小説 「深夜一時、声を見つけて」27
深夜一時。木曜日が終わり金曜日がやってくる。
地方局の小さなラジオブースで、売れない中年声優、桐谷宏太朗が「探偵」として、こぼれた声の相談を受けています。マイクの前で声をなくしそうな大人たちと、少しだけ昔を引きずった男の、少し不思議な深夜ラジオ小説です。
受付で名前を告げると、
慣れたエレベーターで、いつものフロアへ上がる。
廊下のポスターは、
若い顔ぶれが少しずつ入れ替わっている。
ノックをしてドアを開けると、
書類の山の向こうから
マネージャーが顔を上げた。
「あ、桐谷さん、ごめんね、忙しい中わざわざ」
「いえ。こちらこそ、お時間いただいて」
促されるまま、
椅子に腰を下ろす。
テーブルの上には、
新作アニメのオーディション資料が
数冊重なっていた。
「ラジオ、聴いてるよ。
うちの別の子が出た回もあったしね」
「……ありがとうございます」
少し、喉がヒリヒリする。
「で、今日は?」
言葉を選んでいた舌を、無理やり前に押し出す。
「改めて、お願いがありまして」
「もう一度、新人みたいにオーディションを
受けさせてほしいんです」
沈黙が、短く落ちる。
「……新人みたいに?」
「はい」
「今までみたいに、
“たまに名前を出してもらう役”じゃなくて」
「がっつり原石枠に混ざってでもいいので、数を受けたいです。
落ちても、ちゃんと覚悟はしておきます」
自分で言いながら、
心臓の音がうるさくなる。
マネージャーは、腕を組んで少しだけ天井を見た。
「わかってると思うけど、あなたぐらいの年次の人を、
新人枠にもう一回ねじ込むのは、事務所としてはあんまり
“効率のいい話”じゃないんだよね」
「それは、はい。わかります」
「若い子はどんどん入ってくるし、クライアントも
“できる・集められる顔”を求めがちだし」
「中堅どころには、“安心して任せられる人”でいてほしい
っていう気持ちが正直ある」
そこで一度区切って、
桐谷のほうを見る。
「……でも、まあ。
この前のラジオ聴いててさ。
やめる、続けるの話してたでしょ」
「ああ……聴かれてたんですね」
「桐谷さんさぁ、“終わらせ方を人任せにしてきた”とか
言ってたじゃない。だいぶ刺さっちゃったよ、
こっちにも」
苦笑しながら、椅子に背を預ける。
「率直に言うとね。このまま“たまにナレ案件が入る中堅”
として静かにフェードアウトしていくのか、それとも、
“また若いのに混じってオーディション落ちまくるおじさん”
になるのか、どっちを選ぶかは、もう本人に決めて
もらうしかないな、って思ってたところだった」
「……崖っぷちっすね。はい」
「それで」
書類の山から、別のファイルを引き抜く。
「ここ半年分くらいの“新人〜若手中心のオーディション案件”」
「ほぼ無謀だと思う。
でも、君の声質がまだ刺さりそうなものには少し
印をつけてある」
「まずは、これだけ一気に受けてみようか」
「……全部、ですか」
「うん。全部、落ちると思うけど」
「でも、“全部落ちた上で、まだやりたいと思うかどうか”を
自分で確認してほしい」
「それが、長年一緒にやってきた仲間としての
こちらの条件かな」
桐谷は、ファイルを両手で受け取る。
紙の重みが、思っていたよりもずっしりと手に残る。
「ありがとうございます」
「レッスンも、空いてるクラスに混ぜていただけますか」
「もちろん。ただし、十代の子も普通にいるからね。
怯えさせないでよ」
「いやぁ、こっちが怯えてますよ」
少しだけ、口元が緩む。
「じゃあ、“新人声優 桐谷宏太朗”として」
「一回全部、やれるとこまでやってみよう」
「はい。ありがとうございます」
深く頭を下げる。
床に向けた視界の端に、
自分の影が細長く伸びていた。
顔を上げたとき、
少しだけ視界がクリアになった気がした。
📻📻📻📻📻
ジングルが明け、「ON AIR」のランプが灯る。
「25時になりました。金曜日がはじまる中
“ローカルFMともしび”がお送りする
『深夜一時、声を見つけて』。
久々、終電ホームの隅っこからお送りするのは、
最近“チャレンジ中年”と自分で勝手に呼び始めた
声優兼探偵、桐谷宏太朗です」
「この番組は、“うまくいってる人の武勇伝よりも、
うまくいかなかった人の話のほうがなぜか落ち着く”
人のための、深夜窓口でございます」
「というわけで、言い切っちゃっていいのか……
今夜は、例の如く、うまくいかないほうのお便りです」
「ラジオネーム 失敗スタンプラリーさん、
メールありがとうございます」
「『桐谷さん、こんばんは。
ラジオネーム 失敗スタンプラリーです。
私は社会人三年目の会社員です。この一年、昇進試験や
社内コンペなどに何度か挑戦してきました。
最初のうちは、落ちても“次こそは”と前向きに受け止めて
いました。先輩からも「挑戦しているだけえらい」と
言ってもらえて、それを支えに頑張っていました。
でも、この一年で受けたものが、気づけば全部“見送り”
や“不合格”で、自分の中に“失敗のスタンプ”だけが
どんどんたまっていく感覚があります。
手帳をめくると、試験や審査の日付と“結果待ち”の
メモばかりで、結果欄には“×”か“保留”ばかり。
同期の中には、いくつかの試験を通って
一歩先に進んでいる人もいます。
最近は、何かに応募しようとするたびに、心のどこかで
“どうせまた落ちるんでしょ”と自分にツッコミを入れて
しまいます。それでも、何も挑戦しなくなる自分も怖くて、
エントリーだけは続けている状態です。
失敗スタンプがたまっていくばかりのとき、
人はどこで止まればいいのでしょうか。
それとも、たとえ落ち続けても
挑戦を続ける意味はあるのでしょうか。
失敗続きのスタンプ帳を前に、そのままにしておくのか、
どこかで閉じるのか、よく分からなくなっています。
深夜の客観的な視点で、
意見を聞かせていただけたらうれしいです。』」
一気に読み終え、息を整える。
「……失敗スタンプラリーさん」
「ラジオネームの時点でだいぶ切ないんですけど、
でも、とてもよく分かります。
“スタンプラリー”ってところがね。なんかもう、
自分で自分の失敗をコレクションしているみたいでね」
「今、たぶんこの時間、それぞれの場所で
似たようなスタンプ帳を広げてる人が
いるのではないでしょうか」
「ちょっと今切なすぎて胸が苦しいので、一曲挟んで、
“失敗スタンプの使い道”の話をしていきたいと思います。
失敗を恐れて縮こまっている背中を、
やさしく押してくれる曲 Sara Bareilles で“Brave”」
フェーダーが下がり、曲が流れ出す。
📻📻📻📻📻
ジングルあけ。
「ラジオネーム・失敗スタンプラリーさん、
“挑戦するたびに落ちて、
失敗スタンプだけたまっていく”のだとか。
この感覚、この中年も最近、身に覚えがありまして」
少し間を置いて、
軽く息を吐く。
「詳しい話はまたどこかで
ゆっくりしようと思ってるんですけど、
今、個人的に、お仕事としてのオーディションを
わりと立て続けに受けてまして」
「で、まあ」
「きれいに、落ちております」
自嘲気味に笑う。
「結果メールの件名だけが増えていく、
メールボックスを見ながら、
“あ、これが大人版スタンプラリーか”と思うことも
あります」
「失敗スタンプラリーさんの
“どこで止まればいいのか”っていう質問なんですけど」
「これはもう、個人的な意見として聞いてほしいんですが」
「完全に止まらなくてもいいけど、歩き方を変えるタイミングは
あってもいいのではないかと思います」
「たとえば、今まで“合格だけ”をゴールにしてスタンプを
押してきたとしたら、途中にもうひとつゴールを作るとか」
「“今回の試験では、ここまではやる”っていう自分なりの目標
を決めてしまう、ような」
「“このコンペのために、いつもより一個だけ新しいやり方を
試してみる”とか、“この昇進試験の準備で、誰か一人に
だけ先に自分の案をちゃんと見せてみる”とかね。
合否とは別に“自分でコントロールできるゴール”を
用意しておく」
「そうすると、たとえ結果がダメでも、スタンプ帳に
“やったこと”のページが少しずつ増えていくような
気がします。
「俺もつい最近、最近受けたオーディションに
“今回は、ここだけは絶対ちゃんとやる”と目標をつけて
受けてみました。
例えば、当たり前だけど
“一回も噛まずに最後まで読み切る”とか」
“ディレクションをもらったら、必ず二パターン出してみる”
とか」
「結果はね、普通に落ちました」
「ただ、以前の自分だったら途中で心が折れて適当に流していた
ところを、最後までちゃんとやれたな”っていう実感だけは
残って。なんか楽しいんですよ。年甲斐もなく」
「それを、自分の中では“成功スタンプ”として
別ページに押すことにしました。」
「失敗スタンプラリーさんも、もしかしたら今、
“合格 不合格”というページにしかスタンプを押して
こなかったから、真っ黒に見えてるのかもしれません」
「そこに、もう一冊分“今回、自分でやれたこと”だけを
書くノートを足してみる。それだけでも、
だいぶ景色は変わると思います」
エンディングBGMが静かに流れ始める。
「そろそろお別れの時間です。
最近ほんと早いですよね、お別れの時間。
今夜は、ラジオネーム 失敗スタンプラリーさんからの
お便りをご紹介しました。」
「“挑戦するたびに落ちて、失敗スタンプだけたまっていく”。
止まりたくなるのも当たり前だと思います。
むしろ、それでもこうして
ラジオに相談を送ってきていただく時点でまだ完全には
スタンプ帳を閉じていない証拠なんじゃないかなと
思いますけれども」
「さっき、“もう一冊ノートを足す”という話をしましたが、
もしよかったら今夜は、このラジオを聴き終わったあとに、
“今日、自分で決めてやったこと”をひとつだけ書いてみて
はどうでしょうか」
「他人から見たらどうでもよさそうなことでも、自分から見て
“やろうと思って、やった”と言えることなら、
全部スタンプ対象です」
「失敗スタンプラリーさんのスタンプ帳が、“失敗”だけ
じゃなくて“やってみたこと”でも
少しずつ埋まっていきますように」
「そしてもし、“それでももういいかな”って思う日が来たら」
「そのときはそのときで、
一旦閉じて、また次に開きたくなる時が来たらひらけば
良い。
もしくは、またメール送ってください。
この番組は、“挑戦の始まり方”よりも、“終わらせ方”に
ついて、うだうだ考えるのがわりと得意なので」
少し笑う。
「ここまでのお相手は、
最近“オーディション落ちましたスタンプ”を
地味に集めている途中の中年声優兼探偵、
桐谷宏太朗でした。」
「それではまた、
来週のこの時間にお会いしましょう。」
「おやすみなさい。」
フェーダーが下がり、「ON AIR」のランプが消える。
つづく
