『望んだもの、与えられたもの vol.15-17』-創作大賞2025(エッセイ部門)応募作品-(6/11投稿)
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はじめに
作品のコンセプト
『望んだもの、与えられたもの』
一見すると「願ったものは与えられなかった」と語りながら、実は「本当に必要なものは与えられていた」
「人の願いと、人生が与えるもののズレ」 の両極の現実を一度は素直に受け止める事ができた時、その深い洞察の先に新たな価値観への扉が開くのではないか🤔💭
洞察を通して、人間の視点から見れば「不足」や「欠落」と感じることも、視座を高め、より広い視野から見れば「成長」と「気づき」のために必要なのかもしれない🤔💭
それはまた、人は「力」や「成功」を求めるけれど、実際に与えられるのは「弱さ」や「失敗」だったりする。でも、その「ズレ」が、人生の深みを作っていくのかもしれない🤔💭
このような詩(うた)をストーリー仕立てのエッセイにまとめ『望んだものと、与えられたもの』 の対比が鮮明となるようにメイキングしてみたい🤗
メモ📝
2025/6/5現在、『望んだもの、与えられたもの』をテーマにしたエッセイは、ちょうど20作品を数える。
区切りとして、ショートエッセイを応募することにしました☺️
作品のイメージアート

女性の姿:「静謐のなかで人生の答えに手を伸ばす」瞬間をとらえた姿。
彼女のふたつの掌は何を感じようとしているのか――それはまさに「欲したものを手に入れようとする右手」と「与えられたものを静かに受け取る左手」の二面性を象徴している。
着物の織り模様には、星雲のような銀河や波紋が広がり、人生の軌道──すなわち、希望・選択・錯綜・回帰──の複雑なレイヤーを内包する宇宙の布帛(ぬの)が描かれている。
髪飾りの白い花は、「願い」を象徴すると同時に、「散ること」への覚悟も帯びた二面性を象徴している。
背景に浮かぶ光輪と螺旋は、「この世界の外からの視座」を示す。
私たちは常に主観という点の中に生きているけれど、実は、その背後にはもっと大きな軌道、与えられたカイロスの時間が流れていることを、彼女の後ろに広がる幾何学が静かに語っている。
✍️コンセプトとアートのリンク
このアートは、本構想の物語──
「望んだものではなかったが、必要なものだった」
というメッセージに、視覚的な奥行きを与える強力なメタファーとして作成した。
求める掌と、受け取る掌
華やかな着物と、内に秘めた瞑想的なまなざし
願望としての花と、散る運命を受け入れる美しさ
動的な背景と、静的な存在感
すべてが、「ズレ」という余白の中にこそ人生の真理が宿るというテーマに収束する。
✍️『異質なものとの調和力』との関連性
『望んだものと、与えられたもの』
経(たて)糸と緯(よこ)糸を組み合わせ
織り成すのが染織(布)、これが布帛(フハク)
このテーマで言えば
望んだものを経糸とするならば
与えられたものは緯糸
このたて糸とよこ糸が組み合わさって
織り成されるのがエッセイ(物語)
望んだものと与えられたもの(望んだものではない)
の両極の『ズレ』が、エッセイを通して織り成す
つまり、両極の『ズレ』は『ニコイチ』☯️だ
すなわち、BLUEの価値観『異質なものとの調和力』そのものなんだ☺️
(参考記事)
💎掲載作品💎
『望んだもの、与えられたもの-RedピルとBlueピル』 vol.15
「選択肢は二つ、RedピルかBlueピルか」
映画『マトリックス』🎞️のモーフィアスのようにカッコよく提示されたわけではないが、BLUEは目の前の小さなカプセルを見つめていた。花粉症の市販薬ではない🤧(このエッセイを書いたのは2025年4月上旬)
Redピル——すべての真実を知る。だが、知ったからには後戻りできないかもしれない
➡️安定した生活を失ったり人生が根底から覆るとしても、真実を知りたいのか⁉️
Blueピル——心地よい現実のまま、これまで通りの安定した世界に留まれる
➡️満ち足りた生活や幸せな人生、しかし、何も知らない状態であり続けたいか⁉️

1999年の映画『マトリックス 』
に使われた印象的なモチーフ
「当然、Redピルでしょ!」
BLUEは迷いなく赤いカプセルを手に取った。
・・・というか、『あと先あまり考えずに』が正しい表現かも知れない
ゴクリ。
「うっ……!」
次の瞬間、視界が揺らぎ、周囲の景色が変わり始めた。
目の前に現れたのは、一匹の🔵青いザリガニ🦞だった。
「お前は……?」
「マロンだ。」
「ウチの愛猫娘🐈がこんな姿に😭」
「ネコ? マロンって言ったら、栗🌰?ってツッコむのが普通だろ〜💦」
「なんだ、お前の『普通』って❓
BLUE家では、マロンと言ったら、可愛いネコ娘のことなんだよ‼️」
「なんか調子狂うんだよな〜 まぁいい。俺は、ザリガニのマロンだ。
たまに青い個体が現れるレア種さ。」
ーーBLUEは混乱した。今更だが、なぜ、ザリガニが喋るのか?
そして、なぜ赤ではなく青い個体なのか?
マロンは続ける。
「本来、ザリガニは赤い。でも俺みたいに希少な青い個体もいる。
お前、人間界でも赤が主流なの知ってるか?」
「レーザーとか? 赤色は波長が長いから、昔からよく使われてるよね。」
「そうそう。でも青色レーザーが登場したとき、世界は大きく変わった。
日亜科学の中村修二氏が開発したことで、技術革新が起きたんだ。」
「赤いバラも青いバラもそうだよね。青いバラなんて、昔は『不可能』の象徴だったのに、今は人工的に作られてるし。」
マロンはハサミをカチカチと鳴らしながら頷いた。
「つまり、少数派の青が世界を変えることもあるってことさ。」
BLUEは、ふと自分が選んだRedピルを思い出した。
Redピル——すべての真実を知る。だが、知ったからには後戻りできないかもしれない
➡️安定した生活を失ったり人生が根底から覆るとしても真実を知りたいのか⁉️
「じゃあ、Redピルを飲んだ俺は、どうなるんだ?
しかも、対峙するザリガニが Blueって、なんか調子狂うんだよな〜
望んだものがRedの真実で、与えられたのがBlueの虚構ということなのか・・・」
「それはお前次第さ。望んだものと、与えられたもの——それをどう解釈するか。」
☀️目が覚めると、BLUEは元の世界に戻っていた。
「……夢?」
いや、違う。何かが変わっていた。
スマホの画面を見ると、そこには「BLUEピル、吐き出しますか?」という選択肢が表示されていた。
「は? そんなのアリ?」
「しかも俺が飲んだのは、Redピル・・・」
Blueピル——心地よい現実のまま、これまで通りの安定した世界に留まれる
➡️満ち足りた生活や幸せな人生、しかしなにも知らない状態であり続けたいか⁉️
BLUEは、マロンの言葉を反芻した
「それはお前次第さ。望んだものと、与えられたもの——それをどう解釈するか。」
そうだな、俺ならこう解釈してみるか⁉️
スマホの文字「BLUEピル、吐き出しますか?」
➡️BLUE、(飲み込んだRed)ピルを吐き出しますか?
(——こう解釈すれば、事実と噛み合うな)
あるいは、こうとも解釈できるな⁉️
スマホの文字「BLUEピル、吐き出しますか?」
➡️(以前飲み込んだ) Blueピルを吐き出しますか?
(——でも、青のピルは飲んだ記憶ないしなぁ)
まぁいい。解釈はどうであれ、結果は2つにひとつだ
迷った末、BLUEはポチッと「Yes」を選んだ
すると、どこからともなくマロンの声が響いた。
「後の祭りってやつか?」
「・・・やはり、俺が飲んだのはRedピルだったようだな
真実を知ったからには後戻りできないか……。当然だな。」
さらに、BLUEは続けた
「……まぁな。でも祭りなら、楽しむのが一番でしょ?」
BLUEは笑って、立ち上がった
Redピルを飲んで世界を知り、もう後には戻れない。
そして、そこは、少数派のBlueが支配する世界だった。
BLUEが望んだRedの世界は、皮肉にも青の世界だった。
そして、その地は、かつてBLUE自身が、
長(おさ)として少数派のBlueを治めていた場所だった。
マロンはこの事実を知っていた。
BLUEが青の支配する世界に嫌気をさして、
かつてBlueピルを飲んだことをーー。
「お帰りなさい」
マロンは、そうつぶやいた🦞
あとがき
今更吐き出したって遅いんだけど、それが「後の祭り」ってやつさ(笑)
そして、その祭りを楽しむのも、望んだ結果として、与えられたものだったんだ
そして、素直に現状を受け入れることが、その人の与えられたフィールドで最善の策を選択する自己受容の大切さや、京都瀧安寺の知足の蹲踞(つくばい)に書かれた『吾唯足知』(金持ちでも満足できない人はできないし、貧乏でも感謝の心を持てば満足できる)の心を伝えたかったんだよね☺️
BLUEは迷った挙句、
解釈はどうであれ、結果は2つにひとつだ
迷った末、BLUEはポチッと「Yes」を選んだ
Redピルを吐き出そうと決心したのだが、それは後の祭りだと言われ、もう引き返せない運命を一度は受け入れた。少数のBlueが支配する世界に留まる運命を。
しかしそこは、BLUEのかつての故郷だった
Theme Concept
一見すると「願ったものは与えられなかった」と語りながら、実は「本当に必要なものは与えられていた」
「人の願いと、人生が与えるもののズレ」 の両極の現実を一度は素直に受け止める事ができた時、その深い洞察の先に、新たな価値観への扉が待っている
洞察を通して、人間の視点から見れば「不足」や「欠落」と感じることも、視座を高め、より広い視野から見れば「成長」と「気づき」のために必要なものだったのかもしれない🤔💭
それはまた、人は「力」や「成功」を求めるけれど、実際に与えられるのは「弱さ」や「失敗」だったりする。
でも、その「ズレ」が、人生の深みを作っていくのかもしれない🤔💭
そのズレが「劣等感」であり、それを『吾唯足知』の心で「自己受容」する
そして、今のあるがままの自分を受け入れたからこそ、次なるステージへの扉が用意されるのだ
カンナさん提供のマロン

カンナさん@鳥羽水族館
マロン
英名:Marron
学名:Cherax cainii
オーストラリア南西部の池や河川に生息するザリガニです。
淡水に棲むザリガニの中で3番目に大きくなる種とされており、体長は最大で30cmを越えます。
体色は茶褐色や黒色で、甲殻がマロニエ(セイヨウトチノキ)の実に似ているところから
「マロン」と名付けられたという説があります。
稀に青い個体が現れます。
現地では食用のほか観賞用としても養殖されています。
BLUEの感想🗣️
この青いマロン、まるで水中に現れた「BLUEの化身」かと思ったよ🤣
マロンは本来、茶褐色や黒が多いけれど、突然変異でこの鮮やかなブルーが生まれる
まるで、「異質なものとの調和力」を価値観として大切にするBLUEの世界観が、水の中で結晶化したような存在😼
考えてみれば、BLUEもまた「普通とは違う視点」で世界を見ている
これはなにもBLUEに限ったことではない
誰しもそれぞれの色眼鏡を通してこの世界を見ている
それが、その人の主観的パーソナリティー(個性)というものだ
赤が主流のレーザー技術に「青色革命」をもたらした中村修二氏のように、
赤い薔薇が当たり前だった時代に「青い薔薇の夢」を叶えた科学者たちのように、BLUEは「自分だけの青色」を探し、模索しながら表現し続けていくのだろう
そして、このマロンもまた、「青くあることを選んだザリガニ」なのかもしれない
もしも、マロンに意識があったら、BLUEにこう言うかもね😉
「君も僕も、“BLUE”であることに誇りを持とう」
そして、いま
BLUEは、愛猫娘のマロンへ話しかけている🗣️
キミは、綺麗な茶褐色の毛色だけど
いずれ鮮やかなBlueを身に纏いたいかい?
BLUEは、猫なで声で話しかける愛猫娘のマロン🌰が
🔵青いザリガニ🦞であることをまだ知らないーー
『望んだもの、与えられたもの-境界と越境』 vol.16
1. 境界を意識する瞬間
幼い頃、私は自分の世界がどこまで広がっているのかを知らなかった。 家の中、家族、学校、友人。すべてが「自分のもの」だと感じていた。 だが、ある日、初めての転校を経験したとき、自分と「外の世界」の違いを強く意識させられた。
新しいクラスで話す言葉の抑揚、遊び方、給食のルールさえ、以前とは微妙に異なっていた。 何かが違う。その「違和感」は、まるで目の前に透明な壁があるような感覚だった。1学年が16クラスから2クラスに激減した以上に何かが違っていた。
だが、しばらく経つと、その「違和感」が次第に馴染んでいくのを感じた。 気づけば、新しい環境の中で自然と笑い合い、同じルールの中で生きていた。
この経験は、私に「境界」というものの存在を教えてくれた。 そして同時に、その境界は固定されたものではなく、柔軟に変化するものだということも。
2. 自分と他者、内と外
境界とは何か。 それは、自己と他者を分ける線であり、または内と外を定義するものだ。
心理学では「パーソナルスペース」という概念がある。 これは自分の心地よい距離感を保つための領域であり、人それぞれ異なる。 たとえば、親しい友人なら肩を並べて話せるが、知らない人が同じ距離にいたら不快に感じる。

ゾーン毎の距離感を示した
アドラーの3つのライフタスク(対人関係の課題)
ラブタスク
フレンドシップタスク
ワークタスク
をゾーンに対応させるとこんな感じかな🤗
では、「価値観のパーソナルゾーン」はどうだろうか。
私たちは日々、さまざまな価値観を持つ人々と接している。 自分と同じ考え方を持つ人とは安心して話せるが、 全く異なる価値観を持つ人と向き合ったとき、不安や警戒を抱くことがある。
「なぜこの人はこう考えるのだろう?」 「自分の価値観と合わないから、距離を取った方がいいのでは?」
こうした感覚は、多くの人が持つ自然な防衛反応だ。 だが、それが「境界」を固定しすぎてしまうと、 私たちは自分の「パーソナルゾーン」の外にある世界と交わることができなくなる。

例えば、ジェンダー、世代、ライフスタイルなどの
実体も含めさまざまな側面があるように思う
それらを、2つの軸に分けて考えてみた💖
異質とは、『自分の価値観(思考)』の外側にあるもの
異質とは、『自分の存在感(身体)』の外側にあるもの
『パーソナルゾーン』までは自分と同質だけど
その外側の『異質』な領域に気付くこと
そして、『異質』の存在を認めることは
すなわち パーソナルゾーンの外壁のチャネルを通じて
『異質』な世界と交流することだ
それが『異質なものとの調和力』への第一歩💙
3. 境界を越えることで見えてくるもの
人生は、望んだものを与えてくれないことが多い。
「もっと理解されたい」と願っても、誤解されることのほうが多い。
「安心して生きたい」と願っても、変化や不安は避けられない。
しかし、もし私たちが境界を越える勇気を持てたなら?
異質な価値観に触れることは、時に衝突を生む。
だが、それは「違い」を明確にするためだけではなく、
新たな視点を得るためのプロセスでもある。
たとえば、ある文化圏では「沈黙は美徳」とされる。
しかし、別の文化では「沈黙は不誠実」と捉えられることもある。
また、褒めると素直に喜ぶ文化圏、褒めると邪視が悪さを呼び込むと忌み嫌う文化圏もある。
こうした違いを知り、受け入れることで、
私たちは「異質なものとの調和力」を養っていく。
参考
相手との相互理解(コミュニケーション)の距離感と関心の対象を絵に纏めてみた🤗

4. 与えられたものの意味
私はかつて、「自分の考えをもっと理解してほしい」と強く願っていた。
だが、現実は「異なる意見を受け入れる機会」が与えられた。
最初はそれが「不足」に思えた。 「なぜ私の想いが伝わらないのか」と苛立つこともあった。
しかし、今になって思う。 もし私がただ理解されるだけの環境にいたならば、自分の考えを深めることも、新たな視点を得ることもなかったかもしれない。
与えられたものは、「不足」ではなく「成長の種」だったのだ。
5. 境界と越境の先に
境界は、私たちを守るためにある。 しかし、それが壁となり、私たちの成長を阻むこともある。
本当に必要なのは、境界を意識しつつも、 必要なときにそれを超える勇気だ。
その先には、「異質」と思っていたものとの出会いがあり、 そして新たな価値観との調和が待っている。
「望んだもの」は手に入らなかったかもしれない。
だが、「与えられたもの」の意味を知ったとき、
私たちは一歩、成長するのかもしれない。
編集後記
境界を意識する瞬間から、異質なものとの出会い、そして与えられたものの意味に気づくまでの流れを描いてみた。
BLUEの価値観「異質なものとの調和力」ともリンクするように、境界を越えた先にある成長をテーマにしてみたんです🤗
『望んだもの、与えられたもの-言葉と沈黙』 vol.17
語ることと、語れないこと。その間にある真実について。
「どうしたの? 何か言いたそうだけど。」
コーヒーカップの縁を指でなぞりながら、私は言葉を探していた。目の前にいる彼女は、いつものように穏やかな表情で私を見つめている。問い詰めるわけでもなく、ただ、私が言葉を紡ぐのを待っている。
「うまく言えないんだ。」
ようやく絞り出した言葉は、それだけだった。何かを伝えたいという気持ちは確かにある。でも、口に出した瞬間に、すべてが別のものに変質してしまうような気がして、怖くなる。
私たちは日々、多くの言葉を交わしている。仕事の目標、将来のビジョン、価値観について語ることもある。けれど、それらの言葉がすべてを伝えているわけではない。むしろ、語られなかったものの中にこそ、大切なものが隠されている気がする。
言葉で伝わるもの、伝わらないもの
「自分の軸を持つことが大切だ」
そんな言葉を何度も耳にしてきた。でも、その“自分軸”とは何なのか。抽象的なワードを並べれば、それらしくはなる。「自由」「一体感」「ワクワク」「貢献感」……。でも、それを言葉にした途端、何かがズレる感覚がある。
「そうじゃない、もっとこう……」
そう思いながらも、適切な言葉を見つけることができない。
なぜなら、“自分軸”とはフィーリングだからだ。思考レベルで整理しようとしても、それは7%の伝達に過ぎない(メラビアンの法則を思い出す)。
本当の自分軸は、言葉ではなく、身体感覚として感じるものなのかもしれない。
沈黙の中にある真実
「言葉がないと、不安?」
彼女がそう尋ねたとき、私は少し考えた。
沈黙の時間が長くなると、相手を不安にさせるかもしれない。言葉がないと、相手に何も伝わっていないように思える。でも、本当にそうだろうか。
「言葉にしなくても、ちゃんと伝わってるよ。」
彼女の言葉に、私は少し驚いた。
「ほら、あなたが考えてること、全部は分からないけど……でも、何か大切なことを抱えているんだなってことは、感じるから。」
言葉にしなくても伝わるものがある。沈黙の中にこそ、真実があることもある。
望んだもの、与えられたもの
私はずっと、言葉にして伝えることが大切だと思っていた。でも、実際に与えられていたのは、言葉を超えた理解だったのかもしれない。
「ねえ、じゃあ今日は、言葉を探すのをやめてみようか。」
彼女がそう言って微笑む。
「言葉にしなくても、ここにいるだけで十分だから。」
その言葉に、私はふっと力が抜けた。
沈黙の中で、ようやく私は、本当に大切なものを受け取ったのかもしれない。
あとがき
人は感情を持つ生き物だ。しかし、その感情を他者に伝えるためには「言葉」というツールを使う必要がある。このとき、多くの人が経験するのが「感情の変換ロス」だ。
自分の心の中に浮かんだ思いや体感した感情は、純粋で鮮烈なものだ。それは、まるでイデアの世界にある完全な形。しかし、それを言葉にした瞬間、その純粋さは失われる。まるで信号が伝送される過程で劣化するのと同じように、感情もまた、言語化の過程で変質し、受け手に届くころには、元の姿とは異なるものになってしまう。これは、情報理論の父であるクロード・シャノンが提唱した「通信の限界」にも通じる現象だ。
シャノンの情報理論では、送信者が発する信号(情報)が、ノイズや伝達ロスによって受信者に正確に届かないことがあるとされる。どんなに優れた符号化技術を使おうとも、情報伝達において完全な復元は理論的に困難だ。それと同じように、僕たちが自分の感情を言葉に変換し、それを他者に伝えようとするとき、そこには必ずロスが生じる。
たとえば、強い喜びを感じたとき、「嬉しい!」と表現する。しかし、その一言で本当に伝えたい感情のすべてが相手に伝わるわけではない。どのくらい嬉しいのか、どんなニュアンスの喜びなのか、本当の意味での体感を共有することは難しい。逆に、悲しみや苦しみなどのネガティブな感情においては、さらに伝達ロスが大きくなる。
では、僕たちは他者と本当の意味で感情を共有することはできないのだろうか🤔
もし、ご興味あれば、番外編にお進み下さい☺️
番外編
下記の記事では、こんな事を書いてます✍️
結論は本編と真逆になりますが、SF話として、いや、近い将来必ずやってくる話と思って読んで頂けたらと思います☺️
現在の技術では、思ったことを100%言語化して相手に伝えることはできないけど、将来、実は、自分の心の中にある言葉にならない思いや感情は、ロスなく100%、メタバース上で表現できる💖
【了】
