【日めくり短編 101】ぬめりとねばり
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
町工場の朝は、潤滑油の匂いから始まる。
真壁修三、六十二歳。「真壁精機」で旋盤を回して四十年になる。従業員は、若い田島ひとりだ。かつては数人いたが、一人減り二人減りして、今は田島だけが残っている。
焼き付く前の機械は、必ず小さな声を上げる。その声を耳より先に指先で聴き取るのが、修三の仕事だった。
朝飯は白飯に納豆。四十年、ほとんど変わらない。
「社長、よく飽きませんね」
田島が呆れたように言う。
「習慣だ」
それ以上のことは、修三も言わない。人に説明するほどの理屈は、自分でも持っていなかった。
三年前、一人息子は継がないと言った。修三は「そうか」とだけ答えた。その晩、いつもより長く旋盤に油を差した。それきり、その話はしていない。人の縁は切れるものだ。切れるときに音を立てないのが大人だと、そう思ってきた。
*
工場の裏の川に、大きな日本なまずが一匹棲みついている。昼休みに土手へ降りて深みを覗くのが、修三の習慣だった。黒く艶やかな体が、泥の上を撫でるようにゆっくり動く。
子供の頃、この川でなまずを素手で追った。掴んだ、と思った瞬間、ぬめりだけを掌に残して消える。何度やっても同じだった。祖母は笑って言った。なまずは掴めんよ。あれは、掴まれんように出来とる。
今は、掴もうとは思わない。土手に影が落ちると、なまずは音もなく深みへ沈む。それを見届けてから、修三は工場へ戻る。
*
秋、大口の取引先が部品の調達を海外へ切り替えた。売上の四割が、伝票の上から消えた。
銀行の担当者は数字を眺めて長く黙り、帰り際に「御社の技術は承知していますが」と言い、そこで言葉を切った。
工場の音が変わった。機械の音ではない。人の声が減ったのだ。昼休み、田島が携帯の画面を見つめている時間が長くなった。何を見ているのかは、訊かなくても分かった。それでも機械がふと音を乱すと、田島は画面から顔を上げ、耳を澄ませた。本人も気づかない癖だった。
十一月の終わり、田島が事務所に来た。白い封筒を、両手で差し出した。
「今月いっぱいで、と思っています」
修三は封筒を受け取った。
「そうか」
口をついて出たのは、三年前と同じ言葉だった。田島が頭を下げて出ていったあと、修三は油差しを手に取り、旋盤の摺動面を拭いた。あの晩と同じ手つきだった。指先は滑らかに動いた。摩擦は、どこにもなかった。
その夜、一人で納豆をかき混ぜながら、修三はふと箸を止めた。糸が、小鉢と箸のあいだで白く張っている。切れそうで、切れない。糸が切れるまで、修三は箸を動かさなかった。
*
翌朝、修三は田島の机に納豆と白飯を置いた。
出勤してきた田島は、しばらくそれを見下ろしていた。
「……納豆だけじゃ、給料は出ませんよ」
静かな声だった。責める調子はなく、だからこそ、ごまかしがきかなかった。修三は、何も言い返せなかった。
長い沈黙のあと、修三は言った。
「三年前、息子に継がんと言われたとき、俺は『そうか』としか言わんかった。引き止める理屈がないと思ったからだ。……昨日、お前にも同じことを言った」
田島は黙っている。
「畳みたくないんだ、ここを」
初めて口に出した。出してみれば、それは驚くほど単純な、ただの本音だった。
「量じゃ勝てん。だが、今夜中に一本直せと言われる仕事なら、まだこっちに分がある」
修三は一度、言葉を切った。
「急ぎの修理と、一品物に絞る。……ずっと考えていた。しくじるのが怖くて、言えんかっただけだ」
修三が本音を並べるのを、田島は初めて見た。
「退職願は預かる。一週間だけ、手を貸してくれ」
虫のいい話だと、言いながら自分でも思った。田島は返事をせず、納豆の蓋を開け、不器用にかき混ぜ始めた。承知の印なのか、ただ腹が減っていただけなのか、修三には分からなかった。分からないまま、二人で飯を食った。
*
その日から、二人で古い旋盤にかかった。ベッドの当たりを取り、きさげで摺動面をさらう。細かなきさげ痕に、油が薄く残る。当たりが出て、指の腹に吸い付くような滑りが戻ってくる。焼き付きかけていた機械が、声を取り戻していく。
作業の合間を縫って、昔の取引先を一軒ずつ回った。頭を下げ、単品でも修理でも受けると告げた。多くは曖昧に頷くだけだった。
一週間目の夕方、一軒から電話が入った。折れた軸と同じものを、現物合わせで今夜中に一本削れないか、という。近くて、早い。まさに修三が言ったとおりの仕事だった。
二人で夜を徹した。朝、油の匂いの染みた包みを届けた。受け取った金は、空いた穴を思えば雀の涙にもならなかった。それでも工場へ戻る道で、修三は久しぶりに、抽斗の退職願を思い出さずにいた。
*
昼休みに土手へ降りる暇は、なくなった。窓越しに川面が光るのを見るだけの日が続く。なまずは今も深みにいるはずだった。掴めないものは、掴めないままでいい。ただ、掴めないことと、手を伸ばさないことは、別の話だった。
月が替わった朝、修三は抽斗から退職願を取り出し、田島の机に置いた。
「これは、どうする」
田島は封筒を見たまま、軍手をはめた。
「午前中に、もう一本来るんでしょう」
答えにはなっていなかった。それでも修三は、封筒を抽斗へ戻さなかった。
工場の朝は、今日も潤滑油の匂いから始まる。そこに、納豆の匂いがかすかに混じる。
(了)
原案:Y
執筆:Claude
納豆の日

7月10日は「納豆の日」です。語呂合わせの親しみやすさとともに、日本の発酵食文化の奥行きも感じられる記念日です。
「納豆の日」は、「なっ(7)とう(10)」と読む語呂合わせに由来する記念日です。
1981年に関西納豆工業協同組合が、関西地域での納豆の普及を目的に制定したとされ、その後、1992年には全国納豆協同組合連合会が全国的な記念日として定着を図ったと紹介されています。
日付の理由はもちろん「7」と「10」の読みからきています。
納豆は、蒸した大豆を発酵させてつくる日本独自の食品で、独特の香りや粘りを持ちながら、日々の食卓に深く根づいてきました。東日本ではとくに身近な食品として親しまれてきた一方、西日本ではかつてそれほど一般的ではなかった地域もあり、この記念日には、地域ごとの食文化の違いを越えて納豆の魅力を広めようとする意図もうかがえます。
7月10日は、単なる語呂合わせの日というだけでなく、日本人が発酵という知恵を暮らしの中で受け継いできたことや、素朴な食品に宿る地域性を見つめ直す日にできます。
納豆の日は、身近な一品を通して、日本の発酵食文化と地域ごとの味覚の違いに目を向けられる記念日です。
潤滑油の日・オイルの日

7月10日の「潤滑油の日・オイルの日」は、普段はあまり意識されない潤滑油の役割に光を当てる記念日です。機械や社会をなめらかに支える、縁の下の存在を見直す日にできます。
「潤滑油の日・オイルの日」は、「710」を逆さまにすると英語の「OIL」に見えることに由来する記念日です。
日付の理由はこの数字の見立てにあり、遊び心のある発想から生まれた記念日として知られています。
制定者は、全国石油工業協同組合。
潤滑油は、自動車、工場の設備、発電機器、家庭用の機械など、さまざまな場面で摩擦や摩耗を減らし、機械を円滑に動かすために欠かせない存在です。目立つものではありませんが、機械の寿命や安全性、省エネルギーにも深く関わっており、社会の基盤を静かに支える役割を担っています。7月10日は、華やかな主役ではなくても、物事が滞りなく動くために必要な存在があることを思い出させてくれる日です。なめらかに動く仕組みの裏側には、見えにくい工夫と技術があるということを、身近な機械や産業の風景から感じ取ることができます。
潤滑油の日・オイルの日は、社会や機械を支える見えにくい技術の大切さをあらためて感じられる記念日です。
日本なまずの日

7月10日の「日本なまずの日」は、語呂合わせをきっかけに、日本なまずという魚と、その周辺にある食文化や民俗文化に目を向ける記念日です。
「日本なまずの日」は、「な(7)まず(10)」という語呂合わせに由来する記念日です。日付の理由は読みのつながりにあります。
制定者は、鹿児島県東串良町に本社を置く、なまずの生産・養殖などを行う日本なまず生産株式会社。
日本なまずは、川や沼などの淡水域に生息する魚で、地域によっては郷土料理の食材として親しまれてきました。暑い時期の滋養食として扱われることもあり、身近な水辺の恵みとして暮らしの中に存在してきた歴史があります。また、なまずは食材としてだけでなく、昔話や民間伝承、さらには地震との結びつきで語られることも多く、日本人の想像力の中にも深く入り込んだ生きものです。7月10日は、あまり日常では意識しない淡水魚に目を向けながら、水辺の自然、地域の食、そして民俗の記憶が重なり合う日本文化の一面を感じられる日です。
日本なまずの日は、川魚としてのなまずのおいしさだけでなく、水辺の暮らしや民俗文化にも思いを広げられる記念日です。
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