『天啓予報』第80章 鍵、作る?
恐ろしいエネルギーが牢獄を破壊し、轟音が上がった。無数の鉄棒が曲がり、コンクリートは泥土のように崩れ、四方八方に飛び散った。槐詩は殆ど廃墟の中に埋もれた。
爆発の中心で、戚元は重力がないかのように空中を漂い、激しく痙攣した。黒いものが体の中に入っていった。黒目が広がり、眼球全体を覆った。
戚元はゆっくりと地面に下りた。足元の血肉や骨を踏み、気持よさそうな溜息をついた。
「いったいなんなんだ……」
槐詩は砕けた石に埋もれて唸った。
「俺は言ったはずだ、槐詩」
戚元は振り向いて嘲笑った。
「……考えうるすべての方法を試したと。すべてのだ。だが、まだ言い忘れていたことがあった――」
戚元は言った。
「そして、俺は力を手に入れた。深淵の楽土の中から」
救主会の手から。
戚問は夢にも思わなかっただろう、彼が役立たずだと思っていた息子がいつの間にか救主会に帰依し、王海(おうかい)よりも高い地位に就いており、上主の洗礼を受けていたとは。
いま、戚元は力という血を飲み、至福楽土の加護と賜福を受け、地獄の力と同化した。
もっと正確に言うならば、昇華者が意思を物質を超越させることによって昇級するのに対し、この時の戚元は地獄の浸食を自ら受け入れ、自我を永遠不変の深淵と融合させて凝固者となったのである。
いまの戚元は、深淵によって改造された怪物であった。
「いま、俺は力を手に入れた!」
戚元は笑い、歓呼し、両手を拡げた。無数の鮮血が地上の屍の中から流れ出て、階段の上で沸き立ち、彼の体の周囲に集まって血のローブとなった。
槐詩はこっそりと銃口を持ち上げ、引き金を引こうとした。
だがその瞬間、銃は槐詩の手から離れ、戚元の手の中で潰れて鉄屑となった。槐詩は戚元に襟首を捕まれて持ち上げられた。
「わかってほしい……」
戚元は歯を見せて残虐に笑った。
「これは私怨じゃない」
バン!
槐詩は戚元に地上に放り投げられた。体が砕けるかと思った。
ひび割れた壁から飛び出ている曲がった鉄筋が槐詩の胸を貫き、肺を刺した。つづいて、戚元の手が肋骨を貫通して槐詩の胸に入り込んだ。
そして中で動いているものを握りつぶした。
心臓が破裂した。
槐詩は痙攣し、そして動かなくなった。
戚元はゆっくりと手を引き抜き、潰れた心臓を投げ捨てると、顔を上げ、身を翻して階段を上っていった。
すぐに、上から混乱した銃声が聞こえてきた。
そしてすべての音がやんだ。
静寂の中、槐詩の強張った体は微かに痙攣し、白目を剥いていた眼にゆっくりと黒目が戻ってきた。槐詩は集中して耳を傾けたが、何の音も聞こえなかった。
あいつは行ったか?
行った。
確信すると、槐詩の顔は痛みにピクピクと引きつった。
「誰かいますか?」
槐詩は無理矢理声を出した。
「助けて!誰か!」
普通の人間なら死んでいるところである。
槐詩もあと少しで死ぬところだったと思った。
だがどう考えてもまだ死んでいなかったので、頑張って助けを呼んだ。
特事所は頼りにならないと思い、一日中暇つぶしをしている烏鴉が早く来てくれることだけを祈った。
「あら、ちょっと会わないうちに、なんでこんなことに?」
烏鴉の声が耳元で響き、そして、かつて一度だけ見たことのある顔が目の前にあった。
烏鴉はカラスではなく、人の姿になっていた。そしていつの間にか槐詩の目の前に立っていて、華麗なスカートの裾が槐詩のすぐ近くまで靡(なび)いていた。彼女は頭を低くして整った顔を近づけ、槐詩の狼狽している様子を眺めると、手に持ったコーラを二口であっという間に飲み干した。
のんびりと楽し気に。
よかったよかった……もし槐詩が死にそうでなかったら、自分にも一口飲ませろってねだられていたところだわ。
槐詩は口を開き、烏鴉に向かって血を吐いた。その意味は「じろじろ見てないで早く助けろ」。
「あー、はいはい」
彼女はスカートの裾をつまんで少し持ち上げると膝をついた。槐詩の目の前に誘惑するようなきれいな白いふくらはぎが見えた。槐詩の視線は更に上っていった。
スカートをつまんでいた手は襟の中に深く入り、奇妙な鍵を取り出した。 烏鴉はそれを槐詩に向かってゆらゆらさせ、愉快そうに笑った。
「それじゃ、合鍵を、作る?」
槐詩は急いで頷いた。
「作る、作る!」
「作る?」烏鴉は眉を上げた。「いくつ?」
「いくつでも!」
槐詩は気がおかしくなりそうだった。
「急いでくれ、死にそうだ」
「慌てないで、私がいるのにあなたを死なせるわけないじゃない?ちょっとしんどいかもしれないけど」
烏鴉はサラッと何か凄いことを言った。
烏鴉は謎めいた微笑を浮かべ、袖から古い羊皮紙を取り出した。拡げるとそこには奇妙な文字がびっしりと書かれてていた。篆(てん)文に似ているそれは、ある種の文字の変体のようでもあった。
繊細な指が羊皮紙を少年の目の前に広げた。
「……サインしてくれる?」
「弱みに付け込むつもりか?」
「そんなに褒めないで。どのみちサインしないと死ぬんだから、するわよね?」
烏鴉は楽しそうに笑った。
「……好きにしろ」
槐詩は溜息をつくと、左手がいつの間にか治っていることに気づいた。
槐詩は歯ぎしりし、指を上げると、力のすべてを注ぎ込んで黒い字で名前を書いた――槐詩!
槐詩が最後の一筆を書き終わった瞬間、漆黒の炎が羊皮紙から燃え上がり、あっという間に羊皮紙を焼き尽くして灰にした。悪鬼のような炎はあっというまに燃え広がり、槐詩の指から体に燃え広がると、骨に絡みつくかのように肺腑に入り込み、燃え盛った。
すべての思考が炎に呑み込まれた。
言葉にできない苦痛が槐詩を呑み込み、火の中で掠れた叫び声を上げさせた。
槐詩は闇雲にもがき、胸に刺さっている鉄の棒から逃れるように、地面に倒れた。そして、その女性が足を上げ、自分の体を踏みつけるのを見た。
「冷静になって。世間知らずみたいな顔しないでよ」
烏鴉はぐっと槐詩を踏みつけ、それから手を伸ばすと、歪んだ鉄の棒を槐詩の胸から引き抜いた。棒の端から泥と血が地面に滴り落ちた。
「鍵を作るって言ったわよね。はい、あげる」
烏鴉は掻いてもいない汗を拭い、手の中の華麗な鍵をくるりと回すと、槐詩の胸の大きな穴に、グイッと差し込んだ。
そして、力を入れて捻った。
まるで地獄に通じる門が自分の体の中で開いたように、槐詩は無尽の奔流が開闢の隙間から溢れ出すのを感じた。それは瞬間的に体の隅々まで満たし、槐詩を気球のように膨らませた。
爆発するのではないかと思った時、自分の体を覆っている炎が盛んに燃え上がり、体に流れ込んだものを焼き尽くし、揮発させた。
燃やすことのできない精髄だけが、高温の中で、ゆっくりと体に融け入っていった。
まるで灯芯になったようだ。
足元は灯油の中で窒息し、頭は炎に包まれている。
槐詩は口から血を吐いた。血液は変質したようで、黒く、空気に触れてシュウシュウと音を立てた。激痛に蹂躙され、槐詩は目を見開いた。
「どういうことだ?」
「あなたの聖痕よ」
烏鴉は槐詩が動かないように足で踏みながら、片手で槐詩の霊魂から運命の書を呼び出し、手の上で開き、もう片方の手では槐詩の頭を押さえつけた。
「槐詩、天国の立ち合いの下、私はあなたと契約します」
瞬間、槐詩は自分の脳が鉄槌でしたたかに殴られたように感じた。目の前が真っ暗になり、霊魂が彼女の言葉の中で震え始めた。
「私《 》の名において保証します」
槐詩はその名を聞いたことがあるような気がした。だがはっきりと聞こえなかった。その名のもたらす力が槐詩を揺り動かし、押し寄せる荒波に圧し潰されるように、はっきりとした意識を保つことができなかった。
「――私の王権をここに顕(あら)わし、あなたはその輝きとともに永存する」
ゴウ!
槐詩は自分が篝火になった気がした。
槐詩の意識は燃える薪と化した体から解脱し、黒い炎に融け入って上昇し始めた。無限の膨張と収縮の中、破滅と再生の縁を舞った。
槐詩はついに彼女を見た。
自分と契約した女。
それは夢のように美しい幻影ではなく、幻影の奥に隠れている荒れ狂う波――無尽の烈火と光芒が織りなす雷光が、世界全体に満ち溢れるかのようだ。
恐ろしいほどの力の洪水によって、遍く炎が波のように彼女の瞳から燃え上がり、また無限の海の中に墜ちていった。
彼女が羽根を広げた時、無限の光が世界を照らし、彼女が目を伏せると、万物が業火の中に墜落した。
世界は崩壊しており、世界は再生している。
万物の存続と滅亡は彼女の手の中で統一され、始まりと終わりとすべての意味をを与えられた。
いま、万象は彼女の眼下に広がり、万鈞の威厳を帯びた声が、槐詩に宣告した。
「私があなたの証人になる」
彼女は槐詩の耳元で囁いた。
「あなたが私の証人であるように」
その瞬間、無限の幻影は崩壊し、跡形もなく消え去った。まるで苦しく長い夢のように。
槐詩は体の延長であるドアが突然閉まり、それから炎に巻き込まれたように感じた。
彼女の掌に推され、槐詩の意識は再び体の中に戻った。まるで雷の火が鍛造した刀が鞘に収められたように。
槐詩は心臓の動きを感じた。
血液が血管を流れ、体の隅々にまで行き渡った。槐詩は肺が呼吸するのを感じ、空気中に残っている血の匂いを嗅ぎ、遠くの街から伝わってくる轟音を聞いた。
槐詩は両手を、それから両足を感じた。
槐詩は再び世界に戻ってきたことを感じた。
槐詩は生きていた。それも何ひとつ欠けることない体で。
槐詩ははっと目を開いた。ついさっきの苦痛の夢を思い出し、叫び声を上げ、地面から跳ね起きた。悪夢のような記憶が追いかけてくるのを恐れるように、槐詩は牢獄の中を狂ったように走り出し、こっちの隅からあっちの突き当りへと走り回った。
しばらくして、槐詩はやっと冷静になってきた。
壁に寄りかかり、汗を流し、息を切らせた。
そして項垂れ、ぼんやりと胸の違和感がある場所を見た。
「なんじゃこりゃあああ!」
訳注:
「合鍵を、作る?」……これはネットで生まれた笑い話がもとになっています。「合鍵を作る」は中国語で「配钥匙」といいます。「配」には「~に相応しい」「~に値する」という意味があります。小話の内容はこういうものです。
合鍵づくりの職人「合鍵を作りますか?(您配吗?)」
占い師「作らない(我不配)」
合鍵づくりの職人「そうだ、あなたは作らない(对,您不配)=あなたは相応しくない」
そこで占い師が怒って反撃した。
占い師「私は占い師だ。何を占いますか?(你算什么东西?)=あなたはたいしたものではない〔算には「占う」と「~に数えられる」の意味がある〕」
「您配吗?」はネット用語なので、中国の若者ならピンとくると思いますが、年配の人だとわからないかもしれません。
訳者コメント:
さて、ついに槐詩が聖痕を身に付けました。
最後、槐詩は何驚いたのでしょう?次回をお楽しみに!
