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「君のことなんていらない」のに、なぜ探してしまうのか ―失恋のアンビバレンスとサカナクション

愛の心理分析プロファイラーMICOTO(ミコト)です。

今回もアニメ・楽曲・映画など幅広い作品・カルチャーから「勝手に心理分析」的な考察していきます。


前回の記事ではエヴァ16話「死に至る病、そして」を通して

「分裂した自己との対話」

について書きました。

今回はある意味、その続編です。

サカナクションに関しては、
「ネイティブダンサー」あたりから

サウンドがテケテケしててかっこよ!(テクノ好き)
MVのスニーカーダンスかっこよ!!(スニーカー好き)

という、至って軽いところから、その音楽性に注目し始めました。

「バッハの旋律を夜に聴いたせいです」(MV面白っ!!)

に至っては、当時、思春期に差し掛かった息子たちが
声変わりしたての声でみんなで歌っているのを微笑ましく眺めていたり

さらには、自分の父の実家が小樽なので
潮まつり(地元のお祭り)では
必ずどこかでサカナクションが大音量でかかっているし

「新宝島」の歌詞に至っては
「♪ていねい ていねいに~」
を「手稲か…(札幌市内・小樽寄りの近所…ジワるわぁ…)」と勝手に親近感を感じておりました…

そんななか、昨年から直近にかけてMAJ8冠受賞の嬉しいニュースとともに
ほとんどすべての作詞作曲を手掛けていらっしゃる山口一郎さんが、うつ病その他ご病気に苦しんでいらしたという事実、そこで制作された渾身の1曲

「怪獣」

(Eテレのあの枠のアニメ好きの私は当然「チ。~地球の運動について~」では毎回OPをじっくり観て聴いて、アニメの内容と共に毎回必ず飛ばさずに「なんていい曲なんだ」と、感慨に浸ってから本編を観ておりました)

…の後にリリースされた曲

「いらない」

という一曲を

ユング心理学の「シャドウ」という視点から考えてみたいと思います。

1.今回のテーマ──サカナクション「いらない」

前回の記事では、エヴァのTVシリーズからの考察で

「自分が自分になるために、一度闇に降りる」

こと、それは

シャドウワークの入り口

を意味するということをお伝えしました。

最初に謝っておきます。

この曲は、山口一郎さんの親友である加藤浩次さん監督のTVドラマ『こちら予備自衛英雄補?!』の主題歌のために書き下ろされた曲であり、どんなアーティストの方でもそうですが、作品は必ずしも作詞された一郎さんご本人のことを謳っているわけではなかったりします。

私自身も一郎さんの心理分析をしているのではなく、また批評をしているでもなく、あくまでも一楽曲を作品として分析をさせていただいている、と言い訳をさせていただきます…

とは言いつつ「いらない」を始めて聞いた時は
どうしても?職業的にも?
一郎さんがうつ病であった(ある)ことを切り離せませんでした。
一郎さんの作詞は全体的に私小説的な作品が多く、非常に分析のしがいがあります。
また、J-POPにありがちな恋愛曲が実は少なめで、今回の「いらない」のように、恋愛に見せかけて実はそうではないというパターンも研究のしがいがあります。
なんなら、エヴァのTVシリーズと一郎さんの歌詞は全作品分析できるかも、と自負してしまいます。

…というわけで、先のエヴァ考察から相当思うところがあったので、
そこも踏まえて、丁寧に考察していきます。

2.「君」は恋人なのか、それとももう一人の自分なのか

では、歌詞の分析です。
MVの演出に表されているように
表面的には、アンビバレンス(両価感情)を匂わせる
恋愛の歌詞に見えるのは当然です。

なぜなら、人は“自分の中の否認した部分”を
他者として知覚するからです。

しかも、単なる“葛藤”ではなく、
「切り離したいのに切り離せない自己」
がかなり色濃く描かれているタイプです。

ソングライター:Ichiro Yamaguchi  © Sony | ATV Music Publicing LLC

ただし、

「アンビバレンスな男女の感情」と
「シャドウとの対話」は似ているけれど、同じではない

というのがポイントです。

まずアンビバレンスとは、

好き
でも嫌い

会いたい
でも怖い

離れたくない
でも苦しい

というように、

相反する感情が同時に存在する状態です。

恋愛では非常によく起こります。

例えば、

君のことなんて

いらない

なのに

まだ揺れてるよ

なのに探してる

これは恋愛として読めば、

別れた恋人や忘れられない相手への感情そのものに聞こえます。

実際

失恋後の心理はかなりアンビバレントです。

  • 忘れたい

  • 連絡してほしい

  • 嫌いになりたい

  • 会いたい

が同時に存在する。

ここで面白いのが、

心理学的には

内的なアンビバレンスと 対人関係のアンビバレンスは構造がよく似ている

ということです。

3.「いらない」とエヴァ16話が重なる理由

例えば、

恋人に対して

好きだけど嫌い

と感じる時、

実は心の中では

自分の依存心が嫌い

でも愛されたい

という葛藤が動いていることがある。

「いらない」の歌詞を

読めば読むほど、この楽曲は単なる恋愛ソングというよりも

「切り離したいのに切り離せない自分」

との対話を描いているように感じます。

だからこそ、私には前回取り上げた
恋愛のうつの正体ー
『新世紀エヴァンゲリオン』第16話「死に至る病、そして」

と強く重なって見えるのです。

レリエルという使徒は、単なる敵ではありません。

あの使徒は「影」が本体です。

つまり心理学的に読むなら
「シャドウ(影)」そのものの象徴と言えます。

レリエルの内部へ取り込まれたシンジは、

・光もない
・時間感覚も曖昧
・身体感覚も失われる
・飢え
・孤独
・死への恐怖

という極限状態に置かれます。

これは単なる戦闘シーンではなく、

「社会的な自分(ペルソナ)が一枚ずつ剥がされていく過程」

です。

  • エヴァのパイロット。

  • 碇ゲンドウの息子。

  • 優等生。

  • 「いい子」でいようとしてきた自分。

その役割がすべて剥がれ落ちたとき、

最後に現れるのが

「もう一人のシンジ」

でした。

私は、この構造が「いらない」の歌詞と非常によく似ていると感じます。

4.「いらない」のに「探してしまう」心理

歌詞の中の「君」は恋人として読むこともできます。

しかし、

「もう一人の自分との対話」

という風に読み取ると

「君」は、自分の中で切り離されてしまった存在にも見えてきます。

だから、

「君のことなんて いらない」

と言いながら、

「なのに探してる」

となる。

これは恋人への執着というより、

失われた自己への渇望にも聞こえます。

そういう意味では、
「アンビバレントな男女の感情の歌」
に見えるのは表面で、

その奥には

『受け入れたいけれど受け入れられない 自分自身へのアンビバレンス』

が流れている、と考えること「も」できます。

ユングやIFSの視点では、

シャドウとは必ずしも「悪い自分」ではありません。

むしろ、

本当は必要なのに、
顕在意識の自分が受け入れられない部分

です。

だから、

いらない

と拒絶する。

でも、潜在意識としては

探してる

になる。

この矛盾は、

恋人に対しても起きるし、

自分自身に対しても起きる。

だからこの歌詞が恋愛にも聞こえるのは自然です。

むしろ作者は、

恋愛の言語を使って、自己との関係を描いている

可能性があります。

また
ヒプノセラピー(分身療法)やIFS(Internal Family Systems)
ユング心理学でいうと「君」と呼んでいる者に関しては

  • シャドウ

  • 追放されたパーツ

  • 未統合自己

  • 解離した感情人格

あたりのニュアンスをかなり強く感じます。

特に印象的なのは、

「君のことなんて いらない」

「なのに感じてる」

「なのに探してる」

ここですよね。

これは典型的な
「拒絶と渇望の同時存在」です。

つまり、

  • こんな自分は嫌だ

  • 消したい

  • 見たくない

  • 恥ずかしい

  • 危険

  • 不快

と思っている一方で、

  • 本当はそこに生命力がある

  • エネルギーがある

  • 快楽がある

  • 本音がある

  • 自由さがある

ことも知っている。

だから「いらない」と言いながら、
無意識ではその部分を探してしまう。

これは恋愛依存や共依存でも非常によく起きる構造です。

相手を追っているようで、
実際には「失われたはずの自分」を追っている。

なぜなら、
そこに“本当の感情”があるから。

5.歌詞に現れる身体感覚と無意識

あと、この歌詞は「身体感覚」が非常に強いです。

踊った
足踏み
ビート
揺れてる

頭で考えるだけではなく、かなり身体側に落ちています。

一方で、

心がゴワゴワ
ねじ曲がってる
暗い部屋
真っ暗闇

このあたりは、
感情の麻痺・解離・抑圧感があります。

つまり、

*身体は感じている

が、

* 意識は拒絶している

という二層構造。

歌詞の

真っ暗闇 心がゴワゴワ

これは、エヴァでいう
ATフィールド(自己防衛の境界線)
崩壊前の感覚に近い。

心理的には、

“自分という輪郭が曖昧になる恐怖”

です。

さらには、ヒプノセラピーで用いられる分身療法での
自我を掴む感覚に近いものがありますが

“もう一人の自分”が、

  • サイコ

  • 危険

  • 本能的

  • 衝動的

  • 社会不適合

  • 暗い

  • 依存的

として描かれている。

でも実際には、その分身の存在がないと、
主体側も生きた感じがしない。

だから切りたいんだけど、切ることができない。

特に興味深いのは、

馴染んでくビートがまるでリンスのよう

ここ。

(リンスって、今はコンディショナーっていうけれど
昭和っぽく「リンス」としたところがいいですよね♪)

リンスって、髪を「整える」「なじませる」「滑らかにする」ものですよね。

つまり、この危ういパーツは、
このビートを感じている本人にとって “鎮静” でもある。

普通、問題行動や依存って、
例えば、軽いところでは
タバコやコーヒーやアルコールなどもそうですが

本人の中では「悪」ではなく、
神経系を守るための自己治療なんです。

  • 音楽

  • 踊り

  • 没入(仕事・趣味)

  • トランス

  • 恋愛

  • 自傷

  • セックス

  • アルコール

  • SNS

こういうものって、素早く
未統合感情を一瞬まとめてくれる。

だからやめられない。

この歌詞、最終的には
「統合しきれていない状態」で終わっています。

「受け入れた」ではない。

でも、
「完全否認」でも終わっていない。

ここがリアルです。

6.「サイコなあの子」は誰なのか

統合前の状態って、

  • 愛してる

  • 憎い

  • 消えろ

  • 会いたい

  • いらない

  • 探してる

が全部同時に存在する。

だからこの曲は、
“恋愛”というより、

「もう訣別したと思い込んだ 旧い自分 との再接触の恐怖」

に近いと思います。

かなりシャドウワーク的な歌詞です。

「シャドウワーク的」というのは、

簡単に言うと、

“自分が見たくない自分”と向き合うプロセス

です。

ユング心理学でいう「シャドウ」は、

  • 恥ずかしい

  • 醜い

  • 怖い

  • 弱い

  • 依存的

  • 攻撃的

  • 性的

  • 嫉妬深い

  • 支配的

  • 幼い

  • 狂気的

など、

「こんな自分はダメだ」
「こんなの自分じゃない」

として押し込めた部分。

でも、押し込めても消えない。

むしろ無意識(潜在意識下)で動き続けます。

だから人は、
自分のシャドウを“他人”に投影する。

例えば、

  • なぜか異常に惹かれる

  • なぜか異常に嫌悪する

  • 相手に振り回される

  • 執着する

  • 相手を見ると感情が爆発する

時って、
実は「相手そのもの」だけではなく、

自分の中の否認された部分

に反応していることが多い。

この歌詞でいうと、

サイコな感じで踊った

ここがまず重要です。

普通、人は「サイコ」という言葉を、
“自分がなりたくないもの”
として使います。

つまり主人公は、

  • 危険

  • 制御不能

  • 衝動的

  • 異常

  • 狂気的

な側面を
かなり恐れている。

でも同時に

のめり込んでるよ

とも言っている。

つまり、
怖いのに 狂気や危険な刺激に 魅了されている。

これはシャドウの典型です。

さらに、

ほらサイコなあの子も踊った

「自分」と「あの子」が分かれてる。

でも実際は、
同じ存在の可能性が高い。

ヒプノセラピーやIFSだと、

  • 傷ついた自分

  • 怒っている自分

  • 快楽を求める自分

  • 壊れた自分

  • 子どもの自分

が“別人格っぽく”感じられることがあります。

だから、

重なる二人

という表現になる。

完全には一つじゃない。

でも完全に別でもない。

この“半分解離してる感じ”が、
すごくリアルです。

そしてサビ。

君のことなんて
いらない
いらない
いらない
いらない
いらない

これは、
単なる拒絶じゃなく、

「そんな自分では生きたくない」

という否認です。

でも、

なのに探してる

になる。

なぜなら、
シャドウには“生命力”があるから。

たとえば、

普段すごく理性的で真面目な人ほど、

  • 危険な人

  • 自由な人

  • 破滅的な恋

  • 夜の世界

  • 衝動

  • 依存

に強く惹かれることがあります。

それは、
そこに「抑圧した生」があるから。

7.シャドウワークとは「闇を消すこと」ではない

だからシャドウワークって

「悪い自分を消すこと」
ではないんです。

むしろ逆で

“嫌っていた自分にも理由があった”

と理解していく作業。

例えば、

  • 怒り → 自分を守りたかった

  • 依存 → 愛されたかった

  • 嫉妬 → 不安だった

  • 執着 → 見捨てられたくなかった

  • 攻撃性 → 無力感が苦しかった

みたいに。

この曲の怖いところであり、
同時に美しいところは、

主人公がまだ
「統合しきれていない」点です。

だから、

  • いらない

  • でも探す

  • 拒絶

  • でも感じる

  • 消したい

  • でも離れられない

が共存している。

これ、実際の心の統合前って、
本当にこうなんです。

白黒つかない。

むしろ、
矛盾した感情が同時にある。

だからこの曲は、
“恋愛ソング”というより、

「自分の中の追放した存在が、まだ生きている」

という歌に聞こえます。

そうして出会った生きているもの

闇の中で出会ったものと関係を結び直すことがシャドウワークです。

その闇の中で現れた

  • 怒っている自分

  • 傷ついた自分

  • 愛されたい自分

  • 認められたい自分

  • 嫉妬する自分

  • 依存したい自分

に気づき、

ああ、こんな自分もいたのか

と認識し始めるところです。

だから、

自分が自分になるために、一度闇に降りる

のは

シャドウワークの入り口としてはOK。

ただし、

闇に降りた人が全員統合に向かうわけではありません。

実際には、

  • 自暴自棄になる

  • 誰かを責め続ける

  • 自分を責め続ける

  • 闇に飲み込まれる

こともあります。

「闇に降りた」けれど「シャドウと対話していない」状態とは

IFSで言えば、

追放されたパーツ(Exile)に出会うことはあっても、

Selfの視点でそのパーツを見られていない状態です。

なので「いらない」の歌詞でいうと、

君のことなんて
いらない

はまだ拒絶です。

しかし、

なのに探してる

になった時点で、

完全否認は崩れています。

ここから、

なぜ私はこの「君」を探してしまうんだろう

という問いが生まれる。

この問いこそがシャドウワークの始まりです。

8.おわりに

ユング的に

シャドウワークのゴールは

闇を消すこと

ではありません。

むしろ、

その闇が、自分を守るために存在していたことを理解する

ことです。

だから本質的には、

「闇に降りること」ではなく、

「闇の中で出会った存在を敵ではなく、自分の一部として理解し始めること」

をシャドウワークと呼ぶのが正解かな、と思います。

個人的には、もし家族がこんなに辛い
内面の自己を抱えていたら
薬物治療は最小限に使ったとしても

できるだけ心理療法的なセラピーを
自分ができる催眠療法や
他の施術を定期的にして

心のチューニングを常に可能な状態にしてあげて
いつも心身元気で自分の理想を叶えられるように 
この先も健康に生きていってほしい

と願わずにはいられません。

ココロのチューニングが日常的にできている状態なら
アーティストのクリエイティビティはより感度を増して
発展し開花し続けていくに違いないと感じるからです。

それこそがアーティストさんたちの
「生まれ持った使命を全うする」
ということですからね (*‘∀‘)

ちなみにアンジェラ・アキさんも「SHADOW WORK」をアルバムタイトルにされていました^^。
こちらも機会があればじっくり聞いてみたいと思いました♪

次回予告──Pearl Jam「I Got Id」とシャドウワーク

さて、次回は

「闇の中で出会った存在を」
「敵ではなく」
「自分の一部として理解し始める」

ことを実際に歌詞の中で感じる曲

Pearl Jamの楽曲「I God Id(I Got Shit)」

それに少しだけ
サカナクション「ボイル」
の歌詞をからめて

考察していきます。

#サカナクション
#いらない
#恋愛心理学
#MAJ 2026
#8冠おめでとうございます
#そしてやっぱりエヴァが好き

この記事を書いた人:
北海道出身・神奈川県在住のヒプノセラピスト(催眠療法士)であり心理分析家・音楽療法・有資格 心理カウンセラー。ヒプノセラピーは米国・日本の資格を保持しています。三度の飯よりプロファイル分析が好き!
普段は大体、Coconala等でカウンセリングのお仕事してます。https://coconala.com/users/4497559
MTBIは「論理学者(INTP)」3児のシングルマザー。
好物:温泉・サウナと焚き火・音楽・洋楽カラオケ・玄米・生牡蠣・お子たちと旅行。

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