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「抱きしめてくれた夜だけ、壊れずにいられた」〜Pearl Jamとサカナクションが歌う喪失の心理学〜

三度の飯よりプロファイル分析が好き!
愛の心理分析プロファイラーMICOTO(ミコト)です。

日常的には大体 Coconala でプロファイリング分析・カウンセリングのオシゴトしています。

今回もアニメ・楽曲・映画など幅広い作品・カルチャーから「勝手に心理分析」的な考察をしていきます。


1.前回のおさらい──シャドウワークとは何か

さて、前回のサカナクション「いらない」 考察

復習から始めます。

この曲全編に流れるメインテーマとして

「自分の中の追放したと思った存在が、実はまだ生き残っている感じ」

風に聞こえる、と書いたのですが

この存在に対して

ああ、こんな自分もいたのか

と認識し始める作業のことを「シャドウワーク」と呼びます。

ユングは、

心の中のシャドウ(見たくない自分)(/ω\)イヤン☆.。
を意識化することを重視しました。

シャドウワーク:

「闇の中で出会った存在を」
「敵ではなく」
「自分の一部として理解し始める」

これはどういうことなのか…

2.今回のテーマ──Pearl Jam「I Got Id」

今回取り上げるのは、1995年にリリースされた

Pearl Jam「I God Id(I Got Shit)」

ニールヤングとPearl Jamが夢のコラボ?をした「Mirror Ball」からのアウトカットです

この年は先の考察によるエヴァのTVシリーズの放映が始まった年ですが、なんだか社会的に鬱々が蔓延していたムードがありました…

自身も恋愛うつや分離不安も含め、長年の抑うつ状態真っ只中で、毎日毎日、馬鹿みたいに覆い被さるような虚無感、空虚感、やる気のなさが充満しまくり、抑うつもあれば、出産後は産後うつなどもあり、身体が鉛のようにズッシリ動かなくなって、ベッドに沈み込むというか、ずーっと寝たきりになるというか、おかしなことになるので…
鬱がどんなものなのかはそこそこ、わかっているつもりです…。

そんなダウナームーブ地獄の中、一筋の日の光的に癒されるというか
救われる感じで当時の私の胸に刺さり聴きまくってたのが

 「I God Id(I Got Shit)」。

3.喪失が世界の重力を変えてしまう

当時Pearl Jamのボーカリストであり作詞者のエディ・ヴェダー(Eddie Vedder)は、ニルヴァナのカート・コバーンの死について、1994年のMelody Maker誌のインタビューで「彼の死ですべてが変わってしまった」「もう彼がいないことが信じられない」「このままなら、自分も同じようになってしまうかもしれない」と語っています。
そうした喪失感や精神的な衝撃は、その後の彼の作品にも色濃く影響を与えたと考えられます。

そして、この曲は、エディがニールヤングのアルバムのコラボのために書いた曲でもあるので、他の自身の「クソったれ死生観」的な詞とはちょっと訳が違うようです。

以下、刺さった洋楽曲は和訳せずにはいられないMICOTOが「I God Id(I Got Shit)」頑張って意訳してみました。

ちなみにタイトルの和訳ですが

もともとエディが付けていたタイトルは

I Got Shit

でした。

しかし発売時にレコード会社側が「Shit(放送禁止レベルの俗語)」を嫌い

I Got Id

へ変更されたと言われています。現在でもバンドやファンの間では「I Got Shit」の名前で呼ばれることが多い曲です。

① I Got Id(レコード会社から発売された正式タイトル)

この Id は一見すると

  • ID(アイデンティティ)

  • あるいはユングやフロイトの id(イド=本能・無意識)

を連想させます。

エディ本人は「心理学のイドの意味だ」と明言してはいませんが、そう読める余地を残した実に巧妙なタイトルです。

"Shit" を "Id" に置き換えたことで、「心の重荷」と「無意識(イド)」が二重に読めるタイトルになってしまったところが、この曲の面白さでもあります。

② I Got Shit(元のタイトル)
→「俺は抱えきれない"クソなもの"を抱えてしまった」
…なんだかんだ言って、本人にはこちらの方がしっくり重なっているようです…

唇が震えてる
爪も噛みちぎってしまった

自分の声を聞いたのは
もう一ヶ月も前みたいだ

人生なんて 俺を簡単に飲み込める
海の真ん中に浮かぶコップみたいなもんだ

頭の中ではずっと抗ってる
でも心は
俺を「正しい場所」に置いてくれない

記憶ならある
抱えたものもある
でも多すぎて
表には出てこない

あの夜
お前が抱きしめてくれた時だけ
俺はギリギリ踏み外さずにいられた

あの夜
お前が手を握ってくれた時だけ

空っぽの殻なんて
簡単に割れてしまう
疑問ばかり抱えてる

でも誰に聞けばいいのかすら分からない
だから一人で横になって
夢を見るのを待つだけだ

そこでは俺は醜くはなくて
お前がちゃんと俺を見つめてくれる

そして俺はベッドに沈んだまま
青ざめてる

地獄はもう見た
ただ一度でいい
愛を感じられたなら

その愛が
俺を見返してくれたなら

でもあの夜
お前が抱きしめてくれた時だけ
俺はギリギリ壊れずにいられた

あの夜
お前が手を握ってくれた時だけ
あの夜
お前がそばにいてくれた時だけ

失うものは、もう失くした
現実では
一度もお前を抱きしめられなかった

唇が震えてる……

Pearl Jam「I Got Id (I Got Shit)」
Witer:Eddie Vedder
Japanese Interpretation by micoto

これは、冒頭に示した

「闇の中で出会った存在を」
「敵ではなく」
「自分の一部として理解し始める」

シャドウに対して

ああ、こんな自分もいたのか…いるんだな

と深く見つめている感じが音楽から伝わりまくるのです。

それはメロディにも表れていて

イントロのギターから、既にもう癒され度満点なのですが、
英語がわからなくても、歌声聴くだけでじんわりするし、
ヒリヒリする場所に何かしらが染み渡ってくる感じ。

和訳すると、あ、やっぱり。な感じで
その瀬戸際のギリギリの孤独感…もうわかった。

その感覚、過去の私も一緒だったから。

そのとき、たとえ誰かと死に別れてはいなかったとしても

「どうせ、みんな、私の人生からいなくなるんだよ…」

的なあの喪失感・虚無感というか寂寞感。

エディの方は
「抱きしめてくれたから ギリギリ自分が壊れずにいた」
という「記憶」を素直に表されているのですが

そんなの聞いたら
それは抱きしめるよね(;;)って
深いところに響いてきて
聴くたんびに魂にザクーっと、刺ささってきます。

4.サカナクション「ボイル」との共鳴

この

人生なんて 俺を簡単に飲み込める
海の真ん中に浮かぶコップみたいなものだ

という箇所と、サカナクション「ボイル」の歌詞の対比です。

山口一郎さんは『魚図鑑』や『サカナLOCKS!』(2018年放送回)で、この曲の背景にある喪失感(親族の死)について触れています。
その言葉に触れてから「ボイル」は、大切な存在を失ったあとも、それでも創作を続けなければならない切実さも描かれている曲と受け取ってみました。

荒れている心と
手を繋いで書き続ける
能率の次 論理 忘れた心で書く
終わらないと焦りが出る
広い沖の船の上で眠る僕の心 漂う霧みたいな不安を

サカナクション「ボイル」ソングライター:Ichiro Yamaguchi

どちらにも共通するのは

身近な方の死に突然触れてしまった時の

行き場のない不安感が

片方は「コップ」
片方は「僕の心」

という例えになっているんだけど

これは単なる「海」というモチーフの一致ではなくて

むしろ両曲とも、

「死によって、それまで自明だった世界の安定性が崩れてしまった後の感覚」

を描いているように見えます。

5.死は、人の心から「足場」を奪う

Pearl Jamの「I Got Id」では、上記に示した

Picture a cup in the middle of the sea

Writer(s):Eddie Jerome Vedder

という比喩

コップは本来、机の上や棚の上にあるものです。

つまり「居場所」があるものです。

ところが、そのコップが海の真ん中に放り出されている。

これは単なる孤独ではなく

「本来あるべき文脈から切り離されてしまった存在」

のイメージなんですよね。

カート・コバーンの死は、エディにとっては、単なる友人の死以上に

「世界は続いていく」
「音楽は意味を持つ」
「明日も同じように生きられる」

という暗黙の前提を壊した出来事だったのかもしれません。

だから「コップ」は自分自身であり

世界から切り離されて漂流する自己なのだと思います。

一方で「ボイル」の

広い沖の船の上で眠る僕の心 漂う霧みたいな不安を

Writer(s):Ichiro Yamaguchi

は少し違います。

こちらはまだ船がある。

船というのは
かろうじて航行能力を持っています。

だから一郎さんの方は完全な漂流ではなく、

「前に進まなければならないのに進めない」

という状態なんですよね。

親族の死によって心は傷ついている。

しかしアルバムは作らなければならない。

曲を書かなければならない。

ライブもしなければならない。

だから「船」は残っている。

ただ

漂う霧みたいな不安

によって進路が見えなくなっている。

エディが「漂流者」なら

一郎さんは「航海者」なんです。

しかしその奥には共通点があります。

それはおそらく

「そう簡単に喪失しないもの」
「地に足がついているもの」
「繊細な自身を支えてくれるもの」

への渇望です。

死というものは

「失われないと思っていたものが失われる」

経験です。

人は普段

  • 大切な人は明日もいる

  • 自分も明日生きている

  • 世界は続いていく

という前提で生きています。

ところが死は、その床を突然抜いてしまう。

すると心は地面を失う。

だからエディの歌では「コップ」が海に浮き

一郎さんの「心」は船の上で眠る。

どちらも、

「足場を失った意識」

なんです。

だから私は「ボイル」を聴いて突如
「I Got Id(I Got shit)」を思い出してしまったのだと思います。

歌詞も作風も全然違う。

グランジとエレクトロニカでも違う。

でも根底には、

「死によって世界の重力が変わってしまった人間の感覚」

が流れている。

そして両者とも

その不安を克服した歌ではなく

不安の中で何とか呼吸しながら言葉を紡いでいる歌なんですよね。

だから聴いている側も

「海の上に所在なく漂っている感じ」

だけが妙に共通して伝わってくるのだと思います。

ほか興味深いのは「I Got Id」では最後まで陸地が現れないことです。

一方「ボイル」は、苦しみながらも
「書き続ける」という行為が残っています。

エディは喪失そのものを抱えて立ち尽くしている。

一郎さんは喪失を抱えながら
それでも創作という櫂を手放していない。

だから両者は同じ海にいながら

片方は漂流し

片方は航海している。

その違いがあるように感じます。

6.アーティストは繊細な楽器そのものである

話は飛んでしまいますが、ミュージシャンの
「死」
を考えたとき、個人的に想い出してしまうのが

今年(2026年2月)に一旦休止したバンド
「フジファブリック」
のフロントマンだった「志村正彦」さん。
2009年12月24日、クリスマスイブの日に死因不明で亡くなられてしまいました。

下吉田駅の発着メロディがなんと本人歌唱。富士急行さすが!

当時個人的にファンだったので、それがその後
何年もその死の余波を受け続けていたんです。

私にとって、ミュージシャン、アーティスト、作家の方が若いうちに亡くなられてしまうのは何故か物凄く辛いことで、しかも、そのことについて、その後ずーっと考えてしまいまして。

生きていれば、この世の沢山の人々と自身を昇華できる作品を沢山遺せたのにと思うのは、ファンダム目線なのでしょうが

「歌」っていうのは、二次元と違って受け取り手の身体感覚の「耳」→「記憶」に遺されていきます。

遺し方が、他の媒体とは若干違うんです。
台詞だと覚えられないのに、その人の作品は、メロディを通して耳に入って、身体(記憶)にちゃんと記憶として遺されるような感じです。

歌や曲を作って歌えるとか演奏できるって

当たり前ですがそういう、作詞作曲って、人間にしかできない「人智」なんです。
しかも、誰でもできるわけではない。

音楽を奏で、創作される方たちはどんな方でも
ご自身をストラディバリウス(Stradivarius)のような
最高峰の楽器の役割として
現世に宿命を持って生まれてこられたと思って生きていてほしい。

そして、音楽という素晴らしい才能をもって生まれてきた方たちが
身体やメンタルを削られて
病んで音を創れなくなったり
奏でられなくなってしまうことも、個人的には耐えられない…

そういったアーティストたちの感情や精神は
細い弦のようなものでできていて
それがある日プッツリと切れてしまうように
音が出なくなってしまうなら

その人そのものが繊細な楽器のようなものですし
特に心の問題は重大なことなので
「ちょっと気分落ち込むな」程度の時に
常にココロの弦の調弦したりメンテナンスをして

常に最高のパフォーマンス、最高の歌声
素敵な作詞や作曲をしていただきたいと思うし

そのためのメンタル・チューニングができるなら?
ココロの調律師は、そういう方たちには特に必要なのでは…
と日々考えてしまう次第なのです。

志村さんについては、毎年7月の彼の誕生日、彼らの名曲「若者のすべて」が富士吉田市の夕方の防災無線のチャイムになる日にその音色を聴きに行ったり、通っておられた喫茶店に立ち寄ってオーナーさんとお話ししてみたり、アメスピ(煙草)持ってお墓参りに立ち寄り、一ファンとして今も偲んでいます…

今年も、災害などなければ多分、7月7日には富士吉田の夕方のチャイムが変更されるんじゃないかな。

年2回、12月の命日のあたりにも「茜色の夕日」に変更されるのですが、個人的に年末はちょっと忙しくて夏に聴きに行ってみます…

7.おわりに

というわけで。
私は好きな曲は聴くだけではなく、歌って身体記憶に取り込んで楽しむ派。
家でそこそこ練習した「I Got Id」をやる気満々で先週末恒例1人カラオケ@快活CLUBに唄いに行ったところ…

そもそもデンモクに「I Got Id」は無かった…(´;ω;`)ウゥゥ

「もう暴れてやるー!!」と独り言言いながらも、次の瞬間には「エディー!カート!!」と心の中で叫びながらNirvanaの「Come As You Are」予約して発散してきました(笑)ついでにダーツもやっちゃうよもう。

そりゃあこんなマイナーな曲、誰も唄いやしないよね…はい。
D〇Mさん…今度はOasis練習してから伺いますね。うん。

次回予告──消したい記憶は、本当に消すべきなのか。

― 『ネイティブダンサー』が教えてくれること

『ネイティブダンサー』が歌っていたのは、忘れたい記憶ではなく「消えなかった自分」― サカナクションをユング心理学で読む③→いきなりシリーズ化!

と。次回はお得意のヒプノセラピーと歌詞考察と「トラウマ」に関して掘り下げようかなっ、となりました。虎と馬!
しつこくサカナクションの楽曲が続きます。3連です。すんまそん。
個人的にはPerfumeの「コールドスリープ」の映画の話もしたいし…o(*°▽°*)o…
トラウマといえば…「エド・シーラン」も一緒に取り上げちゃうかも。

Ed Sheeran ~エド・シーラン~
アコースティックギター一本のシンガーソングライターとして世界的成功を収めながらも、近年はダンス・ポップやR&Bなど幅広い音楽性を取り入れてきたエド・シーラン。一見、大成功し何の不安もなく楽しく幸せに人生を送っているように見える彼にも

・幼少期の難病トラウマ
・自身の容姿に対するコンプレックス
・路上アーティスト時代のホームレス生活
・薬物依存、盗作疑惑

など波乱の人生を苦しみながらも
乗りこなしている彼の生きざま
心理学と絡めてお話していきます。

#サカナクション
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#フジファブリック
#志村正彦

この記事を書いた人:
北海道出身・神奈川県在住のヒプノセラピスト(催眠療法士)であり心理分析家・有資格 心理カウンセラー。ヒプノセラピーは米国・日本の資格を保持しています。三度の飯よりプロファイル分析が好き!
普段は大体、Coconala等でカウンセリングのお仕事してます。https://coconala.com/users/4497559
MTBIは「論理学者(INTP)」3児のシングルマザー。
好物:温泉・サウナと焚き火・音楽・ひとカラ・小豆玄米・ビールと生牡蠣・お子たちと旅行。
*使っている画像は大体AIで作成しています。出典のあるものは©を表記します。

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