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なんのはなしですか。【長編小説】18

 二人はNHKを出てエレベーターへと乗り込んだ。榎本が迷いなくF1のボタンを押す。
「本部へは戻らないんですか?」
 宮下の問いに榎本は1階へと徐々に降りていく表示を見ながら言った。
「俺達にそんな時間はない。そうだろ?」
 宮下には榎本の後ろ姿がいつもよりも大きく見えた。そうだ、我々に猶予はない。一刻も早く原因を突き止めなければならない。薬物である確証も、ウイルスである確証も、まだ何も得られてはいないのだ。宮下は前を見た。
「はい、そうですね」

 昼間の路地裏は榎本が言っていた通り、夜ほどの賑わいはない。そんな落ち着いた路地裏で、どこからかともなく聞こえてくるホーミー。それもここでは何の変哲もない日常なのかもしれない。
 しかし、今回の目的はプリンセスではない。新たな難民の捜索だ。

「手分けしますか?」宮下が訊く。
 榎本は辺りを見回した。
「そうだな、その方がいいだろう」
「分かりました。何かあればメッセージ送ります」
「あぁ、そうしてくれ」
 二人はいつものように散らばった。

 今日は木曜日、とはいえ祝日。子ども達の声も時折聞こえてくる。
 榎本が何気なく歩いていると、路地裏の小さな空き地に集まる子供たちを見つけた。子ども達は女性の前を囲むように座っている。子どもの親だろうか、大人も数人ほど子ども達の後ろに立っている。
 女性は大衆に向けて何か話しているようだった。榎本は気になり近づいた。

 聞こえてきたのは何やら物語の朗読だった。読み聞かせのボランティアだろうか。女性は榎本のことを気にもとめず朗読を続ける。

「…をサッと引き寄せたんだ!『わー!リスン、すごい!』子ども達は大喜び。リスンは『えへへ、なんのはなしですか』と言って、またお家に戻ったんだ。それからね、リスンは町の小さなヒーローになったんだよ。彼の大きな耳はいつも、誰かの話を聞く準備ができているんだ。おしまい」
 女性がニッコリと優しく微笑む。とても落ち着いた優しい声。感情が乗っていて抑揚のある話し方は思わず聴き入ってしまうほど、うっとりとさせられる。それはまさにプロの朗読だった。榎本も例に漏れず彼女の声に聴き入っていた。
 周りの子ども達からは「リスンすごい!」「他にも聞きたい!」などチラホラ声が上がり拍手が鳴る。

「じゃあ、次は絵本にしようか」女性の問いかけに子ども達も喜ぶ。
「ねぇねぇ、絵本ってなんのおはなしー?」男の子が少し大きな声で訊いた。
「これはね、チクリンのお話。どうかな?聞きたい?」
 子ども達が「ききたーい!」とそれぞれに口走る。
 次は絵本の読み聞かせか。しかし、チクリンとは何なのか?さっきのリスンも初めて聞いた名前だ。榎本は隣の人へ小声で訊いた。

「さっきの朗読は、いったいなんの話ですか?」
 尋ねられた人は困ったように首を傾げた。
「んー…とてもいい朗読だったんですけど、内容はさっぱり…」と、苦笑いしている。
「リスンやチクリンは何かのキャラクターなんでしょうか?」
「路地裏のモンスター?みたいです。ちょっとした作り話みたいですけど、子どもはそれが本当にいるって言うんです。お話してくれるお姉ちゃんは嘘ついてないって」
 あのお姉さんのことを信じてるみたいで…それか、子ども特有の何か視える時期なんですかね。と、少し困ったように笑う。
「たしかに、そういう時期もあるかもしれませんね」榎本は話を合わせながらも、No.874の件を疑った。

 ウイルスNo.874の症状は『妄想の吹聴』。読み聞かせという一見、奉仕活動のような装いで、それをカモフラージュしている可能性も十分考えられる。そして、もし子ども達が感染し発症しているとなれば、妄想によってモンスター達が見えていると考えてもおかしくない。
 榎本は女性の話し声にうっとりとしつつも、女性へ接触できる機会をうかがった。




次へ続く





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