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私がうつ病になった(番外編)日本の社会の仕組み

労働の対価は労働
――静かな退職は日本型組織を壊すのか、救うのか
日本社会における「静かな退職」を巡る議論は、
感情的な是非論に終始しがちである。
だが本質はもっと単純で、
そして冷たい。
労働の対価は、金銭ではなく、次の労働として支払われてきた
この前提が崩れ始めた、ただそれだけの話だ。
日本型組織の暗黙ルール
日本型組織は、長らく次の循環で成り立ってきた。
①やる気を出す
②期待を超える
③評価される
④仕事が増える

ここで注目すべき点は、
④が①への報酬として返ってくる構造だ。
つまり、やる気の搾取。
労働の対価が労働である社会である。
この循環は、
疑問を持たれない限り、
極めて安定して機能する。
静かな退職は「破壊」か
表面的には、静かな退職は破壊に見える。

・現場が回らない
・負担が偏る
・不満が噴出する

だが壊れているのは、
組織そのものではない。
壊れているのは、
無償の追加労働に依存していた設計だ。
静かな退職は、
制度の欠陥を破壊するが、
それ以上でも以下でもない。
静かな退職は「救済」か
一方で、静かな退職は
個人にとっては明確な救済である。

・限界を超えない
・人生を担保にしない
・燃え尽きない

これは怠惰ではなく、
合理的な自己保存だ。
労働の対価が労働である限り、
やる気を出し続ける人間は、
必ずどこかで壊れる。
静かな退職は、
壊れる前に降りるための
非常に穏やかな方法である。
では、変革は起こるのか
最も重要なのはここだ。
静かな退職それ自体が、
組織を良くすることはない。
だが、
変革の条件を可視化することはある。
変革が起こるとすれば、
それは次の変化が起きたときだ。
業務範囲が明文化される
追加労働に対価が支払われる
評価基準が「量」から「成果」に移る


やらない自由が制度として認められる
これらが起きない限り、
静かな退職は
個人の防衛行動で終わる。
日本型組織の分岐点
静かな退職は、
日本型組織に問いを突きつけている。
労働の対価を、
本当に労働のままにしておくのか。
もしこの問いに答えられなければ、
組織は二極化する。
やる気を搾取され続ける人
最低限しかしない人
どちらも消耗し、
信頼は失われる。
だが、
労働の対価を
「報酬」「時間」「裁量」「安全」に
正しく変換できた組織だけが、
次の段階へ進める。

結論
静かな退職は、
日本型組織を壊すのではない。
壊れていたものを、壊れたまま露出させる。
救うかどうかは、
組織が問いに答えられるかどうかだ。
労働の対価が労働である限り、
人は静かに離れていく。
だがもし、
その対価を書き換えられるなら、
静かな退職は終わる。
それは退職ではなく、
変革の前兆として記録されるだろう。

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