第234章 ご存じありませんか、殿下?
舞台の上で黙って待っていた王子は遠くないところにいる少年をじっと見つめ、ふいに、楽しそうな笑顔を見せた。
「いいぞ、槐詩」
彼は手綱と剣を握り、讃えながら頷いた。
「君はやはり戦うに値する相手だった。私も認めざるを得ない――この集まりは君の持つ厚い人望、まさに栄光の冠だ。実に羨ましいよ」
「それで?」槐詩は微笑んで聞き返した。「負けを認めますか?降参したら負け半分ですよ」
王子はぽかんとすると、大きく笑い、ゆっくりと剣を持ち上げた。
「——私は全力を以て君を倒し、今夜の対決にピリオドを打つ。槐詩、我々のどちらが勝とうとも、この舞台は続いていく」
「では、どうぞかかってきてください!」
槐詩は歯を見せて笑い、白馬の上の王子に手招きした。闘志がメラメラと燃えてきた……そして闘志は突然燃えるのをやめ、槐詩は驚いて振り向き、カーテンの向こう側を見た。
「ちょっと待った……たしか君は、歌は歌えないんじゃなかったっけ?」
「……」
カーテンの奥でちょうど口を開きかけた少女はハッと固まった。
槐詩はコホンと咳をすると、コソコソと提案した。
「別の人にしよう。君はスタンプの絵を描いて応援してくれればいい」
「……」
短い沈黙の中、少女の視線が険しくなった。
王子の大きな笑い声が届いてきた。
「気をそらすな!」
ゴウ!
剣が振り下ろされた。
純粋な光の燃焼が剣から迸り、まるで天地を開闢するように、槐詩に向かって振り下ろされた。竜巻の中、槐詩は慌てて攻撃を避けたが、体ごとひっくり返った。
だがカーテンの奥はまったく無音だった。メインボーカルがなければ、楽団も演奏しないのだった。
「俺が悪かった!」
観客たちの呆気にとられた視線の中、槐詩は狼狽えながら両手を合わせ、カーテンの向こうの少女に許しを請うた。
「久しぶりに会ったのに第一声でこんなことを言って本当に悪かった!俺が完全に悪い。俺のような低レベルの人間と張り合わないでくれないか?」
お兄さん、あんたは元カノと会ったクズ男か!
観衆は怒ってブーイングを浴びせた。せっかく燃えてきたのに、台無しにしやがって!
真面目にやれ!
舞台下からゴミやビン・カン投げ込まれ、ブーイングが切りもなしに響いた。場内と場外とにかかわらず、すべての熱血を沸騰させた応援者は槐詩の顔にケチをつけられないのが悔しく、思い余って槐詩に猛攻を続ける王子を応援した。
「そうだ、顔を狙え!」
「もともとあいつが目障りだったんだ!」
「頑張れ馬!股間を踏んでやれ……」
連合合唱団の座席にいるトロンボーンや各種楽器の手入れを指定水夫たちは大声で、このものの良し悪しを知らないバカの滑稽な姿を見て、大声で喝采した。
パチンと指を鳴らす音が響くまで。
その音はほっそりとした指から発せられたもので、一切の雑音を圧し潰し、重厚な書籍が空中で開くと、歌声が霧が立ち込めるように響き出した。
「Wem der große Wurf gelungen,Eines Freundes Freund zu sein?」
その歌声は、耳に心地よいとは言えなかったが、喧騒に満ちた舞台の上で、どんな雑音にも邪魔されずに広がっていき、すべての人の耳元でこだました。
――ひとりの友の友となるという 大きな成功を勝ち取った者
「心優しき妻を得た者は 自身の歓喜の声を合わせよ」
嫋々とした声は複雑に絡み合う糸のように広がり、少女が手を上げるのに従って、見えない力が湧き出て、演奏席全体を覆った。
ドミノの最初のピースを倒したかのように、奇跡が連鎖し、続いて、トロンボーンの高らかな音が鳴り響き、バイオリンの旋律が静謐な河のように流れだした。
無数の細い川が集まって、心を震わせる怒涛となり、大地が揺れるようにドラムが轟き、織りなされた旋律の中から、老いたまた若い声がこれに従って響き出し、合唱の中に融け込んだ。
「そうだ、地球上にただ一人だけでも 心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ そしてそれがどうしてもできなかった者は この輪から泣く泣く立ち去るがよい」
歌声が高まるとともに、光芒が虚空から湧き出した。まるで見えない手が気ままにいじるように、床板が上下し、天幕は変化し、四季が目まぐるしく交替し、何本もの石柱がどこからともなく舞台上に現れ、巨大な殿堂の天井を支え、荘厳な殿堂を囲んだ。
集まった光は狼狽している槐詩を照らし、まるで何かを選別するかのようだった。彼がこの友情を受け取る資格があるか判断しているかのようだった。
瞬間、それは雨露となって降り、彼の体を覆い、すべての傷を癒し、疲れを取り去った。
槐詩、完全復活!
判断の結果は充分満足だっとようで、カーテンの奥の少女は手の中に三つのサイコロを弄びながら、口角を上げて楽しそうに笑った。
「では聞いてちょうだい、私の友達」
瞬間、観衆たちは舞台上の大きな変化に息を呑んだ。特等席の人間も、背筋をピンと伸ばし、目を見開き、すべてを凝視した。
「これは……」
交響楽のうなりが少女の指揮から響き渡った。
光の海が全てを呑み込むように、旋律が滔々たる奔流となり、渦巻き、すべての霊魂を震わせた。雑念をおさえ、煩悩を消し、すべての不協和音をことごとく解消した。
合衆為一!
心魄を震わせる合唱が、大きな波のように鳴り響いた。
パイプオルガンの壮大な旋律の中、演奏席のすべてのメンバーが声を揃えて歌った。
「歓喜よ、神々の麗しき霊感よ 天上楽園の乙女よ……」
言葉にできない喜びが旋律の中から迸り、天と地を凌駕し、世界唯一の旋律となった。
これぞ唯一無二の『歓喜の歌!』
「創造主!」
特等席で、天文会の代表がハッとし、信じられないというように口を開けた。
「あれは創造主だ!」
一人の創造主が、この地獄に降り立った!
無数の学者と凡人たちの頂点に立ち、現境の法則を修訂し、ゼロから新しい法則を定立し、手を一振りしさえすれば、地獄を楽園に変えることもできる創造主!
しかし今、鳳凰の羽根や麒麟の角のように貴重な創造主が、突然ここに出現して奇跡の旋律を奏で、一人の無名の小僧のために打っているとは?
いったい何者だ?
ローマ系譜の源典に間違いはない、だがローマ系譜はいつの間に神秘の存在を一人増やしたのだ?まさか教団中に隠居している四人の創造主以外に、新しい創造主が近年誕生したのか?
いったい何者だ?
無数の視線が交差した。或いは驚き、或いは震え、或いは呆然とし、最後に麻痺し、レモンの山の中に墜ちたように感じた。
どうしてだ?!
こんなに大きな後ろ盾があったのか?
このバカにはいったいどんな深い背景があるのか?
ちょっと待った、こいつは本当に鹿鳴館の変態じゃないのか?
七星集団代表の顔色は激しく変化し、天文会の代表を睨みつけると、すぐに気付いた劉部長が冷たく一瞥し、その視線を受けた七星集団代表は氷の洞窟に墜ちたようにヒヤッとした。
そうか、背後にローマ系譜の後押しのある昇華者がアジア新人大会に参加しているのか。その裏にはきっと後ろ暗い取引があるに違いない。
あのガキの身分はもともと疑わしかったが、もし自分が暴露したなら……
「鹿鳴館のバカは酷すぎる!」
七星集団代表ははたと膝を叩き、大声で怒鳴った。
「自分の実力では単独で試合に勝てないと知って、他の系譜と手を結んだか。外部の力を借りるなど、恥知らずの極み!」
ガタンという音が背後で響いた。
ドアの近くで、入って来たばかりの老公卿が愕然と七星集団の代表を見ていた。手に持っていた酸素ボンベが床に落ちて砕けた。
「貴様……貴様……」
震える指で男を指さしながら、老公卿の顔が赤から青に変り、何度か変化すると、ふいにグワッと叫び、血を吐き、仰向けに倒れた。
「寿命だ!誰か来てくれ!」
褚紅塵は人の禍を楽しむように声を上げた。
「公卿殿がまた血を吐いた!」
彼の声は巨大な旋律に呑み込まれ、誰の注意も引かなかった。
激しい喜びは強い雨となり、旋律とともにすべてを呑み込んだ。
舞台の上で、槐詩は吼えた。
斧を振るい、王子の長剣を強く揺さぶった。
パイプオルガンの発する雷霆の轟きとともに、彼の体から、無数の光が絶え間なく湧き上がり、想像主の加護によって一つ一つがポップアップウィンドウとなり、彼の周囲に浮かんだ。
『熊の持久力』、『牛の力』、『猫の優雅さ』、『暗闇での視力』、『鷹の威信』、『梟の叡智』、『矢への防御』、『力場の屈折』、『技術の進化』、『自信の強化』、『武器の拡張』、『英霊の憑依』、『蛇の素早さ』……
辺境の闇ネットからの強力なバフが絶え間なく閃いた。
一刻ごと一秒ごとに、無数のバフがどこからともなく現れ、次々と重なり、最後に槐詩の周囲はほとんど光の海のようなポップアップウィンドウで覆われ、果てしなく彼の力を上昇させた。
最後に、恍惚の中、槐詩は自分が巨人になって、世界を足の下に踏みつけているような感じがした。
刃は鋭く、王子の攻撃を退け、旋風を巻き起こし、無数の菖蒲が生い広がり、その中から、燃える山鬼が突如跳び出すと、空中から敵に向かって斧を振り下ろした。
ペガサスはいななき、この一撃によって数メートル吹き飛んでから、落下した。双翼は虚しく地を叩き、再び天を翔けるのは難しかった。
王子は優しくそのたてがみを撫でると、怖がる白馬をなだめ、視線を上げて槐詩を見ると、驚きと讃嘆を隠さずに言った。
「この不思議な力は、どんな魔法だ?」
「ご存じありませんか、殿下?」
槐詩は歯を見せて、楽しそうに笑った。
「――友情は、魔法なのです!」
訳注:
「――友情は、魔法なのです!」……リトルウィッチアカデミアの歌詞のパクリ。
訳者コメント:
『丹波動乱』でも、槐詩は上野に向かって「信じる心は魔法だから」と言ってました。魔法のように強い力、現実にもありますよね!ヾ(*´∀`*)ノ
