『天啓予報』第81章 深淵系譜第一段階聖痕デラックス愛蔵版バージョン2.0!
槐詩は飛び跳ねんばかりに驚き、襟元を引き裂き、自分の胸をまさぐった。
槐詩の胸のちょうど真ん中に、いつの間にか、マグカップぐらいの大きさの丸い穴が空いていた。だがその向こうに内臓や筋肉は見えなかった。
ぽっかりとした暗黒。
深淵につづく隙間のような。
槐詩は勇気を奮い起こして手を中に入れて探ってみた。まるで内側から自分の体を探っているようであり、だが内臓や骨に触れることはなかった。
まるで心無い人のようである。
暗くて冷たい液体アンモニアのように、ひんやりとして重い質感が、隙間の奥の隅々にあった。
「はい、これでも飲んで落ち着いて」
烏鴉が一杯のよく冷えたコーラを差し出してきた。親切にストローまで挿してある。
「あ、ありがとう」
槐詩は咄嗟に一口二口飲み、ハッと我に返ると、いつの間にか烏の姿に戻っていた烏鴉を睨みつけた。
「お前がやったのか!」
「サインしたでしょ?」
烏鴉は無邪気に槐詩を見た。
「聞いたじゃない、鍵を作るかどうか。作るって答えたから、あげたのに……それに、自分の聖痕に慣れなくちゃ。でなきゃこの先どうするの?」
「聖痕?」
槐詩は愕然とし、胸の大きな穴を指さした。
「この穴がお前の言う聖痕?」
「そうよ」
烏鴉は羽根を広げ、得意げに説明した。
「深淵系譜第一段階の聖痕・陰魂デラックス愛蔵版バージョン2・0!」
「深淵?陰魂?デラックス愛蔵版?」
槐詩は眩暈がして、長いこと動けなかった。
「深淵系譜ってのはどこの国の系譜だ?陰魂?幽霊のことじゃないか!」
「そうよ。あなたのような運の悪い人間に使い勝手がいいように。私が薬を飲ませて上げなくても大丈夫なようにね」
烏鴉は心配そうな顔で槐詩を見た。まるで物事のわかっていない子供を世間に送り出す時の親のように。
槐詩は目を閉じて深呼吸すると、ガッと烏鴉を捕まえ、召喚した斧を彼女の首に当てた。
「言い直すチャンスをやる。これは一体何なんだ?」
「あー……」烏鴉は目をきょときょとさせた。「話すと長くなるんだけど」
「なら短く話せ!」
「簡単に言うと辺境での生存と深淵の探索に特化した聖痕で、世界各国の幽霊の伝説のいちばん典型的なところを結合して作ったあなたのための特別製の聖痕。あなたにぴったりよ!」
「どこがぴったりなんだ?」
槐詩は目を見開いた。
「以前、あなたは一台のマイナスエネルギー製造機だったでしょ?」
烏鴉は羽根を挙げて数字を空中に描いた。
「いまは二台よ!」
槐詩は怒った。
「前と同じじゃないか!」
「効率がアップしたわ!出力アップ、わかる?」
烏鴉は聞き返した。
「水鉄砲が大砲に変わったみたいじゃない?黒電話がスマホに進化したいみたいじゃない?どんな感じ?昇天しそう?
お姉さんがあなたのためにずっと不眠不休で作ってあげたのよ。こんなに苦労してあなたの命を救ってあげたのに、あなたは感謝の言葉もないのね。良心は犬に食われてしまったの?!」
烏鴉は槐詩を睨みつけた。槐詩は急に心もとなくなって下を向いた。烏鴉は自慢げに胸を張っていた。しかも話す時にピザの匂いがした!
俺を実験台にしないでくれるか?
「いいわ。許してあげる。どのみち大変なことだもの」
槐詩がぽかんとした隙に、烏鴉は槐詩の手からすり抜け、鷹揚に羽根を振った。
「謝るなら水に流してあげる」
謝るだと!
槐詩は白目を剥き、胸に空いた大きな穴を見た。なんだか中からおかしなものが出てきそうな感じだ。
「安心して。そんなことにはならないわ」
烏鴉は厚い本を放って寄越した。
「はい。あなたのために用意しておいた説明書。いまのところ公開されている系譜の中にはないけど、私が心血注いだものだから、他のことはともかく、その有効性は保証できるわ。
この非公認の聖痕は、昇級の方法と上位の聖痕の選択肢がないの。最初は一本の道しかない。悪くすると途中で途切れてしまうかも。でもいいところも二、三あるわ。特に、同一系譜の中で自在に行き来できるところ。
対応領域は最大限広くしてあるわ。国内でも国外でも、どんな系譜だろうとマイナス属性の聖痕であれば進階できるし、どんな方向へも発展することができる……」
槐詩はハッとした。
「万能プラグみたいなもの?」
「もっとマシな言い方はないの?」
烏鴉は白い目で槐詩を見た。
「お姉さんの大恩大徳に感謝なさい。いちばんいいのは何回か叩頭してから『私は一生お姉さんの奴隷です』と叫ぶことよ」
槐詩は相手にしなかった。
だが彼女の言ってることはだいたいわかった。
汎用性の一点に限って言えば、最上級ということだ。
系譜が異なれば、シマウマとサルほども違いがある。
巨人だってアルゴスとタイタンの巨人は別物だし、死なない鳥だってフェニックスと鳳凰は完全に別物だ。
系譜を跨いだ進階はもちろん、同一系譜内で路線を変更するのでも非常な危険を伴なう――路線を変更しての進階は、他に方法のない者でなければまず選択しない。
例えば現在最も選択肢の多い系譜のひとつに公認されている東夏(とうか)系譜は、幾つかの分岐を持っている。昇華の路が完成しているものだけでも十四以上ある。
攻撃系、防御系、補助系に後方支援系……
つまり、その系譜を選んだ場合、もしその人間に素質と、力と、潜在能力があるならば、一階から五階までの路が準備されているのと同じことである。
十四ものルートがあれば、ひとつくらいは自分に合うものがあるだろう。
これが大系譜の団結力と求心力である。それに比べて小系譜は、昇華の路も完全ではなく、昇華者も少なく、系譜を補完するために地獄の開発と研究をしようとしても、金も地位も人もない。
殆どの『野人』は組織の力を借りずに、よくわからずに聖痕を買って死を恐れずに試してみるか、もしくは金を払って大組織の会員になる。一歩間違えれば、行くことも戻ることもできず、ただ苦しみ、運が悪ければ死んでしまう。
烏鴉が錬成した陰魂は、今後の計画に多くの選択の余地を残すものだった。引き続き天文会で働いてもよし、命を売るのに飽きたら脱サラしてもよし、どう進もうと困らないようになっていた。
陰属性の聖痕であれば、どれにでも繋がれる。
植入の方法は騙された感じがしなくもないが……
「もちろん、できればだけど、あなたには深淵系譜での進階をしてほしいの」
烏鴉は提案した。
「適当な系譜を選んだらあなたの潜在能力がもったいないもの」
槐詩は聞こえないふりをながら、心の中で考えていた。しばらくしたら自分に合った聖痕を見つけて、まともな進階をしよう、と。
深淵系譜、聞いた感じ正統派ではなさそうだ……バレたら人にボコボコに殴られそうだ。後でよく調べてみよう。
だが、聞いた感じは気持悪いが、感覚は非常によかった。
槐詩は体を動かしてみた。蒼白といえる皮膚の下、筋肉が伸び縮みし、思いもよらない力が出た。
成長期が終わった時、槐詩は自分の力が極限に達したと思ったのだが、聖痕を植入した後、更にパワーアップしている。
まさに水鉄砲が大砲になったかのようである。
「とにかく、おめでとう、槐詩。進階成功、めでたいめでたい」
烏鴉は首を傾げて槐詩を見ると、真面目に言った。
「遥か昔から、人類は力を求めてきた。力を求める理由はあっても、求めない理由はないわ。結局、力は金銭と同じように、この世界で生きていくのに必要な通貨のひとつだから。そして、あなたはいま力を手に入れた。これからどうするつもり?」
「どうするって何を?」
槐詩はぽかんとした。
「つまり、理想の人生設計よ」
烏鴉は言った。
「力を求める理由は人それぞれだけど、力を手に入れた後の生活はみな同じ。つまりどんな始め方をしても、最後は『やりたい放題』になる。それじゃ、あなたは力を手に入れてどうしたい?」
槐詩は真剣に考えてから、言ってみた。
「金と女を手に入れる?」
「はっ!」
烏鴉はバカにしたように笑い、槐詩の肩を力いっぱい叩き、賞賛した。
「欲がないのね」
「じゃあ……世界制服?」
烏鴉は頷いた。
「努力すればできるわ」
「不老不死?」
「それはしんどくない?」
烏鴉は言った。
「不死の道を追及するだけでなく、不死の後のゆったりとした生活を手に入れないと。いまの神霊は千年の寿命を持っていても、気が狂って死んでるじゃない?心安らかに大往生できるのは何人もいないわ……」
最初から最後まで、烏鴉は槐詩の提案に反対せず、『そんなことは実現不可能』という態度を取らなかった。
まるで『不可能』なことなどないかのように……
槐詩はしばらく考えてから言った。
「じゃあ、一生幸せに暮すのは?」
烏鴉は黙り込んだ。
しばらくして、彼女は憐れむように溜息をついた。
「難しいわ」
烏鴉は言った。
「槐詩、それはとても難しいわ」
不老不死よりもつらく、世界征服よりも面倒で、金と美女よりも贅沢である。いわゆる幸福な人生とは、そもそも夢のようなものだ。
「それじゃ試してみるか」
槐詩は笑った。
「難しいほど、努力する価値があるだろ?」
だが、目下の急務はそれらではない。
どうやって新海のこの動乱を解決し、戚元のバカを叩き殺すかである。
槐詩は遠くから聞こえてくる轟音に耳を傾けた。都市全体が微かに暗い波動に覆われていた。槐詩は首を捻り、腕を振ると、斧を肩に担いだ。
「よし。戚元と帰浄の民のきちがいどもを片付けたら、帰ってゆっくりと幸福な人生について考えよう」
槐詩は周囲を見回すと、烏鴉に尋ねた。
「俺の行く末を見てみるか?」
「見届けるわ」
訳者コメント:
槐詩と烏鴉の「理想の人生」問答は、すごく好きなシーンです。
『天啓予報』はいわゆるネット小説、ライトノベルで、痛快ファンタジー小説ですが、読みながら時々ハッとするような文章があります。
