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⚪️掌編小説|炭酸の化学式

 話題の連続ドラマ『炭酸の化学式』が始まる。

 主演のヒカリは18歳のデビュー以来順調にキャリアを重ね、今や押しも押されもしない実力派人気女優である。

 にも関わらず、毎日が挑戦であり勝負の連続である。生馬の目を抜くといわれる芸能界で生き残るには、多くの代償を常に払い続けなければならない。

 それが彼女を狂わせる。

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 人の恋愛感情なんてそれがどんな形でどんな状態で今どうなっているか明確に定義したり測定したり出来るものではないだろうし、また、もし仮に出来たとしても、それを明示したり開示したりする必要があるだろうか。

 成熟した関係においてはそうすべきだ、という価値観をすぐさま否定はできないけれど、てゆーかそれが正しいのだろうけど、理性とか論理とか、とにかくそういったものとすこぶる相性が悪いのも恋愛感情の本質だと思う。

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 シリーズ第一弾『散々な甲虫』の大ヒットに続き、第二弾『迷彩の柄が好き』も批評家に絶賛された。そして最新作第三弾はシリーズの今後を占う試金石と言えるだろう。

 それが『炭酸の化学式』である。

 ヒカリは同名の主人公「ヒカリ」と、その親友「ヒマリ」の二役を演じる。

 そして撮影終了と同時に雑誌取材やエッセイの執筆、加えて配信開始に合わせたプロモーション活動が慌ただしく押し寄せ、彼女を追い立ててゆく。

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 中学時代は家に帰ってから毎日8時間ほど勉強机に向かい、休日は15時間以上を費やして大学入試レベルの問題を解いた。おかげで希望していた難関高に合格出来た。

 しかし、入学早々躓いてしまった。

 燃え尽きてしまったのかも知れない。インク切れのサインペンのように。でも結局は環境に上手く適応できなかったということなのだろう。

 突き詰めれば学校教育の問題と言えなくもないさまざまな矛盾だとか、それだけではない、スクールカーストや周囲からの雑なラベリング、同調圧力、そういったものに身体が引き裂かれるようだった。

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 登場人物はヒカリとヒマリを含む6人の男女。

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 10代最後というメモリアルな瞬間をフォトブックにして残しなさいよ。そう言ってくれたのはヒマリだった。

 ヒマリはいつもあたしのことを第一に考えてくれる。だったらそれをあたしたちふたりのものにしましょうよとあたしは言う。ダメよそんなの。ううんダメじゃない、もう決めたことだもの、ええ、それはあたしたちのフォトブック、良いわね、絶対よ?

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 ヒカリが不登校になったのは高1の5月から8月までの3か月間だ。

 その間、学習進度に遅れが生じる恐れがあったのは実習を伴う教科・科目だけで、基礎的な学力については何ら問題なかった。

 また、学校側との話し合いで単位の取得に関する特例が認められたことは、彼女が復帰する上での環境整備という点で非常に大きかった。

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 炭酸は水中でとても不安定になる。

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 チエリには3人の彼氏がいる。

 多くの人がそう思っている。でもそれは、チエリを「ふしだら」だとか、もっと酷い言葉で傷つけようとする何者かによって流布された虚偽かもしれない。本当のことは誰にも分からない。

 3人の彼氏たちがチエリを守ろうとすればするほど、支えようとすればするほど、チエリは逆に追い込まれていく。

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「わたしたち、名前が似てるよね」

 入学式の日に、最初にそんなふうに声をかけてくれたのがヒマリだった。

 それであたしたちはすぐに友達になった。あたしたちはいつも一緒だった。ふたりぼっち。それでもあたしは全然良かった。ヒマリさえいてくれたら。

「あたしたち、ずっと一緒だよね」

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 今回もヒカリは他を圧倒する演技と天性の才能によって多くの視聴者を魅了することだろう。

 それというのも、共演者や、監督をはじめとする気難しい古参のスタッフまでもが、皆口々に彼女の崇拝者となった己の呆気なさを何の衒いもなく表明する事態によって裏付けられるのだし、そのような評判は放っておいても自然と拡散してしまうからだ。

 問題は、自分の外側だけで変わっていく世界の圧から、ヒカリがどれだけ自由でいられるかだ。

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 一度だけキスされた。

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 3人の彼氏には名前がない。

 チエリは揺れている。名前を与えるべきか。与えてしまって良いものだろうか。答えは浮かんでもすぐ消えてしまう。

 ひとりはヒカリを、そしてもうひとりはヒマリを想っている。最後のひとりをチエリは知らない。

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「ヒマリさんは毎日、ヒカリさんを訪ねて来てくれたんですね?」
「そうなんです」
「それは、勉強が遅れないように、それとも、学校との接点が切れないように、かしらね?」
「勉強が遅れるというのはなかったと思います」
「じゃあ、もう、シンプルに友達として」
「そう思います」
「素敵な話ね」

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 都内にあるホテルのプールをフォトブックの撮影に使うことにした。

 ホテル側との折衝、カメラマンの手配はいつも通りわたしがやった。

 18歳でデビューして以来、わたしがヒカリのマネジメントをしている。

 スケジュールだけでなくプライベートも、メンタルも、健康も食事の管理も。これはシンプルに仕事なのだろうか。分からない。入学式の日に出会って以来、わたしとヒカリはずっとふたりぼっちだ。

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 チエリと3人の彼氏がプールに来ている。チエリはふたりの手を取り、そしてひとりを手放した。

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 炭酸は水中でとても不安定になる。

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 カメラマンが夜のプールで抱き合うヒカリとヒマリの姿をカメラに収めた。カクテルライトに照らされたふたりは幸せそうに見つめ合っている。

 首に腕をまわして抱き寄せた。

 ふと、カメラマンが目を離したその刹那、誰かがプールに飛び込み、その直後、シュワシュワッと音を立ててふたりはこの世界から消えてしまった。

 プールの中に溶けて、後には何も残らなかった。

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 チエリとふたりの彼氏は空気になった。

(おわり)

🟠2410文字


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