母に怒鳴られ育った私が過干渉になった理由
秋になると思い出す風景があります。
稲刈りの季節、家族が農作業小屋に集まって夜遅くまで働く光景。
私は家の中で、まだ小さな弟と二人きりで過ごしていました。
窓の外には、作業小屋の明かりと機械の音。
私は、母に怒鳴られたり、八つ当たりを受けたりすることが日常で、
どうしてもそばに行けず、寂しい気持ちを抱えていました。
だから、大人になった私は、
「私は同じことを子どもにさせたくない」と強く思ったのです。
でもその思いが知らず知らず、子どもの自由を奪う過干渉につながってしまっていたお話です。
秋の夜、灯りの向こうにいたお母ちゃん
秋は稲刈りの季節。
私の実家は米農家でしたので、秋になると家族は総出で稲刈りをしていました。
父も母も祖父母も、みんな農作業小屋に集まって、夜遅くまで脱穀やもみすりをしていました。
家の中に残るのは、私と、まだ小さな弟だけ。
窓の外からは、機械の音が風に乗って届いてきます。
家の中は冷たくて静かで、蛍光灯の白い光だけが、ぽつんと部屋を照らしていました。
弟が寂しくて泣き出すたびに、私は小さな腕で必死に抱っこして、
窓の外を指さしながら言いました。
「ほら、あそこにお母ちゃんがいるよ」
作業小屋の明かりの中、母が誰かと大声で話している姿が見えた瞬間、
胸の奥がふっと熱くなって、涙が込み上げてきました。
安心したのか、寂しかったのか。
自分でもわからないまま、弟に気づかれないように涙をこらえていました。
泣きたかったのは、弟ではなく、私のほうでした。
「見てもらえなかった記憶」を、見つめ直す
今思えば、あの夜の涙には、母を恋しく思う気持ちと、
「どうして私は、あそこに行けないんだろう」という小さな寂しさが混ざっていました。
でも、子どもの私はそれを言葉にできませんでした。
会いに行けば邪魔だと怒鳴られ、
家でおとなしくしていても、帰ってきた母に八つ当たりされる。
「お母さんは忙しいんだ」
「仕方ないことなんだ」
「邪魔した私が悪いんだ」
そう自分に言い聞かせて、母を責めずに済むようにしていました。
けれどその奥には、
“拒否された記憶”と“見てもらえなかった痛み”が、ずっと残っていました。
心の中で受け継がれる「先読み」と「執着」
アダルトチルドレンの根っこには、
この「見てもらえなかった痛み」が深く眠っています。
子どもは、母の愛情を求めながら、
同時に母の機嫌を損ねないように生きます。
「お母さん、怒ってないかな」
「今、笑ってるから大丈夫かな」
そうやって相手の感情を先回りして、
安心を得ようとするようになります。
その努力は、やがて「愛されたい」よりも「嫌われたくない」という動機に変わり、
“執着”や“依存”というかたちで心に残ります。
私もまた、母の笑顔をずっと追いかけてきました。
見てほしかった。
でも、怖かった。
その矛盾を抱えたまま、大人になりました。
母の背中を追いながら、同じことをしていた私
母の笑顔を追いかけていた私は、やがて母親になりました。
今度は、自分が“見つめる側”になったのです。
あの頃の私のように、子どもに寂しい思いをさせたくなくて、
泣く前に声をかけ、困る前に手を出してしまう。
でも気づけば、私は子どもの心に入り込みすぎる母になっていました。
「寂しい思いをさせないように」としていたことが、
いつのまにか、子どもの自由を奪っていたのです。
私は、寂しい思いをさせたくないという思いに執着していて、
子ども達のことをちゃんと見ているようで、みていませんでした。
あの秋の夜、灯りの向こうにいた母を、
私は“冷たい人”だと思っていいと今は思います。
そして、子どもの自由を奪っていた自分に気付いたとき、
あのときの母もまた、どうしたら子どもを守れるのか
分からずにいたのかもしれないな・・・とも感じます。
おわりに
窓の外の灯りを見つめて泣いた夜のことを、今も覚えています。
あのときの母の態度に届かない気持ちはあったけれど、もう母を責める必要はない。
母の行動は変えられないし、責めてもあの夜の私は救えないから。
でも、その孤独や不安は、私の心の一部として抱えておきたい。
なぜならわたしは、子どもに違った形で寂しさや不自由を与えてしまっているから。
その事実は取り返せないけれど、その痛みを覚えていることで、
余計な手を出さずにそっと見守ることができる。
その自由の中で、心を育ててもらいたいと願っています。
#言葉の庭
