食べることは、本当に快楽なのか?
先日誕生日を迎えた。
それに伴って、ある実験をしてみようと思った。
何を食べても良い全解禁デーを、自分に許したのだ。
普段はどんなに多くても一日1300kcal。
自分の体の大きさから算出してるので
これはどうにもならない。
増やしたいなら運動をするしかない。
ここ一年ずっと自分の体と向き合ってきた。
食事した内容を記録し、
どんなに祝い事があろうが節制して翌日には
リセットできるような内容にして
理性を働かせてきた。
でもこの日は、カロリーなんて数えない。
数字の枠を外して、欲望のままに食べる。
脱・自制心
とはいえ、午前中はピラティスへ。
ピラティスは私の性格にすごくあっている。
適度な負荷でじんわりと汗をかき、
インナーマッスルがジンジンと筋肉痛になるのが
気に入っている。
その日の食事の内容はこんな感じ
朝食はいつも通り、大食とは程遠い内容。
昼。ここから糖質祭りが始まる。
お気に入りのパン屋で、
具がぎっしり詰まったバインミー、
ふっくら焼き上がったおやき、
そして香ばしいバゲットを選ぶ。
トレーの上に並んだそれらは、
まるで海外旅行で、財布を気にせず欲しいものを
欲しいだけ買う、財布の紐という言葉が絶滅する瞬間。
うん、満腹だ。
でもなんか、なんともいえない気持ちが
じわじわと押し寄せてくる。
仕事をしていると夕方贈り物が届いていた。
誕生日に贈られた桃。箱を開けた途端、
ふわっと甘い香りが立ち上る。
これは今食べよう。
夕飯前にまた胃袋の隙間をなくす私。
贈答品なんだろう。
見事な桃だった。
誕生日だけど外食が嫌いな夫のために
せっせと自分で手巻き寿司の用意をする。
自作自演の誕生日会。
叶えたいことは自分で叶える。我が家の家訓。
王子サーモンのスモークサーモンがたまらん。
ホタテもプリプリだ。
カニカマもいいやつを入れてみよう。
今日はマヨネーズも解禁じゃい。
好きなものを好きなだけ。
具をたくさん食べたいからシャリは少なめに。
手巻き寿司ならではのカスタマイズ感が
さらに満足度を上げていく。
この後、また自分で買ってきたケーキがあるのだ。
少し余韻を残しておくかどうか迷ったが
結局腹は9分くらいになった。
30分くらい経って
マリアージュフレールの大好きな紅茶を入れて
ケーキを迎えることにした。
桃のミルフィーユと
たっぷりのフルーツ(メロンは入ってないことは確認済み)を
包み込んだロールケーキをいただいた。
糖質祭りとはこのことか。
その瞬間は幸福だった。
食べるたびに、脳が花火を打ち上げるようで
「誕生日って最高」と何度も心の中でつぶやいた。
でも、食べ終わったその瞬間から
今までにないような感覚がやってきた。
私の「食べる」という行為は、本当に快楽なのだろうか。
口に入れた瞬間の甘さや香り、
舌の上で広がる旨みは確かに幸福感を伴う。
けれど、その一瞬の高揚のあとにやってくる
重さやだるさ、鈍い後悔
それは、快楽の名を借りた負債のようにも思える。
何かに似てる。
あ、これ、快楽逃避行動に逃げた時の
あの感覚と似てるかも。
これを続けた時の
何より、腰回りの脂肪や、
うっすらとあちこちについた脂肪に気づいた時の絶望感。
動きづらさや、着たい服が着られないあの感覚。
かつての私は、それを年齢や代謝のせいにして、
自分を都合よく納得させようとしていた。
でも、それは明らかに愚かな判断だった。
体は、鍛えればちゃんと答えてくれる。
自分の体質を知り、節制することで、
まるでメンテナンスされた車のように軽やかに動き出す。
もちろん、車と同じで経年は避けられない。
けれど、丁寧に向き合い、必要な負荷をかけ、
適切に整えることで、まだまだ力を発揮できる。
欲望のままにアクセルを踏み込むのではなく、
心地よく走り続けられる速度を知ること。
それこそが、快楽ではなく
幸福へと舵を切るための条件なのだ。
快楽は瞬間を満たす。幸福は未来を軽くする。
その違いに、ようやく気づいた。
今年の誕生日は、食べたいものを好きなだけ食べた。
ある種の実験だったけど、
もうこの快楽行動は私には必要ないときっぱりとわかった。
これからは「欲望を解放する日」よりも、
「体が喜ぶ日」を積み重ねたい。
そうやって積み重ねた日々は、きっと未来の自分を裏切らない。
そしてそれは、私にとっての本当の贅沢であり、
成熟のかたちなのだと思う。
