『天啓予報』第71章 質問と答え
槐詩が目を開けると、雪のように白い天井が見えた。鋼鉄の欄干、そして傍にある点滴。
すぐにわかった、監獄にいるのだと。
正確に言えば、ここは特事所(とくじしょ)の拘置所で、周囲には銃を自分に向けている者もなく、霊魂能力の使用を禁じられているわけでもなかった。
ひょっとして伝(でん)所長は槐詩を脱獄させたいのではないか?
そうすれば彼は堂々と槐詩を銃殺刑に処すことができる……
槐詩はゆっくりと手足を動かした。身体が弱っていたのと、腹が減っていた。
「どれぐらい眠ってた?」
「二日」
檻の外、車椅子に座って本を読んでいた少女は顔も上げずに答えた。
「ああ」
槐詩は頷き、あくびをし、手をついてベッドの上に起き上がった。長い眠りの後に目覚め、彼は何とも言えない疲れとだるさを感じた。
ぼんやりとしていた。
次第に意識がはっきりとしてきて、壁の向こうから叫び声が聞こえて来るのに気づいた。
「出せ!俺は無実だ!俺は何も知らない!」
槐詩は隣の房の方を見た。
「隣は誰?」
「戚問の息子、戚元。父親の死を知ると肝を潰した役立たず。ちょっとつついてやったらすべて白状した」
戚元がすぐ近くにいるというのに、艾晴の口調には遠慮がなかった。彼女は槐詩をじっと見て、補足して言った。
「あなたのおかげで、戚家の捜査ができたわ。ある人々にとっては不快な一幕だったでしょうけど、全体的としては順調」
「どういたしまして」槐詩は素直に笑った。「やるべきことをやったまでだ」
「私は感謝するとは言ってないわよ?」
艾晴は冷たく言い返した。
「もしあなたが本当に私に感謝していたなら、銃を捨てた後で場所を変えて戚問を殺したはず。
特事所の職員を襲って武器庫を強奪し、公共の場所で凶行に及んだ。公共の安全を脅かし、十六人の常人と一人の昇華者(しょうかしゃ)を殺し、まだ罪の確定していない容疑者一命を拷問の末に、私刑(リンチ)で死に至らしめた……今後戚問が犯罪に関わっていた証拠が挙がったとしても、重大な越権と規則違反よ。
このうちの幾つかだけでも、あなたを終身刑で海溝監獄に送るのには十分。
あなたはあの時、まだ天文会の職員だったのよ。金陵(きんりょう)の事務所は大騒ぎ……あなたは自分がどんなに迷惑なことをしたのかわかっているの?」
「あ……」
槐詩は無言になり、しばらくすると溜息をついて頭を垂れた。
「ごめん」
「あなたのいままでの謝罪の中でいちばん心がこもっていたわ」
艾晴は心から「讃嘆」し、手に持った本を閉じると、嘲るように尋ねた。
「それじゃ、教えて。すべてを犠牲にして復讐した後、あなたが得たものは何?」
槐詩は長いこと沈黙していたが、気まずそうに頭を掻いた。
「復讐は何も生まないとかなんとか言おうとしたんだけど……実のところとても楽しかった」
言うと、槐詩は咄嗟に手を合わせた。
「ごめん、うっかり変態みたいな言い方になった」
槐詩は自分を変態だと思った。
普通の人間は復讐を終えると虚しくなるものではないか?
どうして自分は楽しいと思ったのか?
間違っている……
「変態とまでは言わないけど、復讐に喜びを感じるのは当然のことじゃない?」
艾晴は槐詩をちらりと見た。
「もし私だったら、うれしくて涙が出るでしょう。あなたよりみっとみないかも」
槐詩がほっと息をつく前に、艾晴は続けて言った。
「それと、完全武装の傭兵部隊に二階の昇華者を倒すなんて、素晴らしい戦績だわ。いえ、驚くべきと言ったほうがいいわね……運が悪いあなたの上司として、あなたの腕前を喜ぶべきかしら?」
艾晴はとうとうその名で呼んだ。
「『淮海路のピギー』さん」
「……」
槐詩は押し黙った。これについて謝るべきかどうかわからなかった。そしてただ肩をすくめた。
「あなたが何を言いたいかわかってる。それにこんなつまらないことで謝る必要はないし、私とあなたの間にはずっと隠し事がある。違う?」
艾晴は言葉を切ると、唐突に言った。
「だけど、あなたは残念に思うはず」
「え?」
「戚問は使い捨ての手袋のようなもの。鎖につながれて誰に噛みつくかも自分で決められない犬と同じよ」
艾晴は深く息を吸うと、率直に言った。
「当時の槐家を火の穴に押し込んだ人間は、いまの陰家の当主、つまり私の曽祖父。つまり、私もあなたの家を破産に追い込んだ仇の一人なの」
槐詩はハッとし、呆然と艾晴を見た。そして、微かに頷いた。
怒りも、驚いた様子も見えなかった。
逆に、なにか悟ったようだった。
「そうだったのか?」
槐詩は頭を搔いていたが、やっと理解したようだった。そしてまた目を大きく見開いた。
「ちょっと待った。それじゃ艾っていう姓じゃなかったのか?」
「……」
気になるのはそこ?
「私を殺せなくて悔しい?」
「あんたは俺の家を根絶やしできていなくて悔しくないのか?」
槐詩は冷静に尋ね返した。
「具体的に何があったから知らないけど、あんたとあんたの曽祖父は別人だろ?それに、俺は敵を一人やっつけたばかりで、まだ二周目があると言われても、実感が沸かないよ。後で一緒に相談しないか?」
「……」
艾晴は答えず、言い訳しようともしなかった。ただしばらく黙っていたが、小さく溜息をついた。
「いまは何を言っても意味がないわね、槐詩」
艾晴は頭を振った。
「天文会の職員となったことで、あなたはますます強くなり、すべてを清算するほど強くなった……いまにしてみてれば、私は間違った決定をした。私はあなたの運命をコントロールできると思っていたけど、自分の運命さえコントロールできていなかった。いまならわかる」
艾晴はもうさっきの話題には触れず、槐詩の話に戻り、弁護士のように話した。
「肉親の敵を討つという大義はあっても、あなたがしたことはやはり犯罪よ。幸いなことに、金陵支部はまだこの件に関して決定を下していない。社保局も深くは追及してこない。正式な審理が始まるのは、帰浄の民の件が片付いてからでしょう。
それまでの間、私はできるだけ減刑のために手を回しておく。
状況がはっきりするまでは、あなたは社保局に移管されるでしょう。あなたの才能と潜在能力を勘案して、軽い罪で済まされるはず」
急いでこの場を離れなければならないように、艾晴はすべてを一気に話した。
「特事所であなたに同情する人も多いわ。少ししたらネットも繋いで、ここにいる間少しは自由に過ごせるようにしてあげる。安心して休養しなさい」
最後に艾晴は付け加えた。
「なにか欲しいものは?あんまりおかしなものじゃなければ持ってきてあげる」
「うん……」
槐詩はしばらく考えていたが、申し訳なさそうに尋ねた。
「チェロを頼めるかな?ずっと練習しないとなまってしまうから」
「それだけ?」
「それだけ」
艾晴は頷き、立ち去ろうとした。
だが車椅子の方向を変える前に、艾晴はふいに尋ねた。
「あとひとつ質問があるの」
「なに?」
「どうして天文会に残ることにしたの?」
艾晴は槐詩の目を見て、重ねて質問した。
「私がいなければ、あなたも巻き込まれることはなかった。どうして天文会の面倒事に首を突っ込むの?」
「わからない」
槐詩は正直に答えた。だが艾晴は明らかに納得していないようにじっと槐詩を見ていた。槐詩は頭を掻くと、結論を出した。
「もし理由があるとしたら、君のせいだ」
「私?」
艾晴はその答えを揶揄した。
「一人の足の悪い女のために命を懸けたの?あなたの好みには問題があるんじゃない?それとも、人をからかうのが好きなの?」
「違うって……」
槐詩は慌てて手を振った。
「俺はただ……君が羨ましかった」
槐詩は牢の外の少女を見て、真面目に言った。
「とても勇気があるように見えたから」
静寂の中、艾晴は放心したように、何も言わなかった。
ただ複雑なまなざしで槐詩を見た。
しばらくして、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、槐詩」
艾晴はその場を離れようと背を向けた。
「私はそんな素晴らしいものは持ったことがない」
艾晴は拘置所から去ろうとし、門のところで煙草を吸っている伝所長を見た。
どうやら禁煙は失敗したようで、きまり悪そうだった。
「あのバカはまだ生きているのか?」
艾晴はやってきた方を指さした。
「会いに行ったら?」
「やめておく。うっかり銃殺したら困る」
この二日で数十通の報告書を書き、伝所長の眼は赤くなっていた。
「上層部は一時的に監視下に置くと言っている。帰浄の民の件が片付いてから審理をするつもりなんだろう?天文会はそんな甘い態度でいいのか?」
「新海では私が天文会の代表です」
艾晴ははっきりと言った。
「彼は私の部下です。天文会のやり方に異論が?」
伝所長は驚いて艾晴を見た。
「バかな?まさかあいつを庇って一緒に泥をかぶるつもりか?」
「なぜできないというの?」
艾晴は聞き返した。
「あなたたちは私をきちがいだと思っているのでしょ?」
「……」
伝所長は呆然と艾晴を見ていたが、煙草の火を踏み消し、溜息をつくと背を向けて去っていった。
艾晴は静かに車椅子に座ったまま、遠くから大地を照らす太陽を見つめた。
なぜかはわからないが、昔を思い出した。
あの幸福な子供時代、突如訪れた災厄、薄暗い病室、動かなくなった脚、そして一緒に遊んだ同じ年頃の少年。
遠すぎた。
記憶は次第に曖昧になり、二度と戻らない。
もうわからなくなってしまった。何が真実なのか、何が逃避のためについた嘘なのか……それとも最初から自分と彼は別の世界の人間だったのか?
艾晴は車椅子を漕いでその場を離れた。
そして、植え込みの中から烏鴉がひょっこりと顔を出した。
訳者コメント:
復讐の後に虚しくならない槐詩……好きです。
