「学校は何をするところ?」
私が勤務していた中学校は荒れていて、まともな授業が成立しなかった。授業中、おしゃべりに興じる。ゲーム機を持ち込んで遊ぶ。化粧をする。背面黒板下30cm幅ロッカーの上に寝そべって授業を聞いたり、教卓の前の床に寝そべって教師の反応を見て楽しんだりする者もいた。そんな中でも教室の荒れには目を向けず、淡々と授業だけを進める教員もいた。彼にとって学校とは、知識を教えることが第一だったのだろう。1990年代、私も教師として働いていた。学年主任として教室を見回り、目に余る生徒を廊下に引きずり出し、校則を守れない生徒を学校から追い出す仕事をしていた。
75歳となった今、不良を追い出さずに別の指導法があったのではないかと反省している。今は教師ではない。小中学校でICT支援員をしている。先日、タブレットで録音した研究授業の音声データの文字起こしを依頼された。
音声ファイルを10分ごとに分割してGeminiで文字起こしし、さらに教師と生徒の発言を分類した一覧表まで作成してもらった。授業分析に役立つ項目まで提案してくれたので、そのままExcelにまとめて依頼者へ渡した。全職員で「発言一覧表」を見ながら授業分析するらしい。いい時代になったが、荒れた中学を経験してきた私には「学校は何をするところだ?」との疑問が湧いた。
学校は社会に出た時に必要になる知識・社会性・思考力・運動能力・礼儀・道徳心・学歴などを身につける場所である。そのために学校は安全でなければいけない。間違った行動をその場で正し、学び直せる秩序が必要である。それがあって初めて学校が役に立つ場所になる。
私が教師だった頃から三十年以上たったが、学校の秩序をどう守るかという研究は、あまり進んでいないように感じる。私の知る限りでは、荒れた学校で起きた事例を体系的に研究する取り組みはあまり見かけない。私が見聞きしてきた範囲では、暴力を振るった生徒には注意し、怪我を伴う場合は保護者に連絡するという対応が多かった。昔も同じだった。怪我をした生徒が現れた時、校長は表沙汰にせず、隠そうとした。私は、同じことを繰り返さないためにも事例を公表し、学校全体で検証すべきだと何度も提案したが、受け入れられなかった。現在、私が勤務する学校で暴力事件が起きていると言いたいわけではない。ICT支援員である私には、そのような情報は伝わってこない。問題行動への指導法がなおざりになって相変わらず授業研究には熱心だが、生徒指導について議論される機会は少ないように感じる。
いじめ・リンチ・暴力事件は教師の目には見えない。学校の秩序が維持できてこそ学校の存在価値があるのに、AIが授業中の一言一句を分析できる時代になった。それならば、いじめや暴力の兆候を早期に見つけ、学校の秩序を守るための研究にも、もっと力を注ぐべきではないだろうか。学校とは、知識を教える場所である前に、安全に学べる場所でなければならない。そのための研究も、授業研究と同じくらい大切ではないだろうか。
私自身も、当時は目の前の秩序を守ることに精一杯で、よりよい指導法を考える余裕はなかった。退職後も「不良を追い出す以外に、もっとよい方法はなかったのか」と考え続けた。そして、自分なりに秩序を維持する方法をブログやYouTubeで発信してきた。
「学校は何をするところか」という問いへの私の答えは、子どもたちが安心して学べる場をつくることである。そのための研究にも、もっと光が当たることを願っている。学校は、子どもたちが安心して学び、人として成長するための場所である。
