小学生の頃 一人で登ったボタ山のてっぺん(親には内緒で)
私は、太平洋戦争の敗戦から10年後、この炭鉱町で生まれました。父は炭鉱で働いており、戦後の復興に欠かせないエネルギーは「石炭」でした。
当時、日本国内で産出できるエネルギー源は「石油」ではなく、「石炭」だったのです。
主な石炭の産出地は福岡県や北海道などでした。その「筑豊炭田」が、私の生まれ故郷です。小学校4年生の途中までこの町で過ごしました。
今では「石炭」「炭鉱」「炭田」といった言葉は、あまり耳にしなくなりましたね。
そんな中で、戦後の昭和時代の一コマを、私の生まれ故郷を通じてご紹介したいと思います。
一枚の航空写真の発見から
亡き父の本棚から見つけました。私の生まれ故郷の航空写真です。

高度:2,750m
(PCディスプレイでご覧の方は拡大してご覧ください)

撮影場所と日付は写真に直接 焼き込み
航空写真中央付近に映り込んでいる総合病院で、私は生まれました。
この空の下、この時2歳半の私の住んでいた社宅も写っています。
この写真には、石炭を産出するための鉱業所の全施設と職員の住宅や病院・商業施設・娯楽施設・鉄道等ありとあらゆる建築物が写っています。
小中学校はこの写真の右下の枠外に位置していました。
当時は児童1,000人近くのマンモス小学校でした。1学年3~4クラスありました。
航空写真の左右にある、異様な人工の山のようなものに注目してください。
ボタ山です。
ボタ山とは、炭鉱で採掘された石炭の残土を積み上げて形成された人工の山です。地域の炭鉱産業の象徴とされていました。
あの日の思い出
自宅の縁側から見えるボタ山は、私の心をいつもワクワクさせる存在でした。三角定規のような山の斜面を、ボタを積んだトロッコが左からゆっくりと登る姿は、私の好奇心をくすぐります。トロッコが頂上手前で引っかかり、ボタが無造作に投げ出される様子を、毎日のように見ていました。
しかし、ある日突然、トロッコがボタ山を登らなくなりました。頂上の装置も見えなくなり、私の心には不安が広がっていきます。数ヶ月後、転校が決まり、この町を離れることになりました。そんな中、私はある日曜日、両親に内緒でボタ山に登ることを心に決めました。
トロッコの道を下から上がるのが一番簡単ですが、大人の目があるかもしれないと思い、側面の途中付近からのアプローチを選びました。心の中では、怖さよりも冒険心が勝っていたのです。いよいよ行動開始!石炭の匂いとそよ風が心地よく、胸が高鳴ります。
あっという間に頂上に到達しました。360度見渡したとき、いつも見慣れた炭鉱の町が小さく見え、まるで別世界にいるような気分でした。あの達成感は、今でも心に残っています。しかし、あの頂上は、もう存在しないのです。
ちなみに、現在(2025年)の生まれ故郷を衛星写真でのぞいてみると・・・

福岡県田川郡福智町赤池
33°41'26.56"N 130°45'49.54"E
詳しくは Google Earth をご利用ください
ボタ山が、太陽エネルギー発電施設に大変身しています。
2010年(平成22年) 久しぶりに赤池に行ってみました

炭鉱の町の歴史


碑文
昭和二十年代後半からのエネルギー革命により、今やその使命を終えたとはいえ、明治以来、大正、昭和の長きに亘って、日本の驚異的産業経済の発展を喚起し牽引し、激動の時代を支え続けたものは、正に石炭産業であり、炭鉱に働いた幾多の人々であります。
赤池町は筑豊炭田の一翼を担う明治鉱業株式会社赤池炭鉱によって最盛期には一万七千余の人口を擁するほどに栄え生活する人々の活気は強力なエネルギーとなって町全体を潤していました。
昭和四十五年一月、時代の趨勢には抗し難く、終に全面的閉山の已むなきに至りましたが、この間尊い一命を報じて殉職された五百二十名の方々の、国を富ませ、町を富ませた功績に対し、心から敬意を表するために、ここに鎮魂碑を再建し、末永くご冥福をお祈り申し上げます。
平成六年五月吉日
久しぶりに町内散歩



近くには保育所もありました

香春岳
香春岳(かわらだけ)は、筑豊地方に位置する山で、過去の採掘活動により、山の一部が削られたり崩れたりした結果、元の自然な形状が失われ、山の形状が変わっていきました。
近年では、採掘跡地の復元や環境保全活動が進められており、植樹活動や自然再生プロジェクトが行われ、香春岳の自然環境を再生する努力が続けられています。

福智町上野出身の河村光陽は「かもめの水兵さん」「うれしいひなまつり」「グッドバイ」「赤い帽子白い帽子」「仲よし小道」「りんごのひとりごと」など今に歌い継がれる名曲を含む千余曲を作曲し、日本童謡史に一時代を築いた作曲家です。
当時の画像から

渾身のワンショット
炭鉱では、機械・電気関係の技術職だった父。外国からの技術指導等のオフショットかも?

当時の記念写真を AIにより モノクロ鉛筆画風イラストに変換
優しい風と匂い
私の生まれ故郷である筑豊炭田は、歴史と共に変わりゆく場所です。
ボタ山からの眺めや、あの頃の思い出は、今でも私の心の中に鮮明に残っています。
これからも、地域の歴史を大切にしながら、新たな未来を築いていって欲しいと思います。
皆さんもぜひ、自分の故郷の魅力を見つめ直してみませんか?
きっと、ボタ山の頂上に立ったときのように、故郷の優しい風と匂いを感じることができるはずです。
このような、とりとめもないノスタルジックな駄文に最後までお付き合いいただき、心から感謝申し上げます。

またお目にかかりましょう。
ありがとうございました。
