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ボカロ曲で読む「ふたつの世界と声の記憶」―物語#2 

12章で綴る物語。オリジナル物語に添って作ったオリジナルボカロ曲。
第2楽章。(制作期間1年以上。今も制作真っただ中です。)

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第二章 声なき祈り
 
この世界では、かつて「大いなる接続」と呼ばれた時代の終わりに、ネット戦争が起こった。
 
どの国が始め、どの思想が引き金となったのか。
その真相は、情報の洪水のなかで曖昧に消えてしまった。
ただひとつ、確かな爪痕だけが残った。
それは、「知ることが許された者」と「知る機会すら奪われた者」を、決定的に分けてしまったこと。
 
知識は、力になった。力は、価値を決めた。
価値のない人間は、機械が反応しなくなった。名前で呼ばれなくなった。
 
そして一度、情報の「外」に落ちれば──
もう、戻る道はほとんど存在しない。


未聲(みこ)は、その“外側”に落ちた子どもだった。
 
両親は早くに亡くなり、彼女は幼い妹・鈴音とともに、唯一の親族である叔父のもとへ引き取られた。
 
その日から、未聲の時間は止まった。
独身の叔父は、酒と疲労と怒りのままに生きていた。
家庭という形だけを保ちながら、内側から崩れていた。
怒鳴り声は日常で、沈黙は暴力の前触れだった。
 
未聲は息を潜めていた。
身を縮め、時間の隙間に溶け込むようにして暮らしていた。
そんな中で、彼女が見ていたのはいつも妹だった。
鈴音。
まだ何も知らない幼い命。
その笑顔だけがこの世界の中で、唯一、色を持っていた。
けれど、その色は少しずつ薄れていった。
 
未聲は思った。
私の痛みなんて、どうでもいい。
あの子の笑顔が、消えていくのだけは耐えられない。
けれど——
 
どうすればいいのか、わからなかった。
何をしても、何も変わらない。
その事実だけが、音もなく積もっていく。
  


そして、ある日。

未聲は、声を発するのをやめた。
怒りも、悲しみも、空腹も、痛みも。
すべてを、深い場所へ沈めた。
 
そうして沈黙の底で、何かがゆっくりと芽を出しはじめていた。
それはまだ形を持たず、言葉にもならない。
けれど確かにそこに、未聲とは別の意志が生まれ始めていた。
すべてを耐えようとする未聲の代わりに、壊すことで守ろうとする何か。
その気配は、まだ名を持たぬまま、彼女の胸の奥で静かに息を潜めていた。


ある晩。
 
叔父の暴力はいつになく激しかった。
酒の匂いと怒号が部屋を満たし、何度も鈴音に手を伸ばそうとするその姿を見た瞬間──
 
未聲は意識が遠のいた。
——遠のいたはずだが、しかし、そこに立っていた。
 
(壊してやる)
頭の中で響く声。
(違う。そんなこと思ってない)
頭の中の声を必死で振り払おうとした、その時――
 
腕が勝手に動いた気がした。
 
——気づいたとき、叔父は床に倒れていた。



 手の中に、割れたビール瓶があった。
 
その瞬間、部屋の空気が歪んだ。
天井が遠くなる。
世界が、わずかに傾く。
 
未聲は視線をそらした。
見てはいけない。
きっとすぐ起き上がる。
そう思い込む。
 
——指先に、ぬくもりがあった。
妹の手だった。
それだけが現実だった。
 
未聲は、その手を強く握り返した。
そして、何も振り返らずに家を出た。
夜の闇に紛れるように、ふたりは逃げた。
 
外の空気は冷たかった。
街はもう静まり返っていた。
遠くで機械の低い唸りが、かすかに聞こえる。
 
街の灯りが、少しずつ減っていく。
鈴音の手のぬくもりだけが、未聲を前に進ませていた。
 
 
どれほど歩いたのか、未聲にはもうわからなかった。
喉は乾き、空腹だった。
鈴音には、ゴミ箱の中から見つけたパンの欠片を少しずつ食べさせた。
 
水は、公園の古い蛇口から飲んだ。
未聲は、ほとんど食べていなかった。
鈴音は何も言わなかった。
ただ、未聲の指をしっかり握っていた。
未聲もまた、その手を離さなかった。
 
街の灯りは、少なくなっていく。
建物は古くなり、通りを行き交う人の姿もいつの間にか見えなくなっていた。
舗装は途切れ、足元には割れたコンクリートと錆びた金属が転がっている。
 
 
未聲は、ただ、歩き続けた。
やがてふたりは、人の気配のほとんどない場所へとたどり着いた。
 
そこには、使われなくなった建物がいくつも並んでいた。
窓は割れ、壁は黒く汚れている。
その中のひとつ、半ば崩れた建物の影で、ふたりは足を止めた。
 
鈴音は、もう立っていられないほど疲れていた。
未聲は妹の肩を抱き、壁にもたれさせるようにして座らせる。
鈴音の頭が、未聲の腕にそっと寄りかかる。
その体は、ひどく軽く感じられる。
未聲は、妹の肩を抱きしめた。
 
このままでは——。



 
そんな考えが胸の奥をよぎった。
そのときだった。
 
足音が近づいてきた。
未聲の体が、びくりと強ばる。
ぎゅっと鈴音の手を握る。
足音は、ゆっくりと近づいてくる。
逃げる力は、もう残っていなかった。
 
足音が止まった。
未聲は、おそるおそる目を開く。
 
廃屋の影の奥から現れたのは、ひとりの老人だった。
背は少し曲がり、古びた外套(がいとう)をまとっている。
老人はしばらく、何も言わずに立っていた。
未聲と鈴音を、ただ静かに見ていた。
未聲の体は強張ったままだった。
 
すると老人は、ゆっくりと手にしていた布の包みを開いた。
中から、小さなパンを取り出す。
老人はそれを、ふたりの前の地面にそっと置いた。
 
鈴音は、そのパンをじっと見つめていた。
しばらく動かなかった。
冷たい風が通り抜ける。
ぐう、と、鈴音の腹が鳴った。
そして、じっと未聲の顔を見た。
 
未聲は、この老人が何者なのか、しばらく様子をうかがっていた。
やがて老人が、そばから少し離れたのを見て、
鈴音に向かって、ほんのわずかにうなずいた。
 
鈴音は、小さな手を伸ばした。
パンを手に取る。
「お姉ちゃん…」
少しちぎって、未聲に差し出す。
未聲は、首を横に振った。
鈴音はそれ以上何も言わず、残りを小さくかじった。
 
老人は、振り返りながら、ゆっくりと手招きをする。
微塵も危険なにおいは無かった。
未聲は、鈴音をおんぶして、老人についていった。
 
老人は、ほとんど何も語らなかった。
彼の名も知らぬまま、その日からふたりは、その場所で暮らすようになった。
灯りのない夜。暖房もない部屋。ほんの少しの食べ物を分け合う日々。
それでも——そこには怒号がなかった。 



ある晩、老人は焚き火のそばで、小さな木の枝を削っていた。
鈴音は、その手元をじっと見ていた。
 
やがて出来上がったのは、不格好な小さな鳥だった。
老人はそれを、鈴音の手のひらにそっと乗せる。
鈴音はそれを見つめ、そして次の瞬間、くすぐったそうに笑う。
叔父との生活の日々で失われていたその笑い声は、確かにそこに在った。
 
老人は目を細めながら、火の向こうから、ふたりを見ていた。
未聲は、老人のまなざしや背中から何かを感じ取っていた。
それは言葉ではなく、ただそこにある静けさ。
冬の夜の囲炉裏火のように、そっと周囲を温めるもの。
未聲はその静けさの中で、初めて少しだけ肩の力を抜くことができた。
けれど——
 
 
朝は来ても、空はいつも灰色だった。
未聲たちは、見つからないように、昼のあいだは崩れた壁の影に身を潜めていた。
朝日を見ることもなく、ただ時間が過ぎるのを待つ。
そんな一日が、また静かに始まる。
 
未来は閉ざされていた。
希望は、その小さな光でさえ手に届かなかった。
 
未聲は、何も望まなかった。
そうすれば、奪われることはない。
夢を見なければ、壊れることもない。
 
未聲は笑わない。泣きもしない。
ただ、妹のぬくもりだけを確かめながら、毎日をこぼさないように生きていた。
それでも——
 
消えない願いがひとつだけあった。
せめて、妹とふたりで。
隠れなくても生きていける場所が、どこかにあれば。



そんな夜だった。
 
焚き火は、小さく揺れていた。
明るいオレンジ色の火が、ゆっくりと形を変えている。
鈴音は、未聲の腕に頭を寄せて眠っていた。
老人は、壁にもたれ目を閉じていた。
 
未聲だけが、まだ眠れずにいた。
焚き火の光が廃屋の壁に影を揺らす。
未聲は、それをぼんやり見ていた。
やがて、意識はゆっくり沈んでいった。
そして——
 
 
未聲は、夢を見た。


空が、青かった。
灰色ではなく、どこまでも澄んだ青だった。
 
やわらかな風が草原を渡っていく。
遠くには人の姿があった。
人々は輪になり、互いに向き合っていた。
何かを語り合っているようだった。
 
声は聞こえなかった。
けれど、その穏やかな空気は語っていた。
誰も争っていない。誰も怒っていない。
ただ、そこにいるだけで互いを受け入れている。
そんな世界だった。
未聲の胸の奥に、やわらかなものが広がっていく。
 

──あそこに行きたい。
 

そのとき。
誰かの視線を感じた。
未聲は、振り向いた。
けれど、そこには誰もいなかった。
 
ただ、風が草原の上を渡り、緑の波が遠くまで揺れていた。

 


 

未聲が目を覚ましたとき、 
廃屋は、まだ暗かった。
焚き火のオレンジ色の火が、かすかに揺れている。
 
鈴音は、未聲の腕の中で眠っている。

未聲は、しばらく天井を見つめていた。
胸の奥に小さな灯りのような温かいものが残っている。
 
声を失った少女の中に、音もなく芽吹いた最初の祈り。
 

——まだ、どこにも届かぬまま、そこにあった。

つづく


第三章は近日公開します。

ニコニコはこちらです。
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