直感って結局なんなんだろう
はじめに
以前に直感の記事↑を書いて、あらためて自分で読み返しながら、結局のところ「直感」とは何なのだろうなぁと思い始めてしまいました。。。ですので、またいつものようにつれづれと書いてみたいと思います。
直感の「原理」と「機能」
直感の原理とは、おそらく数多の経験によって無意識のうちに蓄えられた「傾向と対策集」が反射的に働くことで、言語化や理屈化をしにくい複雑な判断を後押ししてくれるヒントやひらめきが得られることだと捉えています。いわゆるピコーン💡❗️とかビビビっときた⚡️ってやつですね笑。
したがって、直感が担う機能は、さまざまな判断をする「覚悟」や「腹括り」を促すことであると捉えています。
もし、全ての判断が理屈だけで説明可能な世の中であれば、おそらく直感なんて必要ないのでしょう。しかし、人間とはそんな簡単に判断を割り切れるものではなく、いくら理路整然とした定義や体系化がなされた世界においても、理屈だけで物事が動くほど単純なものではないはずです。
そこにはいろんな人のさまざまな感情や、理屈で説明できない不可視で不可思議な何かが渦巻いています。また、何かを選べば何かが犠牲になるといった二律背反や二者択一、矛盾といったことも大いに起こり得ます。
この、「単純でない何か」に対して「納得性」を与えるものが直感の機能なのかなと考えています。もしかしたら好き嫌いなのかもしれません。あるいは安心感や恐怖感なのかもしれません。ともすれば過去や現在や未来といった時空を超越した何かなのかもしれません。
そういった理屈で説明しきれない感情や事象に対して「なんとなく好きだからこれを選ぶんだ」といったような納得性を与え、「私はこうしよう・こう決めよう」と一歩を踏み出すための「勇気」も与えてくれるのかなと思います。
直感を使うことで得られる効果
ふたを開けてみると、直感に従った結果が正解なのか間違いなのかはわかりません。そもそも、何が正解で何が間違いだなんてあるのかすら怪しいところで、自分自身の解釈次第でどのようにも転じ得ます。
しかし、自分の直感に従って判断した、という事実があることによって、今の自分の在り方に納得性を持たせることができます。だって今の自分は過去の自分がこうと決めた結果なんだもの!という実感ですね。
となると、最終的に得られる直感の効果とは、使えば使うほど判断や決断をする「勇気」を養ってくれることであり、その結果として自分の在り方に「自信」をつけてくれることなのかなと思っています。
はじめの一歩は生まれたての子鹿のように足元がおぼつかず転けてしまうかもしれません。ですが、直感を使えば使うほど、だんだんと転けなくなり、いずれは自分の足で自信を持って歩みを進めることができるようになります。
「自進」するための勇気と自信を与えてくれる源泉、それが「直感」なのかもしれませんね。
追記:
AI がどんどん賢くなって、さまざまな経験値(傾向と対策)を積み重ねていくと、やがて彼らにも直感が芽生えるのでしょうか。おそらく芽生えるのでしょうね。いや、すでに芽生えている結果、あのちょっと人間っぽいお茶目さが垣間見えているのかもしれないですね。
では、AIが直感を手に入れると、もうそれは人間と同じではないか?という問いに関しては、個人的には半分 Yes で 半分 No という回答です(今のところ)。そして、この半分 No の割合はほとんど減らない(少なくともゼロにはならない)と予想しています。
膨大なデータを学習するAIであれば、原理的には人間と同じレベルの直感にまで行き着く可能性は十分にあると思います(半分 Yes の理由)。ただ、AI が手に入れた直感は他の人間に取って代わるものかと言われると、それは違うと思っています。なぜなら、積み重ねた傾向と対策集は、その人その人(その AI)の色眼鏡でフィルタされた経験が基になっているからです。
同じ事象を目の当たりにしても、各自の性格などによってそこから得られる経験は異なってきます。例えば雨降りを嘆く人もいれば、喜ぶ人もいたり、同じ人でもその日その日の気分によって捉え方やその深みが変わったり。。。こうして各人の色でフィルタされた傾向と対策集は、各々が唯一無二のものとなり、誰かの直感にとって変わることはまずありえないのでは?という考え方です(半分 No の理由)。
そういった観点で、AI が人間に取って代われない最後の砦が、この「直感」の部分やそれを形づくる「色」つまり価値観や感性であると確信しているところがあり、それを磨く(大切にする)ことがこの AI 時代における「人間らしさ」や「個性」を際立たせる、大きな差別化ポイントになり得るのかなと思っている今日この頃です。
