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罪読は過去の話。ノベルゲーも積み読として換算するとそんなこと言ってる場合じゃない。

今日は積み読の話をしようと思う。積むに読むと書いて、積み読。
フォローしている出版社が「皆さんの積み読は何冊ありますか」って投稿していた。

当然あるものとする、そう、それがこの本読みの末路って、コト……!?
他の編集者さんの多種多様な積み具合を見ていてああ、本のプロ、読むプロの方々も積んでるんだなとなんか安心などする。書評家の人とかは積まないのだろうか?お仕事の分は積まないけど、個人のは積んでたりするのだろうか。
本読みの積み読具合で、その人となりが少し見える気がする。

自分の積み読の状況がどうなってるのか、ちょっと確認してみた。
私はあんまり積まないほうである。
というか、積み読は罪読であって、かの高名なる積み読免罪符がなければ焚書の炎にまかれて罪を清算せねばならないと、若い頃は気張っていたものである。おお、紙よ……積み深き本の山をゆるしたまえ……。
今ですか?積んでます(くもりなきまなこ)

最近はほとんど紙じゃなくて電子書籍、Kindleで読んでいるので、未読の本は電子の棚に積まれている。厚みがないので積み判定されないトリックにより完全犯罪が成立しないか考えている。
さて、ざっくりフォルダ分けしてあったのを見てみると、漫画が25冊、教養・雑学が6冊、ホラーが1冊、ミステリーが36冊、SFが6冊、あとボーイズラブが5冊。(BLなくして己が本棚を語れないのでちょっと恥ずかしいけど正直に申告します)
自分で思ってたよりある。いや、これはもう普通なのかもしれない。

紙の本も、確か数冊は家にある。最近メルカリで絶版されてる児童書見つけて小躍りしながら買った記憶がある。見直したら10冊ぐらい積まれていた。児童書は電子書籍になりにくいので仕方ないのだ。

それだけじゃない。市立の図書館でも本を借りているし、あれも読まないといけない。そんでまた来週続きを借りないといけない。
生徒に貸し出す合間に「面白そう」と思ってバックヤードに流れるように引き取った本もあるし、そもそも学校図書館にある本も、どこかで全部読もうという気持ちがある。
これって、積み読の究極進化系じゃない?図書館ごと積んでいる、そんな感覚すらしてくる。

積まれているのは本だけじゃない。ゲームもある。
特にノベルゲームは読むものだ。最近買ったホラー系のノベルゲームが「300万字の大ボリューム!」を売りにしていたけど、それってもう本じゃない?数十冊分の小説に相当するらしい。ほな、それ、積み読じゃん……ってなった。

そう思うと、自分はもうすでに一生分くらいの未読テキストを抱えて生きてるのかもしれない、なんて少しゾッとした。日々テレビ見るしYouTube見るしアマプラも見るし、ネット小説もなろうとカクヨム反復横跳びするし、pixivだって見たい。
でもやっぱり、まだ買ってしまう。だって、読みたいんだもの。いや、積みたいんだもの。いやいや、読みたい、読みたいんだよ。

読むことと積むことは、どこか重なっている。
読みたくなるということがもう、未来の自分に向けて本を手渡しているということ。
それは今じゃなくて、そのうち読むかもしれないもの。だから積み読は、後回しじゃなくて、ちょっと先の希望だ……。

もう最近は罪悪感を持たないようにしている。
いつか読む。そう思いながら大事に積んでいる。読まないことを責めるよりも、「読みたい」と思った自分を信じたい。
そう考えると、積み読ってなんだかロマンチックでは?知識の貯金箱であり、好奇心の棚であり、時間のなかで熟成される読みたい気持ちの発酵だ。
だから私は、今日も積む。読みたいし、積みたいから。いや読みたいんだけどね。

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お魚子@学校司書 読んでくれてありがとうございます! ちょっとでも心に残ったら、コーヒー一杯ぶんの応援をもらえるとうれしいです。 次のnoteや創作の糧にさせてもらいます☕️