500棟も町屋が残っているとは。しかも、それほど観光地になっていません。路地の静かさが印象に残りました。
0950 大阪府立近つ飛鳥博物館



今度は山へ向かって30分ほどで、安藤忠雄さん設計の近つ飛鳥博物館を見に行きました。「近つ飛鳥」は『古事記』に出てくる言葉です。難波から言って大和を「遠つ飛鳥」と呼んだのと対になるそうです。窓のない巨大なモノリスのような建築です。「倉庫マニア」魂を揺さぶられました。
1010 磯長谷古墳群
用明天皇陵古墳

聖徳太子の父
叡福寺(聖徳太子磯長墓)

前に建つのが叡福寺

三骨一廟に納められた円墳
飛鳥川の流域に6、7世紀の古墳が約30基ほどが集まっています。聖徳太子御廟と敏達、用明、推古、孝徳天皇の4つの御陵が中心となるので、別名「王陵の谷」と呼ばれるそうです。そんな磯長谷古墳群が世界遺産に入っていないのはなぜなのでしょうか。
1130 古市古墳群
日本武尊白鳥陵古墳

白鳥に変じて降り立った地
応神天皇陵古墳

日本武尊の孫、神功皇后の子
仲姫命陵古墳


土師氏の氏神を祀ったのが始まり
1時間ほど北上し、大和川とその支流、石川が合流する南西の段丘に古市古墳群がありました。古墳を造営した土師氏の根拠地でもあったそうです。かつては130基以上の古墳があったとされますが、現存は45基。応神天皇陵などの大規模墳墓は、大和川を遡上する外来船に見せるためのものだったのでしょうか。
1300 高井田山横穴群集墳


大陸の様式か?

生き生きと楽しそうに見えます
今回一番面白かったのが高井田横穴墳です。1つの小さな岩山をさまざまに横穴を掘って亡くなった人を埋葬しました。6世紀に渡来してきた百済の王族の墓ではないかと推測されます。線刻壁画に刻まれたような船で日本にやってきて、黄泉の川を渡っていったのでしょうか。
1430 百舌鳥古墳群
仁徳天皇陵古墳

応神天皇の子
ほとんど逆風の中、延々走ってやっと到着しました。かつては海に面していたと言われる百舌鳥古墳群は44基の古墳が残っています。仁徳天皇陵は日本最大。周囲を一周3㎞を回ってみました。それで最後の力を使い果たしました。ボランティアの方が「説明しましょうか?」と言ってくれたのに、無言で首を振る元気しか残っていません。隣にある履中天皇陵にも行きたかったのに、もう体が動きませんでした。
1500 終着
南海高野線の三国ヶ丘駅が終着です。あまりに疲れていたので駅で写真を撮るのも忘れてしまいました。翌日、両足が筋肉痛でまともに歩けませんでした。やはり、久しぶりのポタリングは体に応えます。
