『天啓予報』第86章 線路はつづくよ

「管制室からトム少佐へ……管制室からトム少佐へ……」
 暗闇の中、二人の人影がゆっくりと歩いていた。
 一人は疲れた様子で長すぎる鉄鞭てつべんを背負い、元気なく項垂れ、汗がシャツに染みを作っていた。もう一人はピクニックでもしているかのように、のんびりと、イヤホンを付けた頭を振りながら、、自前のBGMに合わせて楽しそうに歌っていた。
「よくやった成功だ 新聞記者は知りたがっている 君がどのチームのTシャツを来ているかを……」
 やや調子の外れた歌声が暗闇の中を木霊し、行く先々で蝙蝠の目を醒まさせた。
 槐詩かいしは振り向き、背後の顔面蒼白な沈悦(しんえつ)を見ると、近づいて肩に腕を回した。
「そんなに泣きなさんな、お兄さん」
槐詩は拳を振った。
「新海の命運は俺たちにかかっている」
「一階の昇華者しょうかしゃと三階の役立たずで何ができる?」
 沈悦しんえつは力なく槐詩を見た。
「これはピクニックじゃない。楽しんでいるところ悪いけど、少し静かにしてくれないか。せめて死ぬ前ぐらい」
「わかったわかった。あんたがつらいのは知ってる」
 槐詩は溜息をつき、胸の穴に手を入れると……中からキンキンに冷えたコーラを取り出した
「ほら、お兄さん、コーラ飲んで」
 これも烏鴉うやが旅行鞄に入れておいたものだ。銃弾と手榴弾の間にこんなものを入れておくとは、彼女は一体何を考えているのかと槐詩が考えていることを彼女は知らないだろう。
 だが、他のことはさておき、冷蔵庫の機能は素晴らしいと言わざるを得ない!
 槐詩の『体温』によって原始的な方法で冷やされたコーラは沈悦をやや落ち着かせたらしい。沈悦は一気に大半を飲むと、袖で顔を拭って言った。
「すまん。笑われるな」
 沈悦は無理に笑った。
「子供のころから喧嘩が怖くて、昇華者になってからも、ずっとサポートに徹していたんだ。ずっと金沐きんもくと一緒だった……」
沈悦は言った。
「もし金沐がいなかったら、俺はとっくに死んでいた」
 金沐の名を出すと、沈悦の目がまた赤くなった。
 長年の相棒だ。沈悦にとって、金沐の存在はとても大きなものだったろう。
「そうなのか?」
槐詩は頭を搔いた。
「どうりで死ぬ間際もあんたのことを心配していたよ」
 沈悦は沈黙していたが、しばらくして、不安そうに尋ねた。
「金沐は死ぬ時……」
「安らかにったよ」
沈悦の質問が終わる前に、槐詩が口を開いた。
「俺が自ら手を下した。苦しまなかった」
沈悦は肩をびくっとさせてから、つらそうに言った。
「ありがとう」
 槐詩は溜息をつき、ポケットから金沐のバッヂを取り出すと、沈悦の手に握らせた。
「元気を出してくれ、お兄さん。あんたは仮にも三階の昇華者だ。金沐は長年あんたを信頼してた。死んだ金沐に恥ずかしくないように」
 沈悦は手の中のバッヂを握りしめ、失くすのを恐れるように、大事そうにポケットに入れると、ますますつらそうに言った。
「がんばるよ」
 もともと完全な補助型とはいえ、少なくとも基本的な射撃訓練ぐらいは受けている。三階の聖痕せいこんによって強化した体質の性能は槐詩の二倍以上である。
 いま旅行鞄を背負い、両手に機関銃を持ち、全身に弾倉と手榴弾を身に付け、数分後に死にそうな様子だとしても。
 槐詩は頭を振り、それ以上は言わなかった。
 だがこのまま足で歩いていては、あと何時間かかるかわからなかった。
ちょうど仮設の保全作業所に通りかかった時、槐詩は足を止め、雑多な物の中に防塵布で覆われた物を見つけて喜んだ。
「ちょっと待った、足の代わりがある」
 言うと、槐詩はレールから飛び降りて保全場所に入り、ガタガタという音をさせながら検修の作業員が使う手動式トロッコを押してきた。
 二人で力を合わせて運び、レールの上に置いた。
 ぴったりだ!
 幸運なことに、時代は進歩しており、見つかったのは伝統的な漫画の中で見るような、アメリカの鉱山に似合う手押し式のトロッコではなく、ハンドルとタイヤが付いていた。
 だが今はガソリンが見つからず、やはり足で踏むしかなかった!
 槐詩がトロッコの周りを回りながら喜んでいると、沈悦は思わず唾を飲み、保全所の後ろの、喧騒に眠りを邪魔された赤い目をを指さした。
「この状況はヤバくないか?」
「大丈夫だ。俺達には車がある!」
 槐詩は率先してトロッコに飛び乗ると、沈悦に向かって手招きした。
「早く早く早く、漕(こ)いで!俺達が全速を出せば奴らは追いつけない!」
 槐詩の言葉が終わらぬうちに、積んであったがらくたが炸裂し、奥の壁に 空いた大きな穴から水が噴き出すようにネズミの大群が溢れ出した。
 だがどこにこんなネズミがいるのか?
 殆ど野良犬のような大きさで、どのネズミも体に膿ができており、痩せて骨ばかりで、飢えた叫び声を上げている。群れとなった彼らが動く様(さま)は黒灰色の水のようであった。
 無数の赤い目はじっと槐詩たちを見つめ、次の瞬間、狂ったネズミの群れが彼らに向かって襲い掛かってきた。
 沈悦は槐詩に催促されずともトロッコに飛び乗って全力でペダルを踏み始めた。
 金属が擦れるギイギイという音がして、トロッコは震え、歯車の間から埃が落ち、それからゆっくりと動き始め、加速した。
 まるでオートバイが背後のサイレンに追い立てられ狂奔するように。
 三階の昇華者はやはり三階の昇華者で、喧嘩はできないとしても槐詩よりも強壮だった。槐詩が自分のパワーアップした身体能力に得意になっていたのもつかの間で、完全に沈悦に圧倒された。
 狂風が顔を打った。
 沈悦は脚が残像になるほどのスビートでペダルを踏み、トロッコはギシギシと悲鳴を上げた。槐詩は沈悦がトロッコを踏み壊さないかと心配になった。
 こいつ、もしかしたら逃げる天才ではないのか?
 槐詩が顎をひねって考えていると、沈悦の悲鳴が聞こえてきた。
「槐詩槐詩槐詩……」
 沈悦は立て続けに少年の名前を呼び、殆ど息もできない様子で、トロッコの前方を指さした。
「名前を呼んだだけとかじゃないよな……うわっ!」
 槐詩は沈悦の指さす方を見て、驚いた。
「なんでこんなに沢山?!」
 トロッコの前方に、いつの間にか、赤い目の奇妙な野獣たちがうずくまっていた……まるで動物園のように、ネズミだけではなく、犬も兎も、蛇も、猿も、また畸形な姿の虎も……
 パッと見ただけでも、様々な姿かたちをしていた。
 唯一共通しているのは、大きいこと。太っているのも、痩せているのも、とにかく大きかった。カマキリでさえ腕のような大きさがあった。皆、長いこと腹を空かせてからようやく餌にありついたように、口からどす黒い緑色の涎を滴らせている。
 それらの『深淵の淀み』の中で異化し、すでに母親でさえ見分けられなくなっている群れは、鳴きながら、二つの新鮮な肉を待っている。
「どうしよう?」
 沈悦は泣き出しそうだった。
躊躇ためらうな、やるしかない!」
 槐詩は旅行鞄から機関銃を取り出し、安全装置を外した。
「逃げても死ぬ、逃げなくても死ぬなら、怖がってどうする。俺が奴らの相手をするから、あんたは運転を頼む」
 言うと、槐詩は大声を上げた。
「行っくぞーーー!」
 槐詩は手榴弾を取り、双方の距離が縮まるのを待って、思い切り前方の暗闇へ投げ込んだ。
 爆発の轟音が暗闇の奥から響いてきた。
 衝撃波が有象無象のネズミやカマキリを吹き飛ばし、飛び散った鉄片が悪臭のする血を吹き出させた。
 燃え上がる炎が、風圧によって変形した沈悦の青白い顔と、槐詩の手の中で火を噴く機関銃を照らし出した。
「――お兄さんおねえさん、新年おめでとう!」
 槐詩の咆哮の中、銃弾は飛び、空中に赤い花が裂いた。血飛沫(ちしぶき)の中、天井からぶら下がっている影が、沈悦に向かって大きく口を開いた。
 それは桶ほどの太さのある蛇。
 数メートル離れていても、悪臭は沈悦をいぶり殺すほどである。沈悦はその蛇が大きな口を開けて襲い掛かってくるのを見て、驚きのあまり飛び上がりそうになった。
 蛇は震えた。
 電光一閃。
 雷撃は蛇の下顎を穿って入り込み、自由に駆け回るとあっという間に空中に消えた。
 次の瞬間、大蛇の下あごは頭から外れて落ち、悪臭を放つねばつく血が噴水のように沈悦の顔にかかり、ぽかんと開いた口に流れ込んだ。
 沈悦はハッとし、トロッコに体を伏せた。腸まで吐き出すかと思った。
 すぐにでも気を失って倒れそうになりながら、ペダルを踏む動作はまったく止まらず、これは天性の才能としか言いようがなかった。
傷を受けた大蛇は激しく痙攣し、天井から落ちてきた。槐詩の銃撃の中で大蛇は怒りに身をよじり、尾が風を切って横に払われた。
 陰魂いんこんの火が再び燃えた。
 |劫灰《》が充満する中、沈悦は幽霊を見たように叫び、周囲から襲い掛かってくる怪物たちも感電したように痙攣し始めた。
広がり始めた霧の中、槐詩の左手は斧の刃を撫でた。電光がスパークした。槐詩は憤怒の斧を高く持ち上げると、思い切り振り下ろした。
 雷に撃たれたように、大蛇は切り裂かれた。
 血液が空中に噴出した。
 赤く染まった鉄の霧の中、悪鬼の双眸そうぼうが輝いた!

訳注:
・「管制室からトム少佐へ」……デビッド・ボウイの「Space Oddity」という曲の歌詞の一部です。前にも槐詩はデビッド・ボウイの曲を口ずさんでいました。
・「――お兄さんおねえさん、新年おめでとう!」……200年制作の中国映画『鬼が来た!』(原題:鬼子来了)の有名なセリフ。

訳者コメント:
槐詩の空気の読めなさ?読まなさ?が好きです……あと、胸の穴にびっくりしていたのに、その中でコーラを冷やすとは……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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