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言葉にして記すこと 〜心のぐるぐる解消〜

はじめに

 下記の記事で、言葉の欠点としてご紹介した「情報の欠落」を上手く使うライフハックがあるというネタ振りをしたままになっていましたので、少し書いてみようと思います。


言葉の欠点をうまく活用した「ジャーナリング」

 その欠点とは、人が五感で知覚した情報を伝えようと思っても、言葉は森羅万象を表現できるような完全なツールではないため、元の情報がどうしても削ぎ落とされてしまうというものでした。そして、同じものを見たり聞いたりしても、その人その人の価値観によって切り口が異なるため、言葉を使った伝達のすれ違いや相性問題が起こってしまうというものでした。

 しかし、このような言葉の不完全性をあえて活用できるライフハックがあります。すでに各方面で数多く紹介されている内容ではありますが、いわゆる「ジャーナリング」と呼ばれるものです。

 ジャーナリングの目的はさまざまで、その時の感情を記録に留めたり、思い出を記したり、これらを蓄積して自分の行動や感情の履歴を言葉で積み上げて振り返ったりと、あらゆる活用方法があります。そのような中でも、「気持ちを整理する」という効果が非常に大きいのではと思っています。


言葉の不完全性が反芻(はんすう)を和らげる

 五感で知覚した情報をそのまま頭の中に留めてしまうと、特に印象の強い事象が頭の中をいつまでもぐるぐる巡ってしまいます。自分にとって心地よい事象ならばそれでも良いのですが、そうはいかないのが世の常で、どうしても心配事や不安めいたことの方が反芻されやすい(ぐるぐる巡る)傾向にあります。もしかすると、危険を察知し生き延びていく上で、人間の本能的な機能としてそうなっているのかもしれません。

 こういった反芻は、常日頃から頭や心のワーキングメモリを消費してしまい、本来取り組みたい前向きな行動の足枷となってしまう可能性があります。えいやあ!と気合いだけで吹っ切れたら良いのですが、ことあるごとにそういった心配事や不安が頭をもたげてしまうと、精神衛生的にもあまり良くありません

 ジャーナリングは、このような頭の中の反芻を断ち切って、心や体にこびりついた過剰な負荷を解放する効果があると実感しています。そして、その要となるのが言葉の「不完全性」です。

 上述した言葉の欠点(情報の欠落・伝達のすれ違い)は、情報を正しく認識することや、相手に正しく伝えることを目的とした場合には避けて通れません。しかし裏を返せば、別の目的においてはこれらの欠点が問題とならないケースもあるということです。


欠落するというデメリットは美味しいとこどりができるというメリット

 その例として、情報の(故意な)欠落はワーキングメモリの解放につながることが挙げられます。五感で知覚した情報そのものはあまりにも膨大で、容量の大きなWAV形式の音楽データやRAW形式の写真・映像データみたいなものです。

 しかし、自分にとってこれは大切だと思える切り口で、要所だけをうまく抽出した情報の圧縮・整理を行えれば、そこまで品質を劣化させずにMP3形式やJPEG・MPEG形式のような軽量化を行うことができます。その圧縮ツールが「言葉」です。

 自分が五感で知覚した情報を言葉にすることで、自分にとって大切だと思える「味」を残したまま、余計なものを削ぎ落として情報を整理することができます。情報を生(RAW)のまま抱え込まずに、調理して美味しくいただいてしまうような感じですね。


ラベリングによる見晴らしの確保

 もし、てんとう虫という生物に関してありとあらゆる知覚情報を事細かに覚えておこうとすると大変ですが、辞書で定義されるような言葉を使って、「赤色・こじんまり・ぷっくり・かわいらしい虫」であると、自分の価値観で端的にざっくりと情報を整理(=ラベリング)し記憶を簡素化してしまっても、生活していく上でさして問題とならないケースはよくあります。

 心配や不安に関しても同様に、不完全ながらも無理やり言葉でラベリングして適当な落としどころをつけてしまえれば、物事が案外スッキリして、第三者的な目で落ち着いて観察できたりするものです。ああ、今回失注したこの部分に関しては自分のせいじゃないよねとか、あの人のああいういじわるな性格は生まれ育ってきた環境のしんどさからきているのだろうなあとか、正誤はあまり問わず自分の中でとりあえず腹落ちさせて表現する感じです。

 つまり、言葉で表現することに伴う情報の欠落は、頭の中のもやもやを解消し、ラベリングによる見晴らしの良さをもたらすメリットとなり得ます。


伝達のすれ違いというデメリットは相手があっての話

 また、自分の価値観で情報を整理することが目的なのであれば、他人にどう伝わるかを考える必要がなく、自分自身が共感できたりしっくりくる表現さえできれば良いことになります。他の人はてんとう虫をかわいらしくないと思うかもしれませんが、知ったこっちゃない笑ということになります。

 心配や不安も、言葉を通じて他人にその一部をわかってもらったり、頼ったりすることは時として必要なことですが、最後の最後は結局のところ自分が自分のことをちゃんとわかってあげることで乗り越えられるものだと思います。(他人に対して自分の悩みを完全に理解してもらえるよう期待することは、実はとても酷なことなんだろうなと思ったりしています)

 つまり、自分が納得のいく言葉で感情を表現し腑に落ちればよく、他人に伝達できなくてもそれで十分ということになります。


言葉にすれば頭の外へ出せる

 さらに、公開・非公開は問わず、note などに記録したり、紙に書き出したりすることで、その事象は一旦頭の外へ追いやることができます。こうして反芻の負荷を大きく軽減することができ、空いた頭のワーキングスペースは別のことに活用できるようになります。

 そして、外に出した記録はいつでも見返すことのできる、自分にとっての「指針」となります。自分という性格がそうそう簡単に変わらない以上、過去に経験した同じようなことで何度も心配したり悩んだりするものですが、その時の感情なりを言葉に残しておけば、悩みの解消に向けた道をまた一からちまちま歩むことなく、一気に突き進むことができます。ある意味、自分用にカスタマイズした特効薬や指南書のような使い方ができるようになります。


自分が一番の共感者

 自分もこれまで note や X (Twitter) で少なからず投稿などをしてきました。たまに自分の記事を見返すことがあり、なるほどなぁと結構癒されることがあります(特につまびらか ENFJ シリーズなど)。ここだけを聞くとまるでナルシストそのものな言い方になっていますが笑、結局は自分の価値観で書いたものなので、自分の記事は自分にとって一番共感できるものなんですよね。

 だからといって、他の意見を全く聞かないとか、そういう排他的な意図はなく、新たに自分が共感できる「素材」を作り出すことで、頭や心の整理をつけて気持ちを落ち着かせるひとつの方法として、自分の想い言葉にして記す「ジャーナリング」はとても助けになっていると日々感じています。

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