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垓下の歌 項羽

天下を失うよりも深い悲しみが、そこにあった。


紀元前202年、希世の豪傑項羽は垓下という地で数倍もの敵軍に包囲された。兵粮尽き士気落ちて、もはやどんな武芸や気概も滅びる運命を挽回できない。


それを悟った項羽は、男の意地をかけて最後の戦いに出ようと決意する。気にかかるのは、いとしい虞美人と七十数回も戦いをともにしてきた愛馬の騅だ。どうすればいいのか。彼は虞美人と酒を酌み交わし、胸に滾る慷慨の情に任せて別れの哀歌をうたいあげた。


垓下の歌



 力は山を抜き 気は世を蓋(おお)う
 時利(り)あらず 騅(すい)逝かず
 騅の逝かざる 奈何(いか)にす可(べ)き
 虞や虞や若(なんじ)を奈何(いか)んせん


わが力は山を抜き、気迫は世を包みこむ。
しかし時勢はわれに味方せず、一日千里の愛馬までが進まなくなってしまった。
愛馬が進まなければ、どうすればいいのだ。
いとしい虞美人よ、そなたをどうすればいいのか。


起句は、項羽が兼ね備える「力」と「気」を強調する。若き項羽は、青銅の鼎を持ち上げる巨漢であった。始皇帝の威圧的な行列を見た時も、「あいつに取って代わってやる」と言い放つ。何よりも紀元前二〇七年に行なわれた鉅鹿の戦いでは、十倍を上回る秦軍を九度の激戦で完膚無きまでに叩き潰した。劣勢に立ちながらも必勝の決心を示す「破釜沈舟」ということわざが、ここに始まる。「気」は武将の気概、気骨、気魄をすべて包含する一字である。


しかし天意の前で、希世の豪傑は何と蒼白で無力なことか。承句の「時」とは、そんな逆らいようのない天意を指す。歴史的に見れば、しばしば行われた無意味な虐殺が項羽から人心を離反させた要因とわかる。そして古の戦争では、人心は紛れもなく天意を反映するものだ。これまでは向かう所敵無しの彼が、垓下の一戦のみで敗亡の途を辿らなければならない。その言葉に絶する悔いが、「時不利」という表現にこめられた。最後の瞬間、逃走と再起の路を拒み自尽を選んだのも、その悔いが深かったからに違いない。


それにしても虞美人と愛馬の行く末が気がかりだ。愛馬はともかく、虞が敵の手に落ちればどんな辱めを受けることか。末路の英雄は悲しみにくれ、「垓下の歌」を何度もうたい返した。それに答え、虞美人も「大王さまが大切にしてきた意気が尽きたなら、このわたくしはどうして生きていられましょうか」と即興的にうたった末に、剣で己が頸を刎ねた。


戦の嵐で自らを見失った、項羽が歴史の非難を免れることはできまい。それでも彼と虞美人の歌は、天意に背かれた英雄と、身と心を委ねてきた男の敗亡を目前にした女の愛、そして如何ともし難い悲傷を後世に伝える感動作なのだ。項羽は虞美人へのいとおしみを胸に、武将の誉れを世に証明する最後の戦いに赴くのであった。



新たに作った「垓下の歌」の後半、悲しみに暮れた英雄の心をうたう。




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