第93章 本当に?

 ああ、冗談がすぎる。
 槐詩かいしは今日何度目かわからない目の前が暗くなる感覚に襲われた。すぐに腹が冷たくなり、下を見ると、体を貫いている硬い節足が見えた。
 血の色のさざなみが広がり、槐詩と里見琥珀(さとみこはく)は同時に攻撃されて吹き飛んだ。
 つづいて、槐詩たちは見た。戚元せきげんの両手が上がり、空中の黒い血と呼応して、猛然と振り下ろされるのを。無数の黒い血が集まって雲となり、その雲から血が矢となって降ってきた。
 半径十メートル以内のすべてに矢が降り注いだ。
 硬い柱石すら血の矢に大きな穴を穿たれ、大きな穴から各種各様の鑑賞に堪えない植物が生えてきて、歯や爪を剥き出しにした。
 空中で槐詩はなす術もなく……などということはなく、彼は手を伸ばし、縄を出すと、背後の柱に巻きつけた。
 驚いたか?俺はスパイダーマンだ!
 槐詩は里見琥珀の無様な様子を見ようと思ったが、戦闘JKが怒鳴るのが見えただけだった。腕に付けた数珠は散り散りになると、一粒一粒が彼女の体を頭からつま先まで完全に覆って、あっという間に鎧となった。しかも、三扇みつおうぎ紋の陣羽織さえ羽織っている!
 手強い!
 クソ、相手はアイアンマンだった!
 槐詩スパイダーマンが喜んだのもつかの間だった……この女はなんて金持ちなんだ!
 槐詩は体勢を崩して着地すると、歯ぎしりし、腹部に刺さっていた節足をグイッと抜いた。だが血はまったく出ておらず、黒い焦げ痕だけがあった。
 すぐに、槐詩は炎に覆われている自分の腹の傷口がゆっくりと合わさっていくのを見た。激しい痛みは感じるものの、動くのに支障はなかった。
よかった……
 自分というマイナスエネルギー発動機にまだガソリンが残っているのに乗じて、槐詩は深呼吸すると、再度刀と斧にバフを与え、戦闘の中に突入した。
 こいつを利用して俺は減刑してもらわなきゃならないんだ、他の奴にかっさらわれてたまるもんか!
 里見琥珀は、再び伸びて二メートル近くなった野太刀を持っていた。小さい体がそれを操るのは奇妙に見えたが、太刀の上に燃える炎は本物だった。
 何かの目的で大部隊から外れた後、単独で敵を倒しに来た彼女に残された時間は多くはなく、源質の消耗も顧みず同時に幾つかの辺境の遺物を操作し、とどめを刺そうとしていた。
 喜ばしいことに、周囲から伝わってきた轟音によって、その他の祭壇は既に次々と破壊されているらしいことがわかった。戚元の力も段々と不安定になってきた。
 鏡像の投影の中、九鳳の恐ろしい影は次第に曖昧になっていった。
ついに、九鳳は頭を上げて戚元の方を見た。九つの頭のくちばしが開き、何か話したらしく、戚元はハッとした。恐怖を浮かべたその顔は蒼白になった。
「なぜ私を見捨てるのです、主(あるじ)よ……」
 戚元は叫び、手を伸ばして何かを言おうとした。戚元の周囲に大量の黒い血かせ噴き出して、最後のプレゼントのように戚元を溺れさせた。
鏡界が突然砕け、九鳳の投影が見えなくなった。
 戚元は悲鳴を上げた。黒い血の灌漑を迎え、九つの頭が首の上から押し出されてきた。
 九鳳は……自分の力を捨てた?
 聖痕せいこんを惜しみなく破壊し、自分が持っている力を信徒たちに分け与えるのか?
「F○CK!」
 里見は国際化した罵倒語を口にした。
「そこのあんた、ぼけっとしてないで。早くあいつを片付けるよ!さもないと……」
「あああああ!!!!!」
 家族を失くしたかのように、戚元は悲痛な叫びを上げながら、その体はますます奇形になっていった。
 九鳳が自ら洗礼を授けた信徒、戚元は黒い血を飲んで完全に九鳳の一部となり、無条件にその命令に従っていた。操り人形のように。
いま人形の糸は断たれ、だが戚元は自由を得たのではなく、この世界を失ったようだった。
 一対の赤い目は狂気に満ち、槐詩たちを見ていた。里見琥珀が何も言わなくとも、槐詩は歯を喰いしばり、吼えると、戚元に飛び掛かった!
いまさら何を言う必要がある?
 これは魔法少女の世界ではなく、相手も十四歳の魔法少女ではない。
敵は変身しようとしている。まだ力を出し惜しみして、やられるのを待つつもりか?
 いまの戚元は、正真正銘の辺境の異種になっている。九鳳の最後のプレゼントを受け取り、不完全な九鳳のミニチュアとなった。
 戚元が聖痕を持っておらず、喧嘩に弱いとしても、簡単に槐詩たちを料理できる。
 槐詩は前進し、里見琥珀が一歩後退するのを見た。琥珀は高く持ち上げた野太刀を振り下ろした。辺境の遺物から突然灼熱の炎が立ち昇った。
 神楽かぐら村正むらまさの銘文がその中に浮かび上がった。
 つづいて、少女は咆哮し、狂乱する源質の波動が大きな刀峰に集まった。彼女の突撃とともにそれは前方の舞い踊る黒い血に向かっていった。
 ――新影流しんかげりゅう奥義・無二剣むにけん
 破竹のごとく。
 恐ろしい暴風は火炎をはらみ、戚元の変形した体に大きな穴をあけた。つづいて、槐詩の刀と斧が振り下ろされた。かっこいい技の名前を叫ぶでもなかったが、上座部仏教双刀術直伝の技を存分に披露した。
 槐詩の狂ったような斬撃に、雷が炸裂し、風が唸った。
 槐詩はただ自分の血液が急速に燃え、暴れる雷光の中に融け入り、無数の壊滅と死となり、こぼれ落ちるのを感じていた。
 殆ど凝固した時間の中、陰魂(いんこん)は咆哮し、狂ったように手の中の鋼鉄と雷光を振るった。
 膨張する血肉は引き裂かれ、畸形な内臓と火の中に隠れていた顔が露わになった。戚元は叫び、変形した腕を槐詩に向かって突き出した。が、その腕も破壊された。
 血の色の漣が拡散し刀と斧の雷光に撃ち砕かれた。
「こいつが好きになったか?」
槐詩は叫んだ。
「俺の『宇宙原暗』を食らえ!」
 刀と斧は空中で交錯し、最後に彼の膨張した首に十字の深い傷を残した。
つづいて、槐詩は刀と斧を捨て、懐から劫灰の最後のひと包と残った解脱者の塵を取り出した。
 槐詩は指を揃えて刀にした。
 燃える源質げんしつの火を纏った圏禁けんきんが、急速に塞がりつつある戚元の傷口を刺し、力いっぱい握りしめられた。
 次の瞬間、怒れる原暗と激しい光が戚元の体から迸り出た。二つの極端な源質がぶつかり、凄まじい爆発と振動を引き起こし、戚元の体は瞬間的に膨張した。
 つづいて神楽村正の斬撃。
「――朔月さくげつ迫斬はくざん!!!」
 野太刀の燃える刃の上に一輪の残月の輝きが立ち昇り、月光の輝きが照らす下で、一切が停止したかのようだった。
 空中で十六本の火花が縦横に交錯し、最後に一か所に集まると、戚元をその中に閉じ込めた。
 叫び声が上がった。黒い血が潮のように戚元の崩れた体から噴き出し、炎と雷光の中であっという間に蒸発して干からび、悪臭を放つ灰塵となった。
 頭のない首の投影は、忽然と消えた。
 畸形な肉体は爆発すると急速に腐敗し、戚元の欠けた体がその中に墜ちた。つづいて、里見琥珀は跳び起き、狂喜して野太刀を振り下ろした!
「首級は――」
里見琥珀は興奮して叫んだ。
「私のだ!」
「バカ言え!」
 槐詩は大声で叫び、手を振って、後ろの柱でずっと出番を待っていた悲傷の縄を振るうと、里見琥珀の鎧に巻き付け後ろに引っ張った。縄は彼女の四肢に絡みつき、すべての動きを封じた。
 槐詩は既に手に持った斧を振り上げ、戚元の顔に狙いを定めていた。
 冷たい雷光が呆けた目を照らしていた。
「お前が言ったように、戚元、俺が見送ってやる」
槐詩は戚元の体を踏むと、その顔を見つめた。
「何か言うことはあるか?」
 戚元はぼんやりと槐詩の顔を見ていたが、激しく咳込み、破裂した内臓を吐き出した。そしてすぐに、嘲りの笑みを浮かべた。
「お前の好きにしろ」
戚元は目を閉じた。
「悪夢が……やっと終わる……」
槐詩は戚元を冷たく見下ろした。
「――お前の夢は始まるべきじゃなかった。この世界の多くの夢と同じように」
 斧が振り下ろされた。
 つづいて、暗雷が炸裂し、すべてを呑み込んだ。
 最後に、悪臭を放つ灰だけが残った。
 槐詩の体を包む炎は瞬く間に消散し、疲れと激痛が突如として襲ってきた。槐詩はよろよろと後退し、地面に尻もちをつくと、息を切らせた。
とりあえず休憩だ。
 戦いは終わった。その後のことは、彼の担当ではない。
 槐詩は胸の穴に入れてあったコーラのことを思い出した。残念なことに瓶が割れてダメになってしまったが、もし飲めていたらさぞ美味しかったことだろう。
 すぐに、血相を変えて怒る声が聞こえてきた。
「この卑怯者!バカ!触手お化け!田舎者!切腹しろ!」
 里見琥珀は地面から体を起こすと、手に野太刀を持ち、槐詩を睨みつけた。
「私と決闘しろ!」
 槐詩は驚いて、彼女の腰のところについている社保局のバッヂをしげしげと見た。
「本当に?」
 里見琥珀は傲然と顔を上げた。
「安心して、聖痕の力は使わない。ただあんたと……」
 言い終わらぬうちに、槐詩はポケットから天文会のバッヂを取り出し、微笑みながら胸に付けた。
「里見琥珀さん、社保局の救援部隊のメンバーであるあなたは、被害者であり天文会新海支部の監察官助手兼機密秘書である私に挑戦しますか?」
 槐詩は歯を見せ、艾晴がいせいを真似して天文会営業スマイルを見せた。
「本当に?」
 般若の面に隠れて里見琥珀の表情は槐詩には見えなかったが、その声は口惜しさと怒りに満ちていた。
 間違いない、権力の犬め!
 報告書を書いている奴は、特に嫌いだ!
 他人が怒っている時、槐詩は久しぶりの快感を感じていた。
 槐詩が何か言って里見琥珀の怒りの火に油を注いでやろうとした時、ふいに無数の鏡が割れたような音が聞こえてきた。
 鏡界の断層が忽然と消散した。
 その代わりに一面の黒い深淵の中から神聖な光が立ち昇り始めた。
「あれは……なんだ?」

訳者コメント:
槐詩は……本当にいい性格をしていますね(;^_^A

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